生きてると疲れる

東京都、26歳、会社員。これまでと、このさき。

俺は俺にしかなれない

「俺は俺にしかなれない……でもこれが俺なんだ!」

僕が平成仮面ライダーで一番好きな台詞である。


思い返せば、ここ数年というもの、僕は自分を見失っていたと思う。自分を、というか、進むべき道を、というか。人生を、というか。いろいろわからなくなっていた。

考えてみると、僕の人生設計って、大学までしか考えてなかったんだよね。小学校の時から、「大学に入りさえすれば自分と知的レベルや興味の対象が近い人といっぱい出会えて幸せになれる」、そう思って生きてきた。まわりに似てる人がいなくて、孤独な人生だったから。実際、上京して大学に入ったら知的レベルや興味の対象が近い人といっぱい出会えたし、概ね幸せな四年間を過ごせたと言える。

でも、人生って大学で終わるようにできてない。家につくまでが遠足であるのと同様に、死ぬまでが人生なんだ。


理系にいってれば研究室の推薦とかあって研究職とかに就けたのかもしれないけれど、僕は文系もいいところ、文学部文学科の人間だった。院に行くか就活するかしかなかった。

就職したくなかったけど、大学院に進む人たちを見ていると、勉強が好きな人たちばかりで、僕には院は向いてないと思わざるを得なかった。もう勉強もしたくなかった。人の役に立つことがしたかった。そう、憧れてるヒーローたちみたいに。


僕は特に入りたい会社というものもなく、まわりに流されるままに就活して、夏の終わりごろにようやく内定を得た。比較的、福利厚生がしっかりしているところだった。僕は、ここに勤めていれば良い親になれるだろうと思った。もうなんか、大学までで自分の人生は終わりで、あとは次の世代に投資しようという気持ちになっていた。

しかし、会社に入って、最初に覚えたのは反発だった。
入ったばかりの頃、人事の方に「目標にしたい先輩社員を見つけましょう」と言われたのをよく覚えている。僕は、先輩社員なんか目標にしたくなかった。僕は、僕でありたかった。

そのあと、頑張って資格を取ったり、メンタルをやられて休職したり、復職したり、いろんなことがあった。会社の同期が成績トップになったり、転職していったりした。僕は、休職したので気を使われて、あまり残業のない部署の配属になった。やりがいがないとまでは言わないが、つまらない仕事が多かった。

でも、福利厚生がしっかりしているから、と僕は僕に言い聞かせた。悪い人もいないから、いい会社だから、ここにいれば良い親になれるから……。


一方で、大学の時のサークルの知人友人たちに時々会って、飲んだりなんかすると、「自分は今の仕事を頑張って○○になりたい!」などと語られて、はあ、羨ましいなあと思うのだった。好きなことをやるために転職した人もいた。「つらいこともあるけれど、仕事で成し遂げたい自己実現もあるし」と、パートナー氏にも語られた。自己実現

会社に入った頃、覚えたのは反発だけじゃなかった。戸惑いもあった。最初に配属された部署で、上司や先輩に自己紹介を求められたとき。「将来の夢は?」と聞かれ、戸惑った。就職したあとに、夢を語っていいなんて思わなかった。そのあと、上司に「俺は○○業界から転職してここにきたけど、○○業界での成功をまだ諦めてないんだ」と語られた。素敵だと思った。

夢。まだ夢を見ていていいんだ。
けれど、僕に夢なんてあったかしら。


「自分と自分に似ているすべての人のために、戦う」、それが僕の人生のスローガンだったはずだった。強くなって、力を手にして、それで世界だって救ってやる気持ちだった。小学生の時から、大学受験に至るまで勉強をそれなりに頑張ってこれたのも、強くなりたいからだったはずだ。
やっぱり文系に来てしまったのが誤りだったかな、と僕は思った。理系だったら理系の知識や技術で人が救えたかもしれないのに。
中高生の時、数学得意だったのになんで理系にしなかったかと言えば、当時付き合ってた人間がめちゃくちゃ理系で頭よくて、敵わないと思ってしまったからだったのを思い出した。もちろんそれだけじゃなくて、文系のほうが学べる内容に興味があったとかそういうのもあるけど。結局、院に進まなかったのと同じ理由だ。人と比べて、諦めて、そんなのばっかりだ。


