生きてると疲れる

東京都、26歳、無職、ADHD。これまでと、このさき。

僕の“秋葉原”

今週のお題「私のアイドル」

でんぱ組.incとの出会いはYouTubeで。はじめて聞いた曲はでんでんぱっしょんだったと思う。何年前のことだったかはよく覚えていないが、出会ったときの衝撃はよく覚えている。

「これは、僕向けのアイドルだ!!!!!」



世の中ってマジョリティ向けにできている。男の人向けに。右利きの人向けに。晴眼者向けに。シスジェンダー向けに。ヘテロセクシャル向けに。
カルチャーだってそう。たいていは、マジョリティの方を向いている。

父が、アイドル好きだった。僕が小学生の頃はモーニング娘。の番組を欠かさずチェックしていたし、今はAKB48のファンクラブに入っている。そんな父のいる家庭で育ったから、アイドル文化を身近に感じてはいながらも、なんとなく、“アイドル”っていうのは父みたいな人向けのものなんだなって思っていた。シスジェンダーヘテロセクシャルの男性向け。いや、父がシスジェンダーヘテロセクシャルかどうかは聞いたことないから実際のところはわかんないんだけど。
自分はかわいい女の子とかかわいい服とか好きだから、アイドル自体は、まあ好きだった。AKBさんのコスチュームとか、あとPerfumeさんのコスチュームとかが好き。Perfumeさんはもうアイドルというよりアーティスト寄りの存在なのかもしれないけど。好き。
でもなんか、歌ったり踊ったりしているのは素敵だなって思っても、人となりにまでは興味を持てないっていうか、どうでもいいかなって思ってた。今思うと共感できる女の子がいなかったんだと思う。みんなキラキラしてて。私とは違う世界の生き物って感じだった。
それに、男女の恋愛とか描いてる歌を歌ってたりすると、やっぱり僕向けのコンテンツじゃないっすよね……という気持ちにもなった。子供向けコンテンツをたのしむときに「メインターゲットは小さなお友だちなのを忘れない」「小さなお友だちにご迷惑をおかけしない」と心がけているのだけど、それに似た気持ち。シスヘテ男性向けのコンテンツにお邪魔させていただいてる感。

だから、でんぱ組.incに出会ったときははちゃめちゃにうれしかった。ガチでガチでオタクなんだもん。仲間じゃん。オタクがオタク向けにアイドルやってるの。最高。すごい。
しかも最上もがちゃんは一人称が“僕”でバイセクシャルなの。仲間じゃん(2回目)。最高。すごい。

曲の雰囲気とかPVの雰囲気とかもすごく好みだったしみんなの個性を全面に押し出すやり方もすごいよかったしとにかく気に入ったのでYouTubeの再生回数にはすごく貢献した。彼女たちがテレビに出るときも全力で見た。ほんとはもっとなんかCD買ったりグッズ買ったりもしたかったけどあんまりお金がなかったから、お金があるようになったらやりたいなって思ってた。元気があったらイベントにも行けるかなって思ってた。そう、でんぱちゃんにはまったときは鬱がすごかったから、それでなんかマイナスからのスタートみたいなところに共感しやすかったのかもしれない。

『バリ3共和国』の歌詞に“どんなにリアルがだめだってこの街は君を待ってるから”というフレーズがあって、“この街”っていうのはもちろん秋葉原のことなんだけど、何かのインタビューでねむきゅんが「みんなにとって、でんぱ組.incが自分達にとっての秋葉原みたいな存在になれたらいいな」みたいなことを言ってたのが印象深かった。どんなにリアルがダメでも秋葉原でんぱ組.incがいるしがんばってる。YouTubeで、テレビで、Twitterで、ヴィレッジヴァンガードで、でんぱちゃんの姿を見るだけでなんとなく元気が出た。がんばろうって思えた。でんぱちゃんは僕の“秋葉原”になれていたのだと思う。


