生きてると疲れる

疲れたら休む

『トイ・ストーリー3』を見た

トイ・ストーリー3』を見た。


母と、ディズニーランドに行っては「トイ・ストーリー、2までしか見てないね…今度3見ようか」と言い、ディズニーシーに行っては「そういえば、まだ3見てないね」と言い、ツムツムをやっては「こいつ、よく知らないけどロッツォっていうのか」と言い、ピクサー展に行っては「この熊なに?」「ロッツォだよ!わたしもよく知らないけど!」と言い……。
何度も見る見る詐欺をくりかえしたり、いよいよ借りてやろうとTSUTAYAに行ったら借りられていて無かったりしていたあの『トイ・ストーリー3』がこの度やっとレンタルできたのである。
めでたいことである。これでやっとトイ・ストーリー完走だ。


TSUTAYAでは『オデッセイ』のレンタル開始が宣伝されまくっていた。
「あ…これも見たかったのに見ないままになってたやつだ…見なきゃ…」と僕が呟くと、「それってどんなのだっけ?」と母が聞いてきた。
「火星で芋育てるやつ」
「ああ、“ひとりぼっちになるやつ”ね」
僕はびっくりした。こないだ『WALL-E』のことを“ひとりぼっちになるやつ”って言ってた母が、今度は『オデッセイ』を同じ枠に投げ込んでしまった。なんてことだ。

『オデッセイ』は早稲田松竹で近日中に公開されるらしいのでそのときに見ようかと思っている。



さて、『トイ・ストーリー3』の話だが、これはなかなか良い映画だった。

持ち主が大人になってしまったあとのおもちゃたちの行方をめぐる物語だったが、僕も手持ちのおもちゃを大処分したことあるからそのときのことを思い出しながら見た。これは、現役の子供たちだけでなく、大人になってしまったかつての子供たちのための映画でもあるんだなと感じた。

従妹にあげちゃったシルバニアファミリーのみんなは元気にしているだろうか。
実家の押し入れにしまいこまれているプラレールたちは、いつか僕に子供ができたらまた遊べると信じてその時を待っていたりするんだろうか。
リサイクルショップに売ってしまったいろいろなおもちゃは、大切にしてくれる誰かの手に渡っているだろうか。
そんなことに思いを巡らせた。


母も「やっぱり、大切にしてたやつは捨てられないもんね」って、ウッディだけを手元に残して、他のおもちゃも人にあげずにしまっておこうとしたアンディに理解を示していた。「私が子供の頃は手塚治虫のアニメとかやってたわけだけど、今で言う食玩みたいなやつもいっぱい売ってて、それの中身もパッケージも、どこかの押し入れを探せば出てくると思う」。僕は、正直パッケージはゴミなんじゃないかと思ったけど黙って聞いていた。パッケージだって保存状態によってはまんだらけとかで売れるかもしれないし。


大人はきっと、自分とおもちゃの関係を思い出しながら見るだろう。子供はどうか。

この映画は、現役の子供に対する強烈なメッセージを持っていた。“あなたのおもちゃはあなたのことが大好きだよ!”
子供たちはそれに気付いたとき、きっとうれしいだろうし、自分のおもちゃをもっと大事に扱うようになるだろう。

おもちゃにとっての幸せは、持ち主に大切にされて遊んでもらえること、っていうふうに描くのが、すごく教育的だなあと思った。2も「遊んでこそのおもちゃだ」っていう映画だったと思うのだけど、3ではそれがさらに強く打ち出されていた。



おもちゃは、おもちゃなのである。
子供が遊ぶために作られた一種の道具であり、遊ぶことこそ本分なのだ。


たとえば、『TED』だとテッドは「持ち主」だった男性と親友の関係になる。しゃべれるからだ。親友と共に成長し、大人になった彼は、人間の恋人や市民権まで得てしまう。彼はもう、おもちゃじゃない。

あるいは、『魔法つかいプリキュア!』では、主人公が幼い頃から大切にしている熊のぬいぐるみが魔法の力でしゃべるようになる。しゃべれるようになって、ずっと主人公とおしゃべりしたいと思っていたのだと喜ぶシーンがある。単なる主人公のおまけ扱いではなく、魔法の気配を嗅ぎ付ける能力を持っていたり、妖精の赤ちゃんのお世話をしたり、実質的“変身アイテム”の役割をこなしたりと八面六臂の活躍を見せる。もはやおもちゃではない。