10月の終わりに、僕の中の幼女が「デザイナーかパタンナーになりたい!」と騒ぎ出した。服飾に興味を持ち始めたのが大学生の頃で、それが最近ロリ服を買うに至って爆発寸前まで来ていた。服を作る人になりたいんだ、そう強く思った。「今からじゃ遅い」と僕の中の大人が邪魔しに入った。「もっと向いてる人がいる」いつものやつだ。こいつは大人のような顔をして、いつも邪魔してくるんだ。今度ばかりはそうはさせない。
僕は、夢を見つけたんだ。


僕はやめることにした。なにもかも、やめることにした。
あきらめるのも、嘘をつくのも、自分を騙すのも、やめることにした。

デザイナーかパタンナーになる、それを思い付いた次の日には専門学校の資料請求をしていた。
僕とも思われない、素早さだった。

服を作る人になる。かわいいものはみんなにパワーを与える。かわいいものをつくって、みんなの助けになる。そう決めた。そうだ、僕が大好きな、男の体で女の子になりたい人たちの助けにだってなれるかもしれない。なりたい。そうなりたい。強く思った。


「専門学校に行って、デザイナーかパタンナーになろうと思う」と母に言ったら、全然反対されなかったので拍子抜けした。
「そこそこの大学を出て、そこそこの会社に入って、もうキミの人生の第一部は終わりでいいじゃない。第二部は好きにしなさい。ただ、食べるものと住む場所には困らないようにね。」
ありがたいので、僕は泣いた。

そうだ、もう、親の期待には十分に応えたんだ。もう大人なんだ。これからは自分の期待に応えていかなきゃ。


僕は、僕にしかなれない。でも、これが僕なんだ。
僕は、最強の僕になる。そして世界を救ってやる。

ロリ服と僕

オタクのファッションは、四種類に大別される(と僕は考えている)。
よくいるのが“無関心型”。服に関心がなく、選ぶ基準があるとすれば着心地とか着脱の楽さなどの機能性。なぜかチェックシャツをよく着ている。
目立たないのが“埋没型”。オタクであることを隠したいがために非オタクに擬態している。
目立ってしまうのが“コスプレ型”。私服がコスプレっぽい人。憧れのキャラクターの服装を真似る、中二病のまま大きくなったような人が多い。
そして最後に紹介するのが“服オタク”。服そのものが趣味の人。服が大好きで服に詳しいオタクである。

僕の私服は“コスプレ型”だ。カラーのニーハイソックスを愛用しているのは夏みかんの真似だし、ストールは天道総司だし、中折れ帽は言うまでもなく仮面ライダーダブル。ついでに言うと、ファッションではないが、ぼくが別れ際に「じゃ!」と言って片手を挙げるのはサトエリキューティーハニーの真似である。


でも、ロリィタに興味を持ったのは特撮の影響じゃなかった。

Twitterだ。


上京する少し前に始めたTwitterでは、たくさんの出会いがあった。僕は東京での、いろいろな人との出会いを夢見て、いろいろな人をフォローした。特撮が好きな人、セクシャルマイノリティの人、それから、女装の人。僕は女装男子が好きだからたくさんの女装男子をフォローした。僕自身は女体持ちで性自認が不定性で女装を好む、言わば女装Xなのだけれど、女装界隈は僕を暖かく迎え入れてくれた。

女装界隈にはいろんな人がいた。僕みたいに性自認が不安定な人もいたし、美しいものが好きな人もいたし、鉄道オタクもいたし、ヤリチンもいたし、童貞もいたし、ゲイもいたし、服オタクもいた。いろんな人がいろんな理由で女装していた。
そんな界隈で相互フォローになったフォロワーさんの中に、ロリィタファッションを嗜む方がいた。その美しさに僕は衝撃を受けた。