でも、でも、ついこのあいだ、もがちゃんがでんぱちゃんを脱退した。それだけならまだよかったのかもしれないけど、新メンバーが2人入った。
僕の知ってるでんぱちゃんはなくなってしまった。

新しいでんぱ組.incも、独立した最上もがさんも、応援していきたいとは思う。それぞれに、素敵だと感じることに変わりはないから。でも、YouTubeで6人体制の頃のでんぱちゃんの歌を聞いてると、やっぱりこれが僕の“秋葉原”で、他には変えがたいものなんだと感じてしまう。

元気になって、お金をもって、いつか行きたかった僕の“秋葉原”。なくなってしまった。

どこにもない“秋葉原”は、僕を待っていてくれるだろうか。リアルは最悪だ。職はないし、寒いし、ひどい風邪を引くし。

元気になったら、職がみつかってお金もできたら。まだ見られてないウルトラマンギンガSの映画とか白魔女学園とかを見よう。今からでも、6人体制の頃のCDやグッズを買おう。それから、それから………あとカラオケにも行こう。
そう思う。
待っててね、僕の“秋葉原”。マイナスからのスタート、がんばるから。

失業ハイ

がんばりたくても、がんばれなくて。
めちゃくちゃがんばってるつもりでも、人並みには働けなくて。
もうだめだ、ってなって。

ぐったりして会社に行けない日が何日かあって。
休みますとの連絡すらできなくて。

そんな日が続いていたら会社から呼び出しをくらって。


職を失いました。




休めるなら休みたい、休職できるなら1ヶ月でも2ヶ月でもそうしたい、そう思っていた矢先のことでした。

くやしかった。
かなしかった。

だってもっとがんばりたかったんだもん。
でもダメだった。
もう無理です、って会社に言われた。


メンクリに行って「職を失いました」って言ったら、精神科医は「死にたいとかはないですよね?自暴自棄にならないでくださいね」って言った。
僕はべつに死にたいとも思わなかったが、なんだか気持ちがやりきれなくて、ゲーセンに行って英世を何人か無駄にした。

クレーンゲームでピカチュウのぬいぐるみがとれた。
なんかぼんやりしてかわいいともうれしいともあんまり思わずに、作業的に袋に詰め込んで、帰った。

家についたら、急に感情が帰ってきた。
「やっほう!もう会社に行かなくて良いぞ!」
僕はピカ氏をだきしめて一人踊った。
会社に出かける前、家に閉じこもっていた数日間のだるさが嘘みたいに、身体が軽かった。

26歳での処女卒業ってなんか意味あった?

一年を振り返る記事を昨年中にアップしたかったのだけれど、なんとなくバタバタしてるうちに1月も10日になってしまう。早い。あけましておめでとうございます。
去年はどんな年だったかな、というと、まあ、いろいろありましたが、なんといってもセックスなのでセックスについて書いて昨年の振り返りとさせていただきたいと思います。


なんとなく、ぼやかしてたけど、セックス、しました。去年。我が人生において初めて。


ここでいうセックスというのは男性器を女性器に挿入する行為を指すものであり、いわゆる“本番行為”ってやつです。異論は多々あるでしょうが、定義しないと話が進まないし、ぺニスのヴァギナへの挿入を含まないセックスはそれなりにやったことあったので。なにしろ僕の去年のトピックは挿入なのです。

“セックス”。
それは突然降ってくるのかもしれないし来ないのかもしれないし、四半世紀守り抜いた処女は次の25年も守られていくのかもしれないしそうじゃないのかもしれないし、まあどっちでもいい、僕の未来はすべての可能性に開かれているんだ、と思っていたら降ってきました。26歳になった少しあとに。
あ、“降ってきた”なんて書き方したけど成人同士の合意の上の問題ないやつなのでそのへんはご安心を。