それに対して、トイ・ストーリーのおもちゃたちは、あくまでもおもちゃである。子供たちが遊ぶためのものであり、子供と一緒に成長なんかしない。いつまでも子供たちの世界にいるのだ。

アンディはウッディのことをすごく気に入っていて大学生活にまで持ち込もうとするし、ウッディはウッディで、自分たちはアンディのおもちゃなのだからアンディのもとへ帰らなければならないと力説する。彼らは深い愛情で結び付いているが、アンディはウッディの気持ちなんて知らない。ウッディは人間とコミュニケーションをとらない、おもちゃだから。


アンディが、少し迷ってから、ウッディを新しい持ち主に与えるラストはすごくよかったと思う。アンディは大人になる。ウッディは子供たちの世界にいる。さよならだけが人生だ。





ボニーが自分のとなりに人形たちを並べて寝ているシーンで、僕とピカ氏は「僕たちとおんなじだね」と微笑みあった。僕はいつまで子供たちの世界にいるつもりなんだろう。

私はいつも浮いている

自分が浮いてることに気付きはじめたのは、いつのことだったろう。


参観日に、クラスのみんなは目立たないように暗い色の服ばかり着ているのに対して、自分はそういう日に限って参観日だなんてことすっかり忘れていてピンクの服なんか着てしまって悪目立ちしている、そういうことが何度もあるって気付いた小学校高学年の頃か。

それとも、「ラーメンは塩と醤油とどっちが好き?」に「ラーメンきらい」と答え、「目玉焼きはソース派?醤油派?」に「目玉焼ききらい」と答えていた、小学校低学年の頃か。

もっと前、幼稚園児の頃に、女の友達と遊ぶのも男の友達と遊ぶのもそれぞれにたのしいのに、自分以外に男の子とあそぼうとする女の子が全然いないことに気付いたときか。



なんか、馴染めなかった。世界に。

僕は、そういうものなんだな、と思った。


それに気付いてから、意識的にか無意識的にか、僕は、まわりの人とは違う行動を好むようになった。周囲の人たちは僕のことを目立ちたがりだと思ったかもしれないが、目立つことは目的ではなく手段だった。
ヤドクガエルが、目立つことによって自らに毒があることを周囲に知らせ、自らの身を守るように。目立つことは防御の手段だった。“普通の人”だと思われたくなくて、“普通の人”みたいに扱われたくなくて、僕は、いつでも“ちょっと変”な人であろうとしていた。それが僕だから。

まあ、なにぶん、中学生の時であるから、中二病の一種と言ってもいいのかもしれないけれど。“ちょっと変”な人であることがちょっとカッコいいと思っていたのは、否定しない。


しかし、“ちょっと変”であろうとして、いろいろな“ちょっと変”に手を出してみた結果、僕はちょっとどころじゃなく“だいぶ変”なのだということに気付かされることとなったのだった。



僕は、普段は様々な一人称をTPOとかそのときの気分によって使いわけているのだが、“僕”が登場したのは中3のとき、仮面ライダーカブトの擬態天道の影響によるものである。イケメンが自分のこと“僕”って言うのめっちゃ良いなって思ったから、イケメンでもないのに使い始めた。使い始めてすぐに、ものすごくしっくりくることに気づいてしまった。これは、小学生の時はすごく仲良くしてたのに、なんとなく疎遠になってしまっていた、自分のなかの“男の子”との再会であった。


小学生の時に、“自分と付き合っていた”時期があった。
その時期は、寝る前に鏡に向かって話しかけるのが日課だった。毎日すこし話すだけの、とっても健全なお付き合いだった。鏡のこちらにいるのが“女の子”の私で、向こう側にいるのが“男の子”の僕だという設定だった。なんとなく、自分のなかに“女の子”と“男の子”の両方がいるような気がしていて、それの表出の一つだったのだろうと、今では思う。