その頃は、まだ、ロリィタは画面のむこうの存在だった。


大学生のとき、はじめて(記憶のない幼い頃に行ったことがなくはないのかもしれないが)原宿に行って、はじめてロリィタブランドのお洋服に、実際に出会った。美しかった。「ほしい!」衝動的に、そう思った。
しかし、僕の当時の財力では、その価格の高さに手が届かなかった。それ以上に、ロリィタファッションをはじめることへのハードルの高さをも感じていた。あのフォロワーさんみたいに、美しくなれる自信が、なかった。
結局そのときは諦めて、しかし、後でやっぱりもう一度見たくなって、何日か後に同じお店に行ってみたけれど、その服はもうなかった。ちゃんと探せばあったのかも知れなかったけど、買うつもりもないのに探す気にもなれなくて、僕は、再び、諦めた。

このとき諦めたことを、僕はずっと後悔することになる。
また素敵な服に出会いたくて、ときどきロリィタブランドのお店の前を通りすがりに行ったり、ブランドのウェブサイトを見たりしたけど、あのとき受けた衝撃を上回る出会いはなかったのだ。


そんな僕であるが、この秋、新宿マルイアネックスで、ついに出会ってしまった。
衝撃が走った。めちゃくちゃかわいいジャンパースカート。
これは仮面ライダー響鬼一之巻を見たとき(そこから僕は特撮オタクとしての道を歩み始めることとなった)と同じ、運命を変えるかもしれない出会いだ。そう、直感した。

値段を調べた。およそ3万円だった。
迷った。今の財力なら買えると思った。しかし服、それもいつ着るのかよくわからない服に3万円は高すぎるとも思った。ジャンパースカートを買うならブラウスもいるし、パニエやドロワーズもいるし、出かけるなら靴やカバンもいるし、揃えたら10万はかかる計算になる。
10万!
僕には冬のボーナスでノートパソコンを買う計画があった。10万あったらパソコンが買える。

……パソコン買うのやめてロリィタにしちゃいなよ、と悪魔が囁いた。


僕は迷いに迷った。しかし、あまり時間がないこともわかっていた。服はほしいと思ったときに買わないと、容易には手に入らなくなってしまうんだ。

ロリィタファッションのフォロワーさんの美しさにはかなわないかもしれないけれど、僕には僕のファッションセンスがあるという自信が、この何年かでついていた。
26歳でロリィタを始めるのはいかがなものかという思いを、Twitterで見かけた黒柳徹子さんの、今が一番若いんだからやりたいことがあったら後で後悔しないようにやるのがよいという言葉が払拭した。
青木美沙子さんがテレビで言っていたという、ロリィタは偏見に負けない気持ちが大事だという言葉が、僕の胸に響いた。
ラフォーレ原宿がLINEで、今ラフォーレカードを作ると最大5000円分のショッピングチケットをプレゼントするという情報を寄越した。

何もかもが、僕の背中を押していた。
結局、僕は悪魔の囁きに従うことにした。


「ロリ服ほしい」とツイートしてみたら、友達と一緒に原宿に見に行くことになった。僕はラフォーレカードを作り、お目当ての、あの、ジャンパースカートを買った。その後一人で新宿や池袋も回り、そして今、ジャンパースカートとブラウスとパニエとドロワーズと靴とカバンが手元に揃っている。

あとは、着て、外へ踏み出すだけ。


“服”ってジャンルが深い沼なのは重々承知の上で。

26歳、ロリィタファッションはじめます。

“かわいいもの”依存

今週のお題「私の癒やし」

“かわいいもの”。
それが、僕の癒しだ。

大学を出てサラリーマンになった頃から、僕は以前にも増して“かわいいもの”を集め始めた。会社のデスクに置いても怒られない範囲で、“かわいいもの”。引き出しの中の文房具も“かわいいもの”。家に帰ってすぐ目につくところに“かわいいもの”。家事で使うのも“かわいいもの”。一日の終わりに一緒に寝るのも“かわいいもの(ピカ氏)”。