「本当に男性器は女性器に入るんだなあ」というのと、「本当に少し血が出るんだなあ」というのと、「別段気持ちよくないしちょっと痛いけど今後の開発次第なんだろうなあ」というのが初体験の感想でした。
そんなもんでした。
思ってたよりあっけないというか、まあ思ってた通りというか、そんな感じ。

それで、非処女になりました。

ずっとずっと、ちょっとだけコンプレックスだった「処女」ではなくなりました。
それで、何か変わったか?というと、別段、変わらないんですね、これが。

思うに、26歳ってのが遅すぎたんですよね。


なんで処女なのがコンプレックスだったかというと、まわりに処女の人少なくて、大学生にもなると当然のようにセックスしてると思われて、セックスの話題とかもまわりでありふれていて、それに入れなかったから。じゃあ、処女じゃなくなったらセックスの話に入れるようになったんじゃないかと思うでしょ?違うんですよ。

だってもう、同世代に「経験人数1人」の人なんてまずいないんだもん。

同世代の話題ときたら、「今のカレシと結婚したいんだけど」(次の段階に進んでる!!!)とか「子供が○歳になりました」(ついてけない!!!!)とか、そんなのなんだもん。セックスの話題出ても「元カレとのヤバかったセックス経験談」みたいなのになったら入れないじゃん。こっちは経験人数1人なんだもん。無理でしょ。

今からどんなに経験値積んでも間に合わない、追いつけないところにいるんですよ同世代のみんなは。無理です。


結局のところ、学生時代にセックスできなかった人は何をやっても学生時代にセックスできた人に勝てない、そういうところがあるのだと思います。いや、「学生時代にセックスしたかったなー」って1ミリも思ってない人は幸福です。そういう人はすべてに勝っています。1ミリでも思ってたらもう負けです。

ちょっとだけコンプレックスだった「処女」は、削除されることなく、「学生時代にセックスできなかった」に名前を変えて保存されることになりました。
ざんねんですがしかたありません。
学生時代にセックスしたい人生だった。

だからまあ、大学出ても童貞や処女のみなさんにお伝えしておきたいのは、今から急いで捨ててもあんまり意味ないと思うから、ちゃんと納得できるかたちで卒業するのを目指したほうがいいよ!ってことですね。
そこで納得できないとコンプレックス増やしちゃうだけだと思うので。


26歳での処女卒業、結局のところ「30になる前に経験値積めた!」くらいしか意味なかったかなと思うので。


学生時代にセックスできた人とどこで差がついたんだろう………だってこれって陽キャとか陰キャとか関係なくやってるやつはやってるじゃないですか…………わかんねえな……………。

学生時代にセックスできた(うえにそのあともコンスタントに経験値積んでいってる)人がセックスしてる間、わたしたちは何をしていたんだろう…………オナニーかな………………。

わかんねえな…………。

俺は俺にしかなれない

「俺は俺にしかなれない……でもこれが俺なんだ!」

僕が平成仮面ライダーで一番好きな台詞である。


思い返せば、ここ数年というもの、僕は自分を見失っていたと思う。自分を、というか、進むべき道を、というか。人生を、というか。いろいろわからなくなっていた。

考えてみると、僕の人生設計って、大学までしか考えてなかったんだよね。小学校の時から、「大学に入りさえすれば自分と知的レベルや興味の対象が近い人といっぱい出会えて幸せになれる」、そう思って生きてきた。まわりに似てる人がいなくて、孤独な人生だったから。実際、上京して大学に入ったら知的レベルや興味の対象が近い人といっぱい出会えたし、概ね幸せな四年間を過ごせたと言える。

でも、人生って大学で終わるようにできてない。家につくまでが遠足であるのと同様に、死ぬまでが人生なんだ。


理系にいってれば研究室の推薦とかあって研究職とかに就けたのかもしれないけれど、僕は文系もいいところ、文学部文学科の人間だった。院に行くか就活するかしかなかった。

就職したくなかったけど、大学院に進む人たちを見ていると、勉強が好きな人たちばかりで、僕には院は向いてないと思わざるを得なかった。もう勉強もしたくなかった。人の役に立つことがしたかった。そう、憧れてるヒーローたちみたいに。