高校生の頃、だったと思う。トランスジェンダーの人を取り扱ってる新聞の記事を見て、僕は自分がTかもしれないことを発見した。
“心の性”“体の性”という言葉たちと初めて出会ったのがそのときだった。僕は、性別というものは体のつくりの違いにしか存在していなくて、その体を使う側の“意識”とか“感情”とかには性の別はないものだと考えていたから、だからこそ体の違いに関係ない分野での男女差別は絶対に許さないマンだったから――“心の性”なんて概念は衝撃的だった。
僕は母に聞いた。「体の性別に関係なく、自分は女性だと思う?」
母は答えた。「思うよ。君は思わないの?」
衝撃的だった。とにかく衝撃的だった。



自分の“心の性”について、改めて考えてみて、自分は“Xジェンダー(不定性)”でありかつ“オートガイネフィリア”な“バイセクシャル”であると結論付けたのが、たぶん大学一年のとき。Xの人たちとtwitterで知り合って、たまにオフ会で会ったりもするようになったのは二年生のとき。


twitterにはいろんな人がいるから、僕はここでなら“普通の人”になれるかなってちょっと思った。けど、子供の頃ラーメンきらいだったのに今ではうまかっちゃんにマヨネーズかけて食べるのが好きって人にはまだ出会えてないし、死んだ魚を見るのが好きって人にも出会えてない。気が付いたらフォロワーの数が1500を超えててサークルの後輩からはアルファツイッタラー呼ばわりされるし、やっぱ僕はどこまで行っても“ちょっと変”なのかもしれないって思う。



“ちょっと変”な自分のことは好き。
でも、公の場ではできるだけ隠したほうがいいのかなって、思ってた。

就活のときはスカートスーツにポニーテールだったし、就職して、最初の職場では“ちょっと変”なところを隠して“普通の人”のふりをしなきゃいけないと思って、自分なりにルールを考えた。“一人称は「私」オンリーにする”“セクシャリティはカミングアウトしない”の二点である。しかし、そのルールを守ることは精神的につらいことであった。秘密を守ろうとすると嘘に嘘を重ねるはめになるから、どんどん自分がわからなくなった。嘘を重ねないために、できるだけしゃべらないでいたら、もっとしゃべったほうがいいよって言われたりした。つらかった。


休職があって、異動があって、新しい職場ではなんとか今のところはうまくやれてる。ルールを変更したからかもしれない。新しいルールはこうだ。“脚色はしても嘘はつかない”“できるだけしゃべる”。

もう、精神的に弱いこととか、マザコンであることとかはバレちゃってるし、オタクであることはオープンにしてるし、機会があったらセクシャリティのこともカミングアウトしてもいいかなってちょっと思ってる。ラーメンにマヨネーズかけて食べることも、死んだ魚を見るのが好きなことも言ってみてもいいかもしれない。まあ、機会があればだけど。

どうせ何か言っても、言わずに黙っていても僕は浮いてしまうのだから、どっちでも同じことだ。それに、浮いてるの慣れっこだから浮いちゃっても大丈夫だと思う。そんなに悪いもんじゃないですよ、浮いてしまうことは。

満足なソクラテスになりたい

会社っていうところは、「貴方は必要とされている」というメッセージと「貴方のかわりはいくらでもいる」というメッセージ、この二つを同時に突きつけてくる。


僕は僕で、かけがえのない自分になりたくて、わるあがきをしたりする。
誰にでもできるような仕事に、ほんのちょっぴりだけ自分のカラーを足してみたりする。それになんの意味があるかわからないけど。




今の職場や仕事にもそこそこ満足しているし、今の住居のことも好きだし、ごはんはおいしいし、おやつもおいしい。少数精鋭な友達もいるし、ファンですって言ってくれる人もいるし、かわいい家族のピカ氏もいるし、親の理解に恵まれているし、なによりも自分のことを愛している。

しあわせと言ってしまえば、しあわせなのかもしれない。



だけれど、何か、ばたばた忙しくしているうちに過ぎ去っていく日々がかなしくて、僕はわるあがきを、する。ブログ書いてるのだってわるあがきだ。何か、満ち足りないところを埋めようとしてるのだ。