元々、かわいいものは好きだったし、そこに社会人の財力が加われば“かわいいもの”の爆買いが起こるのは不思議なことではない。でも、僕は基本的にケチだから、好きとか財力とかだけでは散財に走らなかったと思う。走らせたのは、そう、ストレスだ。

社会というところは思っていたほど恐ろしくなかったが、僕というものは思っていたよりストレスに弱くて、かわいいものがなければやっていけなかった。貪るように、かわいいものを、求めた。

思えば、僕がひどい鬱で死にそうになっていたときに、助けてくれたのがピカ氏だった。その頃から、僕の“かわいいもの”依存は始まっていたのかもしれない。


ピカ氏というのは僕が大学生のときに、鬱がひどくて夜眠れなくて「抱き枕的な大きいぬいぐるみがほしい」って言っていたら恋人(当時)がくれた等身大ピカチュウぬいぐるみであり、僕の大切な家族である。

ある日、精神的にめっちゃ疲れたとき。元気を取り戻すために会社帰りに寄り道したら、ゲーセンの前を通りかかり、そこでピカ氏と同じ笑顔を見つけた。癒された。僕のゲーセン通いの始まりである。それからというものクレーンゲームでピカチュウのぬいぐるみを集め続けている。


クレーンゲームは良い。クレーンゲームをやっているときは集中できるから、嫌なことがあってもみんな忘れられる。そして、景品が手にはいる。そのとき楽しいだけじゃなくて、持って帰れるものがあるのもクレーンゲームの良さだ。

大きいぬいぐるみが好きだ。愛を与えてくれる感じがする。心が不安定になったとき、安心感をもたらしてくれる。
小さいぬいぐるみも好きだ。小さくてかわいらしいものを見ると、あたたかい気持ちになり、自分が愛情深い存在であるかのように感じられる。


ゲーセンに通いつめ、家がどんどんピカチュウだらけになってきた。最近はピカチュウだけでなくこぐまちゃん(リラックマのチャイロイコグマ)も集め始めたから、くまコーナーもできてきた。

増殖し続ける“かわいいもの”たちの中で、今日も僕は精一杯がんばって生きている。

思ってたのと違う

近所の神社のお祭りに行って、たこ焼き食べてるときにそれはやってきた。
今まで感じたことのない、強い腹痛。吐き気。

その日は家にあった胃薬を飲んで寝たが、ほとんど眠れなかった。
その後も吐き気は続き、たまに吐き、頭痛や腰痛や怠さなんかも現れた。まったく、悪阻そのものだった。

「妊娠では?」と、母は言った。「避妊してなかったの?」
「してたけど」と、僕は答えた。「100%かと言われると自信がない」

ちょうどヤーズが切れる頃だった。だから、婦人科のお医者に相談することにした。
「妊娠したかもしれない」と言うと「検査しましょう」と言われた。すぐに尿検査された。

結果は。


どきどきしている僕に、「妊娠してないから大丈夫ですよ」と、お医者は告げた。
僕は、ほっとしたようながっかりしたような気持ちになった。

それっきり、吐き気も腹痛もしなくなった。
想像妊娠だとわかると悪阻のような症状は治まる、とWikipediaに書いてあった。まったく、想像妊娠そのものだった。

想像妊娠だったのだろうか。僕はGoogle先生に問いかける。
「想像妊娠は、妊娠を強く望んでいるか、恐れているときに起こりやすい」と、Google先生は答える。
僕は、妊娠を強く望んでいるのだろうか。あるいは、恐れているのだろうか。
誰も答えてくれない。自分で答えを出すしかない。


どちらでもないような、どちらでもあるような、そんな気がする。



逃避、したいんだろうな。と、僕は思う。
僕は現状に満足していない。何か変化を求めているんだ、そんな気がする。


先日、twitterで「若者が結婚したがるのは遊ぶ金がないから」という意見を目にした。かつては若者に金があって、まだまだ遊んでいたいから結婚したくないと言ったものだが、今は金がないから独身である状態に満足できないのだ、と。
そうかもしれない、と僕は思った。