僕は特に入りたい会社というものもなく、まわりに流されるままに就活して、夏の終わりごろにようやく内定を得た。比較的、福利厚生がしっかりしているところだった。僕は、ここに勤めていれば良い親になれるだろうと思った。もうなんか、大学までで自分の人生は終わりで、あとは次の世代に投資しようという気持ちになっていた。

しかし、会社に入って、最初に覚えたのは反発だった。
入ったばかりの頃、人事の方に「目標にしたい先輩社員を見つけましょう」と言われたのをよく覚えている。僕は、先輩社員なんか目標にしたくなかった。僕は、僕でありたかった。

そのあと、頑張って資格を取ったり、メンタルをやられて休職したり、復職したり、いろんなことがあった。会社の同期が成績トップになったり、転職していったりした。僕は、休職したので気を使われて、あまり残業のない部署の配属になった。やりがいがないとまでは言わないが、つまらない仕事が多かった。

でも、福利厚生がしっかりしているから、と僕は僕に言い聞かせた。悪い人もいないから、いい会社だから、ここにいれば良い親になれるから……。


一方で、大学の時のサークルの知人友人たちに時々会って、飲んだりなんかすると、「自分は今の仕事を頑張って○○になりたい!」などと語られて、はあ、羨ましいなあと思うのだった。好きなことをやるために転職した人もいた。「つらいこともあるけれど、仕事で成し遂げたい自己実現もあるし」と、パートナー氏にも語られた。自己実現

会社に入った頃、覚えたのは反発だけじゃなかった。戸惑いもあった。最初に配属された部署で、上司や先輩に自己紹介を求められたとき。「将来の夢は?」と聞かれ、戸惑った。就職したあとに、夢を語っていいなんて思わなかった。そのあと、上司に「俺は○○業界から転職してここにきたけど、○○業界での成功をまだ諦めてないんだ」と語られた。素敵だと思った。

夢。まだ夢を見ていていいんだ。
けれど、僕に夢なんてあったかしら。


「自分と自分に似ているすべての人のために、戦う」、それが僕の人生のスローガンだったはずだった。強くなって、力を手にして、それで世界だって救ってやる気持ちだった。小学生の時から、大学受験に至るまで勉強をそれなりに頑張ってこれたのも、強くなりたいからだったはずだ。
やっぱり文系に来てしまったのが誤りだったかな、と僕は思った。理系だったら理系の知識や技術で人が救えたかもしれないのに。
中高生の時、数学得意だったのになんで理系にしなかったかと言えば、当時付き合ってた人間がめちゃくちゃ理系で頭よくて、敵わないと思ってしまったからだったのを思い出した。もちろんそれだけじゃなくて、文系のほうが学べる内容に興味があったとかそういうのもあるけど。結局、院に進まなかったのと同じ理由だ。人と比べて、諦めて、そんなのばっかりだ。


10月の終わりに、僕の中の幼女が「デザイナーかパタンナーになりたい!」と騒ぎ出した。服飾に興味を持ち始めたのが大学生の頃で、それが最近ロリ服を買うに至って爆発寸前まで来ていた。服を作る人になりたいんだ、そう強く思った。「今からじゃ遅い」と僕の中の大人が邪魔しに入った。「もっと向いてる人がいる」いつものやつだ。こいつは大人のような顔をして、いつも邪魔してくるんだ。今度ばかりはそうはさせない。
僕は、夢を見つけたんだ。


僕はやめることにした。なにもかも、やめることにした。
あきらめるのも、嘘をつくのも、自分を騙すのも、やめることにした。

デザイナーかパタンナーになる、それを思い付いた次の日には専門学校の資料請求をしていた。
僕とも思われない、素早さだった。

服を作る人になる。かわいいものはみんなにパワーを与える。かわいいものをつくって、みんなの助けになる。そう決めた。そうだ、僕が大好きな、男の体で女の子になりたい人たちの助けにだってなれるかもしれない。なりたい。そうなりたい。強く思った。