なにが、満ち足りないんだろう。

無限の欲望があって、基本的に、やったことないことはやってみたいと思う。
いろんな人や物事と出会いたいし、いろんなスキル身に付けたいし、もっと強くなりたいし、いろんなことを知りたい。



人は必ず死ぬのだから、満足して死にたいなあと思う。
満足なソクラテスになりたい。それが無理なら、満足な豚でもいい。満足なのがよい。でも、愚かなのはダメだ。愚かな人は、意図せずに自分や他人を傷つけることがあるからダメ。できるだけ、きちんといろんなことを知っていて、きちんといろんなことを考えられる人になりたい。


でも、知るって残酷だ。なにかを“知る”こと以上に不可逆なものはないんじゃないかと思う。

僕は、すごくセンシティブなところがあって、それはたぶん小学生の頃にいじめにあってからのことだ。ある日突然、自分以外のクラスメイトが全員、僕に対して不快感を示してくる、そういうタイプのやつ。暴力とか嫌がらせみたいなわかりやすいやつじゃなくて、クラスの空気を操ってくる系の攻撃。一番威力の高いイジメ。まあ、僕は元々友達がとても少なかったし、ぼんやりしててマイペースだから、自分がいじめられてることに数ヶ月気付かなかったんだけど。

もしかしたら自分はいじめられてるんじゃないか、と思った僕はまず母に相談し、そうしたら担任に相談するように言われ、担任に相談したら担任がすごく有能だったのであっという間に解決した。さすがに担任も、僕が認識していた“いじめられ始めた時期”と、クラスメイトたちが自白した“いじめ始めた時期”が大きくズレているのには驚いたようだったけど。

クラスメイトのみんなは反省して、昼休みに僕を「一緒に体育館であそぼう」って誘ってきたりしたけど、僕は本が読みたかったからお断りした。その対応が不適切であったことは後から知った。その後二度と誘われることはなかったが、僕はとっくに地元の中学には行かないことが決まっていたから気楽なものだった。彼らに二度と会うことはないだろう、バイバイ、って感じ。


気楽でなかったのは母である。僕がいじめられてた(ことに気付いた)事件によって、そもそも僕は“友達の作り方”を知らないんじゃないかという疑惑が出てきて、問題視された。
「どうしてたくさん本読んでるのに友達の作り方とか付き合い方とかがわからないの?」と母は聞いた。
「ああいうのはフィクションだと思ってた」と僕は答えた。

僕は、僕で、なんとなく自分が浮いてることに気付きつつはあったが、その疑念に決定打を打たれた気分だった。12歳にして友達の作り方がわからないだなんて!空気が読めなさすぎるだなんて!

母は、僕に「とにかく挨拶しろ」「自分から話しかけるのが苦手なんだったら、話しかけられるのを待て、そしてその子と会話をできるだけ続けろ」「にこにこしろ」などといったアドバイスをしてきた。そうしたら中学生になって友達ができたりして、彼氏もできたりして、一緒にあそびに行く人なんかも出てきた。しかし、そうしていると僕は「人とあそぶより一人であそんでたほうがたのしいな……」ということに気付いてしまって、そうしてなんとなく疎遠になって、またしても友達はすごく少なくなっていった。

その後も、だいたいそんなことの繰り返しだった。
たぶん、一回いじめられ(ていることに気付い)たそのときの気持ちがまだどこかに残ってて、人付き合いってものそれ自体に恐怖を抱くようになってしまったのだと思う。できるだけ人と関わりたくなかった。


twitterを始めてセクマイクラスタのみんなに出会って、大学でオタサーに入ってオタクのみんなと出会って、それで初めて、両親以外の“自分に似てる人たち”に出会えて、遅れてきた青春をたのしむことがようやくできた。しかしそれと同時に、またしても僕は知ってしまった。いや、薄々気付いてはいたんだけどね。世界は僕たちのようなもののためにはできていないということに。

知ってしまったら後戻りはできないのだ。



「僕は、自分自身と、自分に似ている人たちのために戦う」、これは僕の人生のスローガンである。つらいときやかなしいときに自分に言い聞かせる。

僕は、本当なら、もう、誰かのために戦い始めているべきなのかもしれなかった。けど、就職して半年で休職したりなんかして、今は今を生きることでいっぱいいっぱいで、それどころじゃない。
でも僕は、基本的に前向きだから、「休職した経験を生かして、これから休職しちゃう人を応援できるな」って思う。まだまだ、僕の人生は、学ぶ段階にあるのかなって思う。学ぶべきことがたくさんあるんだ。