「結婚は人生の墓場だ」という言葉がある。「独身貴族」なんて言葉もある。独身者は悠々自適、結婚するとそうはいかない……という意味なのだと思う。
そういう価値観が世の中にはあって、僕もいつのまにかそれを信じこんでいて、結婚したり子供ができたりする前の、独身の大人の生活はたのしいんだろうと思っていた。仕事があるから時間は限られるのかもしれないけど、夜とか休みの日とかはいっぱい遊べて、お金があるから好きなものを買いまくれるのだと思っていた。なんとなく。

そうではなかった。少なくとも今は、そうではない。ぼくが抑うつ気味であんまり元気がないことを差し引いても、たのしく遊べるような気力も体力も時間もお金も足りないと感じている。特に、お金が。
お金が全然ないわけではない。そこそこの企業の正社員として勤めているし、同世代の人と比べても遜色ない給与を得ていると思う。それでも、「足りない」と感じる。
欲が深いというわけではない。むしろ逆だと思う。「使えるお金がない」というより、「お金を使うのをためらってしまう」といったほうが正確かもしれない。漠然とした、“将来への不安”みたいなものが、僕に浪費をさせない。昼メシを300円未満で済ませて、できるだけ貯金しようとしてしまう。ほんとはその気になりさえすれば、1000円のランチだって食べられるのだと思うのだけれど。

“将来への不安”を抱かずにはおれない、この時代は暗すぎる。

思えば暗い時代を生きてきた。僕が生まれてから四半世紀を過ぎるけれども、物心ついた頃には日本経済は“失われた10年”と呼ばれた低迷期に突入しており、低迷は10年では終わらず、いつのまにか“失われた20年”と呼ばれるようになっていた。僕と同世代の人たちはみんな、生まれてからずっと、失われ続けているのである。


およそ20年前、不景気が20年も続くなんて誰も思っていなかった頃、きっと多くの人がそうだったように、僕も夢見る幼い子供であった。両親とも高等教育を受けていたから、自分も当然大学まで行って、就職して結婚して子供をつくって子育てしていくのだと思っていた。東京に住んで、東京で子育てしていくのがいつの頃からか夢だった。庭付きの広い家に住んで、子供は一人か二人で、自分が子供の頃に面白いと感じたものは全部子供に伝えてあげて、子供が自ら面白いと感じるものに出会い発見していくのも全力で手伝ってやって…………。
そんな、豊かな生活。夢だった。

まだ、僕の人生は途上だ。未来は始まったばかりだ。上京して大学を出て就職して、ついでに処女も卒業して、スタートラインにようやく立ったと言ってもいい。でも、スタートラインの時点で、これ思ってたのと違うなって感じてる。この先に豊かな生活が待っていると信じきれない感じがする。


先が見えない感じ。もぞもぞする。結婚したら、何かが変わるのかもしれないし、子供ができたら、何かが変わるのかもしれない。変わらないまま、もぞもぞするままなのかもしれない。

母が僕を生んだ年齢まで、あと二年と半分しかない。自然妊娠のタイムリミットと言われている32歳(そこを過ぎると一気に妊娠しにくくなるらしい)だってそのすぐ後ろに控えている。僕は子供をもって育てていくのが夢なのに、焦燥感がないと言えば嘘になる。


それで、かもしれない。やはり僕は、妊娠を強く望んでいるのかもしれない。

かも、しれない。





「妊娠したかもしれない」ってなってたとき、ふと思ったのは「デキ婚はやだなあ」ということである。
べつに、道徳的なことじゃない。順番なんてどうでもいいと思ってる。どんな順番で何をしたって、恋愛やら結婚やらは当事者たちの問題なのだから、本人たちが幸せであればおめでたいし、本人たちが納得していれば正しいと思う。