「専門学校に行って、デザイナーかパタンナーになろうと思う」と母に言ったら、全然反対されなかったので拍子抜けした。
「そこそこの大学を出て、そこそこの会社に入って、もうキミの人生の第一部は終わりでいいじゃない。第二部は好きにしなさい。ただ、食べるものと住む場所には困らないようにね。」
ありがたいので、僕は泣いた。

そうだ、もう、親の期待には十分に応えたんだ。もう大人なんだ。これからは自分の期待に応えていかなきゃ。


僕は、僕にしかなれない。でも、これが僕なんだ。
僕は、最強の僕になる。そして世界を救ってやる。

ロリ服と僕

オタクのファッションは、四種類に大別される(と僕は考えている)。
よくいるのが“無関心型”。服に関心がなく、選ぶ基準があるとすれば着心地とか着脱の楽さなどの機能性。なぜかチェックシャツをよく着ている。
目立たないのが“埋没型”。オタクであることを隠したいがために非オタクに擬態している。
目立ってしまうのが“コスプレ型”。私服がコスプレっぽい人。憧れのキャラクターの服装を真似る、中二病のまま大きくなったような人が多い。
そして最後に紹介するのが“服オタク”。服そのものが趣味の人。服が大好きで服に詳しいオタクである。

僕の私服は“コスプレ型”だ。カラーのニーハイソックスを愛用しているのは夏みかんの真似だし、ストールは天道総司だし、中折れ帽は言うまでもなく仮面ライダーダブル。ついでに言うと、ファッションではないが、ぼくが別れ際に「じゃ!」と言って片手を挙げるのはサトエリキューティーハニーの真似である。


でも、ロリィタに興味を持ったのは特撮の影響じゃなかった。

Twitterだ。


上京する少し前に始めたTwitterでは、たくさんの出会いがあった。僕は東京での、いろいろな人との出会いを夢見て、いろいろな人をフォローした。特撮が好きな人、セクシャルマイノリティの人、それから、女装の人。僕は女装男子が好きだからたくさんの女装男子をフォローした。僕自身は女体持ちで性自認が不定性で女装を好む、言わば女装Xなのだけれど、女装界隈は僕を暖かく迎え入れてくれた。

女装界隈にはいろんな人がいた。僕みたいに性自認が不安定な人もいたし、美しいものが好きな人もいたし、鉄道オタクもいたし、ヤリチンもいたし、童貞もいたし、ゲイもいたし、服オタクもいた。いろんな人がいろんな理由で女装していた。
そんな界隈で相互フォローになったフォロワーさんの中に、ロリィタファッションを嗜む方がいた。その美しさに僕は衝撃を受けた。

その頃は、まだ、ロリィタは画面のむこうの存在だった。


大学生のとき、はじめて(記憶のない幼い頃に行ったことがなくはないのかもしれないが)原宿に行って、はじめてロリィタブランドのお洋服に、実際に出会った。美しかった。「ほしい!」衝動的に、そう思った。
しかし、僕の当時の財力では、その価格の高さに手が届かなかった。それ以上に、ロリィタファッションをはじめることへのハードルの高さをも感じていた。あのフォロワーさんみたいに、美しくなれる自信が、なかった。
結局そのときは諦めて、しかし、後でやっぱりもう一度見たくなって、何日か後に同じお店に行ってみたけれど、その服はもうなかった。ちゃんと探せばあったのかも知れなかったけど、買うつもりもないのに探す気にもなれなくて、僕は、再び、諦めた。

このとき諦めたことを、僕はずっと後悔することになる。
また素敵な服に出会いたくて、ときどきロリィタブランドのお店の前を通りすがりに行ったり、ブランドのウェブサイトを見たりしたけど、あのとき受けた衝撃を上回る出会いはなかったのだ。