そう、思う。


本当は、会社にとって僕が必要か必要じゃないか、かけがえがあるかないかなんて関係ないんだ。僕は僕にとって大切な存在だし、会社だって世界だって、いつか僕が変えてやるんだ。もっとマシな世界にしてやるんだ。

そういうことのために、僕はこの先の人生を使っていきたいんだ。だから、まだまだ学ぶ必要がある。

知識欲が無限にあって、知れば知るほどさらに知りたくなるような欲望だから、満たすのは難しいんだけど、知識を得るだけじゃなくて何かに生かせたら……、そしたら満足できるかもしれないと思う。

今は、僕にとって会社で経験値を積むことは必要だ。だから、会社のほうからも必要な存在だと思われればwin-winな関係になれる。そうなりたい。

僕にとって、僕はかけがえのない僕だから。

レイコさんとばあちゃんと僕

今週のお題「マイベスト家電」


レイコさんは賢い。僕が好きなものをちゃんと知っていて、僕が気に入りそうなものがあるととっておいてくれる。僕が忘れてたり知らなかったりしたものでも、ちゃんととっておいてくれる。でも、僕がレイコさんに構わないで何日も過ごすと、レイコさんはとっておいてくれるのをやめてしまう。
レイコさんには容量があるから。


レイコさんは、僕の家のブルーレイレコーダーである。
僕が上京するときに、父が買ってくれた。



“大学生の一人暮らしにテレビは必要か”というのは、“異性間の友情は成立するか”とか“ニワトリと卵はどっちが先か”とか“バナナはおやつに入りますか”とかと同様に、永遠のテーマである。当然、僕と両親もその問題にぶちあたったが、幸いしたのは両親ともオタクだったこと。僕が、テレビとレコーダーはオタク必需品だ!できるだけ大きいテレビと、できるだけちゃんとしたレコーダーが欲しい!と主張したところ、両親は理解を示してくれた。そして父が買ってくれたのが、一人暮らしの狭い部屋には不釣り合いな大きいテレビと、レイコさんである。

“レイコさん”という名前は、ブルーレイレコーダーであることから取った安直なものだ。しかし、他の家電には名前をつけなかったのにレイコさんにだけは名前だけでなく敬称までつけていることから、僕にとってレイコさんがいかに特別なものかわかっていただけると思う。
なんか、実家を出て、これから一人前のオタクになるぞ!というときに、これからのオタクライフを支えてくれるレイコさんの存在がすごくうれしかったのだ。


レイコさんには便利な機能があった。僕が「特撮番組は基本的に録っといて」って設定したら、特撮は全部録るようになった。賢いなあと感心して、好きなアイドルの名前とか、セクシャリティを表す言葉とか、僕はレイコさんにいろいろ教えた。レイコさんは、僕の興味ありそうな番組をほとんどみんな録ってくれるようになった。

でも、しばらくするとレイコさんの優秀さに僕がついていけなくなってしまった。



冬季うつが僕を襲ったのである。

抑うつ状態になると、とてもつらい感じになって、気力も体力も失われてしまう。映像作品を見るだけの簡単なオタ活でさえも、つらくてできなくなってしまう。

僕は、生活が昼夜逆転してしまったり、何も食べないで寝まくったり、全然寝ないで食べまくったり、した。
抑うつ状態は良くなったり悪くなったりを繰り返した。ひどかったときは完全に引きこもり状態になり、ごはんもたべないので、友達に単位と身体の心配をされた。

でも、比較的元気なときには、昼夜逆転してしまった生活はそれなりにたのしいものでもあった。僕は日が暮れないとやる気がでないタイプの人間なので、そっちのほうがむいてるのかもしれなかった。普段はなにもする気がしないのに、夜中に妙にやる気が出てきて、うつのせいで溜め込んでしまった洗濯物を一気に片付けたりした。