では、なぜ「デキ婚はイヤ」なのかといえば、やはりそれは「思ってたのと違うなあ」って思うに決まっているからである。自分が主役の式典ってあと結婚式と葬式くらいしか残ってないから、自分でなんとかできる結婚式くらい自分の思い通りにやりたい。デキ婚では思い通りの結婚式が挙げられなさそうだからイヤだ。

小学生の時だったか、若宮大路を人力車に乗って鶴岡八幡宮へ向かってゆく花嫁さんを見たあのときから、鶴岡八幡宮でご神木の大銀杏が紅葉する頃に結婚式を挙げるのが僕の夢なのだった。この夢くらいなら、今から頑張れば叶えられるかもしれない。ご神木はもう倒れてしまって根本しか残ってないから、やっぱりあの頃思ってたのとは違う式しか挙げられないけれど、でも、自分の力でなんとかなる部分については、しっかり自分の期待に応えたい。そういう大人でありたい。



とりあえず僕は、結婚式のために貯金を始めた。まだ予定もないんだけど、ね。

神社ってしんどい(ジェンダー的に)

お盆だった。
父と母と、祖母と、京都に墓参りに行って、ついでに観光してきた。


母の希望でいくつかの神社に行った。京都って寺が多いイメージだけど、なにしろ歴史があるから有名な神社もけっこうある。北野天満宮貴船神社下鴨神社と八坂神社と。それで、神社ってしんどいなあと改めて感じた。

下鴨神社の境内に河合神社というのが鎮座していて、これが母のお目当ての一つだった。これは日本一の女性守護の神様であって、美しくなることにききめがあるとのことである。なんか、「女性は美しさを求めるもの!」っていうの、しんどいなあと感じながらお詣りした。

それから、なにしろ女性守護の神様であるから女性守護の“媛守り”なるお守りがあるんだけど、それに対して男性守護の“彦守り”なるお守りも置いてあってしんどいなあと思った。なんか、「あっ、僕守ってもらえないんだ」って感じてしまった(僕は性自認が不定)。“媛守り”オンリーだったら「まあ女性守護の神様だもんね」ってスルーできたのかもしれないんだけど。

さらに、縁結びに効き目があるスポットもあるんだけど、例によって例のごとく“恋みくじ”が置いてあって、見てみると“男性用”・“女性用”に別れているので僕は憤慨した。恋に男も女も関係あるかいな。平安時代じゃないんだから。

神道の神様って、太古には両性具有だったと大学の時に習った覚えがある。何代目かにイザナギイザナミの男女二柱に別れて、それから国作り神話につながるのだ、と。
神社に祀られてるのは神代の神様でもイザナギイザナミ以降の神様がほとんどだし、実在の亡くなった方を祀ってることも多いから、たいていの神社の神様には性別がある。明治期に国家神道が確立して、それは家父長制の確立とワンセットのものだったろうから、神社が男女にこだわるのは仕方ないのかもしれない。

仕方ないのかもしれないとは思うが、やはりしんどいものはしんどい。“天皇家の繁栄を祈りましょう。”だの“教育勅語です。問題ありません。ご自由にお取りください。”だの、そんな国家神道の名残が感じられる掲示物たちにもしんどさを感じながら僕は神社を去った。


京都旅行の最終日、特に予定もたてずに街をうろついた。街の中にも寺社がたくさんあった。

そんななか、“女人往生”と書いてある石柱に目が止まった。“女人往生 さかれんげ阿弥陀如来”。安養寺というお寺さんだった。「是非お詣りしていこう」と、母と二人で足を踏み入れた。

なんでも、昔、女人は往生できないとされていた時代に女人のための阿弥陀さまをつくろうとした坊さんがいたらしい。えらい。それで像を作るのだが、何度やってもうまくいかず、蓮華座を上下逆さまにしてみたらうまくできたので“さかれんげ阿弥陀如来”ということになったのだそうだ。
ご本尊に近づくことはできず、遠くからでは蓮華座が逆さになっていることは確認できなかったが、とにかくえらい坊さんであるなあと思ってお詣りした。