そんな僕であるが、この秋、新宿マルイアネックスで、ついに出会ってしまった。
衝撃が走った。めちゃくちゃかわいいジャンパースカート。
これは仮面ライダー響鬼一之巻を見たとき(そこから僕は特撮オタクとしての道を歩み始めることとなった)と同じ、運命を変えるかもしれない出会いだ。そう、直感した。

値段を調べた。およそ3万円だった。
迷った。今の財力なら買えると思った。しかし服、それもいつ着るのかよくわからない服に3万円は高すぎるとも思った。ジャンパースカートを買うならブラウスもいるし、パニエやドロワーズもいるし、出かけるなら靴やカバンもいるし、揃えたら10万はかかる計算になる。
10万!
僕には冬のボーナスでノートパソコンを買う計画があった。10万あったらパソコンが買える。

……パソコン買うのやめてロリィタにしちゃいなよ、と悪魔が囁いた。


僕は迷いに迷った。しかし、あまり時間がないこともわかっていた。服はほしいと思ったときに買わないと、容易には手に入らなくなってしまうんだ。

ロリィタファッションのフォロワーさんの美しさにはかなわないかもしれないけれど、僕には僕のファッションセンスがあるという自信が、この何年かでついていた。
26歳でロリィタを始めるのはいかがなものかという思いを、Twitterで見かけた黒柳徹子さんの、今が一番若いんだからやりたいことがあったら後で後悔しないようにやるのがよいという言葉が払拭した。
青木美沙子さんがテレビで言っていたという、ロリィタは偏見に負けない気持ちが大事だという言葉が、僕の胸に響いた。
ラフォーレ原宿がLINEで、今ラフォーレカードを作ると最大5000円分のショッピングチケットをプレゼントするという情報を寄越した。

何もかもが、僕の背中を押していた。
結局、僕は悪魔の囁きに従うことにした。


「ロリ服ほしい」とツイートしてみたら、友達と一緒に原宿に見に行くことになった。僕はラフォーレカードを作り、お目当ての、あの、ジャンパースカートを買った。その後一人で新宿や池袋も回り、そして今、ジャンパースカートとブラウスとパニエとドロワーズと靴とカバンが手元に揃っている。

あとは、着て、外へ踏み出すだけ。


“服”ってジャンルが深い沼なのは重々承知の上で。

26歳、ロリィタファッションはじめます。

“かわいいもの”依存

今週のお題「私の癒やし」

“かわいいもの”。
それが、僕の癒しだ。

大学を出てサラリーマンになった頃から、僕は以前にも増して“かわいいもの”を集め始めた。会社のデスクに置いても怒られない範囲で、“かわいいもの”。引き出しの中の文房具も“かわいいもの”。家に帰ってすぐ目につくところに“かわいいもの”。家事で使うのも“かわいいもの”。一日の終わりに一緒に寝るのも“かわいいもの(ピカ氏)”。

元々、かわいいものは好きだったし、そこに社会人の財力が加われば“かわいいもの”の爆買いが起こるのは不思議なことではない。でも、僕は基本的にケチだから、好きとか財力とかだけでは散財に走らなかったと思う。走らせたのは、そう、ストレスだ。

社会というところは思っていたほど恐ろしくなかったが、僕というものは思っていたよりストレスに弱くて、かわいいものがなければやっていけなかった。貪るように、かわいいものを、求めた。

思えば、僕がひどい鬱で死にそうになっていたときに、助けてくれたのがピカ氏だった。その頃から、僕の“かわいいもの”依存は始まっていたのかもしれない。


ピカ氏というのは僕が大学生のときに、鬱がひどくて夜眠れなくて「抱き枕的な大きいぬいぐるみがほしい」って言っていたら恋人(当時)がくれた等身大ピカチュウぬいぐるみであり、僕の大切な家族である。

ある日、精神的にめっちゃ疲れたとき。元気を取り戻すために会社帰りに寄り道したら、ゲーセンの前を通りかかり、そこでピカ氏と同じ笑顔を見つけた。癒された。僕のゲーセン通いの始まりである。それからというものクレーンゲームでピカチュウのぬいぐるみを集め続けている。


クレーンゲームは良い。クレーンゲームをやっているときは集中できるから、嫌なことがあってもみんな忘れられる。そして、景品が手にはいる。そのとき楽しいだけじゃなくて、持って帰れるものがあるのもクレーンゲームの良さだ。

大きいぬいぐるみが好きだ。愛を与えてくれる感じがする。心が不安定になったとき、安心感をもたらしてくれる。
小さいぬいぐるみも好きだ。小さくてかわいらしいものを見ると、あたたかい気持ちになり、自分が愛情深い存在であるかのように感じられる。


ゲーセンに通いつめ、家がどんどんピカチュウだらけになってきた。最近はピカチュウだけでなくこぐまちゃん(リラックマのチャイロイコグマ)も集め始めたから、くまコーナーもできてきた。

増殖し続ける“かわいいもの”たちの中で、今日も僕は精一杯がんばって生きている。

思ってたのと違う

近所の神社のお祭りに行って、たこ焼き食べてるときにそれはやってきた。
今まで感じたことのない、強い腹痛。吐き気。

その日は家にあった胃薬を飲んで寝たが、ほとんど眠れなかった。
その後も吐き気は続き、たまに吐き、頭痛や腰痛や怠さなんかも現れた。まったく、悪阻そのものだった。

「妊娠では?」と、母は言った。「避妊してなかったの?」
「してたけど」と、僕は答えた。「100%かと言われると自信がない」

ちょうどヤーズが切れる頃だった。だから、婦人科のお医者に相談することにした。
「妊娠したかもしれない」と言うと「検査しましょう」と言われた。すぐに尿検査された。

結果は。


どきどきしている僕に、「妊娠してないから大丈夫ですよ」と、お医者は告げた。
僕は、ほっとしたようながっかりしたような気持ちになった。

それっきり、吐き気も腹痛もしなくなった。
想像妊娠だとわかると悪阻のような症状は治まる、とWikipediaに書いてあった。まったく、想像妊娠そのものだった。

想像妊娠だったのだろうか。僕はGoogle先生に問いかける。
「想像妊娠は、妊娠を強く望んでいるか、恐れているときに起こりやすい」と、Google先生は答える。
僕は、妊娠を強く望んでいるのだろうか。あるいは、恐れているのだろうか。
誰も答えてくれない。自分で答えを出すしかない。


どちらでもないような、どちらでもあるような、そんな気がする。



逃避、したいんだろうな。と、僕は思う。
僕は現状に満足していない。何か変化を求めているんだ、そんな気がする。


先日、twitterで「若者が結婚したがるのは遊ぶ金がないから」という意見を目にした。かつては若者に金があって、まだまだ遊んでいたいから結婚したくないと言ったものだが、今は金がないから独身である状態に満足できないのだ、と。
そうかもしれない、と僕は思った。

「結婚は人生の墓場だ」という言葉がある。「独身貴族」なんて言葉もある。独身者は悠々自適、結婚するとそうはいかない……という意味なのだと思う。
そういう価値観が世の中にはあって、僕もいつのまにかそれを信じこんでいて、結婚したり子供ができたりする前の、独身の大人の生活はたのしいんだろうと思っていた。仕事があるから時間は限られるのかもしれないけど、夜とか休みの日とかはいっぱい遊べて、お金があるから好きなものを買いまくれるのだと思っていた。なんとなく。