女人は往生できないというのは、仏教が中国経由で日本に入ってくる間に形成された考え方で、本来的には仏教は男女平等である。男女平等どころか「性別には、男・女・男でも女でもある・男でも女でもない、の四種類がある」なんて考え方まである。これは大学の時に仏典を読む講義で読まされた文章のなかに出てきたもので、僕は驚嘆したのだが、愚かだったので出典を控えるのを忘れていて今でも後悔している。出典がわかる方がいらっしゃったら教えてください。

法華経には“龍女成仏”という話が載っていて、ようするに「人間でなくても、女でも、成仏できる!」という話である。龍女ちゃんが成仏するとき「たちまち股間に男性器が生えて成仏しました」っていう描写があって、「やっぱり女性は男性を経てからでないと成仏できないのだ」という説と「両性具有になった・性別を越えた存在になったという意味の表現である」という説とがあるらしい。僕は後者が正しいんじゃないかなあと思うんだけれどどうだろうか。まあ、仮に龍女ちゃんが成仏するとき一時的に男になってたとしても一瞬のことだし、女性が成仏できることには間違いない。

蓮華座を逆さまにしたらうまくいったという話には、国作り神話の「イザナミ(女神)がイザナギ(男神)を誘ったらうまくいかなかったけれど、イザナギイザナミを誘ってみたらうまくできた(子作りのときは男から誘うようにしましょう)」ってくだりを思い出して微妙な気持ちにはなったけど、女人は往生できないとされていた時代にも女人往生のための阿弥陀さまをつくった坊さんがいたというのには希望が持てる。やっぱり仏教っていいな、救いがあるな、なにしろすべての衆生を救う宗教だからな、と、仏教への信心をあらたにして、僕の京都旅行は終わった。

ラブポーションサーティワンとチョコレートミント

今週のお題「好きなアイス」


僕の好きなアイスといえば、あれだ。サーティワンアイスクリームのラブポーションサーティワンと、チョコレートミント。この2つ。

サーティワンアイスクリームは31日を「サーティワンの日」として、ダブルのアイスクリームを31%OFFで売っている。僕がサーティワンに行くのはサーティワンの日か真夏の雪だるま大作戦かチャレンジザトリプルか募金すればシングル無料のときくらい。だから、必然的に僕のアイスの基本はダブルだということになるのである。ラブポーションサーティワンとチョコレートミント。この2つ。

31日になると、サーティワンアイスクリームにアイスを食べに行くのが我々母娘のお決まりだった。僕が中学生くらいのときから、ずっとずっと、それが続いている。ちょっとしたお楽しみイベントとしてそれは存在していて、僕が上京して母と別々に暮らすようになっても「31日だからサーティワンに来てるよ!」「わたしもこれから行く!」とLINEでやりとりすることが続いてきた。母はしょっちゅうこっちに来るから、31日に母が僕の家にいるときはもちろん、二人でサーティワンアイスクリームに出かける。

僕もいつか、人の親になったら、なんかそういう“ちょっとしたお楽しみイベント”とか作れるといいなあって思う。水曜日はママと一緒に映画を見に行く日!とか。アッキー(娘のニックネーム)が玄関にラベンダー色のランドセルを放り投げて、「ママ!映画館行こ!」って僕のことを呼ぶのを想像する。僕は「こないだのテスト頑張ったから、今日はポップコーン買おっか!」と返す。娘とハグする。そして急いで支度をして、出かける。「映画たのしみだね!」………うん。素敵だ。

映画館にアイスクリーム屋さんが入っているかもしれない。そしたらポップコーンじゃなくてアイスでもいいな。映画を見たあと、アイスクリームを食べながら娘と感想を語り合う。「世界観はよかったけどストーリーはイマイチ」。アッキーは辛口である。「でも、戦うシーンかっこよかったじゃない」僕は映画をフォローしてあげる。そうだ、その頃には映画業界に行った友達がそれなりの地位についているかもしれない。パンフレットを広げて、「これママの友達」って自慢する。「ふうん」とアッキーは興味なさげにする。
「そのアイス、一口ちょうだい」「いいよ」アッキーから一口もらう。「ママのも一口あげようか?」「いらない。わたし、チョコミント好きじゃないもん」断られる。