そうではなかった。少なくとも今は、そうではない。ぼくが抑うつ気味であんまり元気がないことを差し引いても、たのしく遊べるような気力も体力も時間もお金も足りないと感じている。特に、お金が。
お金が全然ないわけではない。そこそこの企業の正社員として勤めているし、同世代の人と比べても遜色ない給与を得ていると思う。それでも、「足りない」と感じる。
欲が深いというわけではない。むしろ逆だと思う。「使えるお金がない」というより、「お金を使うのをためらってしまう」といったほうが正確かもしれない。漠然とした、“将来への不安”みたいなものが、僕に浪費をさせない。昼メシを300円未満で済ませて、できるだけ貯金しようとしてしまう。ほんとはその気になりさえすれば、1000円のランチだって食べられるのだと思うのだけれど。

“将来への不安”を抱かずにはおれない、この時代は暗すぎる。

思えば暗い時代を生きてきた。僕が生まれてから四半世紀を過ぎるけれども、物心ついた頃には日本経済は“失われた10年”と呼ばれた低迷期に突入しており、低迷は10年では終わらず、いつのまにか“失われた20年”と呼ばれるようになっていた。僕と同世代の人たちはみんな、生まれてからずっと、失われ続けているのである。


およそ20年前、不景気が20年も続くなんて誰も思っていなかった頃、きっと多くの人がそうだったように、僕も夢見る幼い子供であった。両親とも高等教育を受けていたから、自分も当然大学まで行って、就職して結婚して子供をつくって子育てしていくのだと思っていた。東京に住んで、東京で子育てしていくのがいつの頃からか夢だった。庭付きの広い家に住んで、子供は一人か二人で、自分が子供の頃に面白いと感じたものは全部子供に伝えてあげて、子供が自ら面白いと感じるものに出会い発見していくのも全力で手伝ってやって…………。
そんな、豊かな生活。夢だった。

まだ、僕の人生は途上だ。未来は始まったばかりだ。上京して大学を出て就職して、ついでに処女も卒業して、スタートラインにようやく立ったと言ってもいい。でも、スタートラインの時点で、これ思ってたのと違うなって感じてる。この先に豊かな生活が待っていると信じきれない感じがする。


先が見えない感じ。もぞもぞする。結婚したら、何かが変わるのかもしれないし、子供ができたら、何かが変わるのかもしれない。変わらないまま、もぞもぞするままなのかもしれない。

母が僕を生んだ年齢まで、あと二年と半分しかない。自然妊娠のタイムリミットと言われている32歳(そこを過ぎると一気に妊娠しにくくなるらしい)だってそのすぐ後ろに控えている。僕は子供をもって育てていくのが夢なのに、焦燥感がないと言えば嘘になる。


それで、かもしれない。やはり僕は、妊娠を強く望んでいるのかもしれない。

かも、しれない。





「妊娠したかもしれない」ってなってたとき、ふと思ったのは「デキ婚はやだなあ」ということである。
べつに、道徳的なことじゃない。順番なんてどうでもいいと思ってる。どんな順番で何をしたって、恋愛やら結婚やらは当事者たちの問題なのだから、本人たちが幸せであればおめでたいし、本人たちが納得していれば正しいと思う。

では、なぜ「デキ婚はイヤ」なのかといえば、やはりそれは「思ってたのと違うなあ」って思うに決まっているからである。自分が主役の式典ってあと結婚式と葬式くらいしか残ってないから、自分でなんとかできる結婚式くらい自分の思い通りにやりたい。デキ婚では思い通りの結婚式が挙げられなさそうだからイヤだ。

小学生の時だったか、若宮大路を人力車に乗って鶴岡八幡宮へ向かってゆく花嫁さんを見たあのときから、鶴岡八幡宮でご神木の大銀杏が紅葉する頃に結婚式を挙げるのが僕の夢なのだった。この夢くらいなら、今から頑張れば叶えられるかもしれない。ご神木はもう倒れてしまって根本しか残ってないから、やっぱりあの頃思ってたのとは違う式しか挙げられないけれど、でも、自分の力でなんとかなる部分については、しっかり自分の期待に応えたい。そういう大人でありたい。



とりあえず僕は、結婚式のために貯金を始めた。まだ予定もないんだけど、ね。