そんな妄想をしながら、食べるアイスはおいしい。今年はサーティワンの日と真夏の雪だるま大作戦が被っている。どっちにしようかな。どちらでも、わたしが選ぶのはもちろん、ラブポーションサーティーワンと、チョコレートミント。

(この記事は7/31に公開するつもりだったものです)

「キャリア形成についてちゃんと考えろ」と上司は言った

「もっと、自分のキャリア形成についてちゃんと考えたほうがいいよ」と、上司に言われたのは年度末の面談のとき。「5年後こうなっていたいとか、10年後こうしていたいとか」。

それからずっと、一人でぐるぐる考えている。



先日、例年のごとく誕生日がやってきて、僕は26歳になった。いよいよ“アラサー”といった感じ。
ネットで目にする「婚活」とか「妊活」とか「保活」とかいう単語が、他人事ではなくなってきてしまっている、感じ。


昨年度末、アラサーの会社の女の先輩が二人、妊婦さんだったんだけれど、三月末付けで、一人は産休育休に入り、一人は会社を辞めてしまった。

妊娠したら、休むか辞めるかの二択だ。
近い将来、自分にもその選択が迫られる日が来るかもしれないと思うと、なんだかおそろしい。

休むとして、休んでる間は動けないわけで、復帰しても時短勤務とかになっちゃう確率が高いわけで。そういう事態に追い込まれるのが、いつ起きることなのか、ある程度コントロールはできるけれども完全に予測することは不可能なわけで。

僕がどんなにキャリア形成を考えたところで、日本の未来も会社の未来も自分の未来もさっぱり見えない今じゃ、考えるだけ無駄だとしか思えないんだ。





四月になって、「まあ、ひさしぶり!」と現れたその女の人の顔を僕は忘れていたけれど、産休育休明けで帰ってきたワーママだということがその後の会話からわかった。弊社、ワーママが少なくないんだけど、まあ、それなりに、ワーママが働きやすい環境なんだろうなって思う。


とりあえず、ざっくりとした目標として、「この会社でワーママになる」というのは、まあ、わるくないかもしれない。

キャリア形成については、やっぱり、考えるだけ無駄だと思うけれど、「目標をたてて目標に向かってがんばる」というのはとても大事なことかなって思えてきたから、とりあえず短期の目標だけ掲げることにした。

夏までに
・やせる(筋肉をつけて体脂肪率を減らす)
・ためてしまっている特撮の録画したやつを消化して現行作品に追い付く
・見ようと思っていて見てなかった映画をやっつける

仕事一ミリも関係ねえな…………。


そもそも、上司が「キャリア形成についてちゃんと考えたほうがいいよ」なんて言い出したのは、彼が比較的仕事熱心マンだからだ。一方で、僕は違う。僕はこうやって仕事不熱心マンとしての目標を掲げるなんて着地点を見出ださなくても「俺は仕事不熱心マンだからキャリア形成なんか死ね!」で済ましてもよかったのかもしれない。
それなのに“キャリア形成”というワードが妙に心に引っ掛かるのは、やっぱり「会社で活躍してワーママの星になりたい」みたいな思いがどっかにあるからなんだと思う。入社したばかりのキラキラ新卒だったとき、確かにそう思っていた、ような気がするそれが心のどこかに残っているんだ。


「ワーママの星になりたい」「セクマイの星になりたい」「壇蜜になりたい」「中川翔子になりたい」。それでいい。そのくらいざっくりとした目標でいい。自分が果たしていつまで働き続けるのかはわからないけど、働く気があるならあと30年以上働くことができる。仕事は長期戦だ。だから、ざっくりでいい。

「キャリア形成について“ちゃんと”考える」なんて無理、だけど自分なりに自分の将来を“ちゃんと”考えて生きていきたい。とりあえず、夏までの目標をたてて、夏になったら秋までの目標をたてればいい。そう思う。

人間、一歩ずつしか歩けないのだから。