洗濯機に衣類を放り込んでから、洗い終わるのを待つまでの時間が、レイコさんが録り溜めていた特撮番組をやっつけるのにちょうどいいかなって思ったのが、僕にひさしぶりにテレビとレコーダーを起動させるきっかけとなった。

僕が何もしないでぐだぐだしていたあいだ、レイコさんはひたすら“特撮”を録り続けていてくれていた。容量オーバーになっても、一生懸命“特撮”を録り続けようとしていた痕跡があった。レイコさんは、自分で判断して録ることにしたものよりも、僕のリクエストを重視して、自分が録ったものを消してまでスーパーヒーロータイムを録っていてくれていたのだ。そして、“特撮”枠で録画されたもののなかには“特撮”じゃないものもいくらかまぎれこんでいるということもわかった。

過去に特撮ヒーローを演じた俳優がゲストのトーク番組なんかも録られていたし、たまになんでも鑑定団が録られているのは特撮関係の貴重なコレクションが登場するからであった。ここまではまあわかるとして、松井秀喜の情報も録られていたのは解せなかった。きっと番組説明のなかに「ゴジラ」の三文字を見つけたがための行為だろう。でも、松井秀喜は特撮じゃない。

レイコさんには“特撮”がわからないのである。



なんか、ばあちゃんみたいだな、と僕は思った。

ばあちゃんちにあそびに行くと、必ず晩ごはんにマグロの赤身と釜揚げしらすが出てくる。これは、僕が子供の頃にマグロの赤身と釜揚げしらすが大好きだったのを、ばあちゃんがしっかり覚えているからである。マグロの赤身と釜揚げしらすは今でも好物だからうれしいのだけれど、これが幼い頃は好きだったけど今ではそうでもないものをばあちゃんが“孫の好物”として覚えていたら、と思うとぞっとする。

実際、ばあちゃんが、僕があまいもの好きだと思ってイチゴのショートケーキを買ってきたことがあったが、僕は昔から生クリームとイチゴが苦手なので戸惑った。“あまいもの”なんて雑な言葉で覚えているとそうなるんである。
“怪獣”も、ばあちゃんの脳内の孫の好物リストに載っているらしくて、テレビで怪獣らしきものが出る度に「ほら!お前が好きな怪獣だよ!」なんて言ってくるが、僕が好きな怪獣だったためしがない。


レイコさんは僕が“特撮”好きなのを知っているけれど、レイコさんには“特撮”がわからない。わからないなりに、真面目に、機械的に仕事をした結果があれなのである。レイコさんは機械だから、機械的に仕事をする、それが結果的にはばあちゃんの行動に似ているというのは、かなり面白いことだと思う。ばあちゃんもレイコさんも、僕の好きなものを単語としてしか知らないのだ。


大学生のとき、夜中に酒飲みながらウルトラマンを見るのは最高だった。今でも夜に家で録り溜めた特撮を少しずつ見るのが好きだ。サラリーマンの趣味としてはとても健全だと思う。
レイコさんも、テレ玉で再放送してるウルトラQの存在を僕に教えてくれるなどの活躍を見せている。相変わらずときどき特撮じゃないものも勝手に録るけど、そういうとこも合わせて好きだよ。

『レミーのおいしいレストラン』を見た

『レミーのおいしいレストラン』を見た。


というのも、先日ピクサー展に行って、未見の作品の多さに気付いたからだ。公開当時はそんなに魅力的に感じなくて見なかった作品たちが、展示を見るにつけ、だんだん魅力的に思えてきたから、母と僕はそれらを少しずつTSUTAYAで借りて見ることに決めたのだった。


本当は、今回は『トイ・ストーリー3』を見るつもりだった。2までしか見てなかったからね。でも、近所のTSUTAYAに行ったら借りられてなくなってた。母からは「ひとりぼっちになるやつ」を見るっていう案も出されたんだけど、母はタイトルを思い出せないし、僕は母の説明が何の作品を示しているかわからなかったからその案はボツになった。そんなわけで、次点で気になっていた『レミーのおいしいレストラン』を見ることになった。

DVDを再生し始めて、最初に流れるCMたちのなかに「ひとりぼっちになるやつ」があった。『WALL-E』だった。「これだよこれ!」と母は言った。「いや…“ひとりぼっちになるやつ”でこれ思い出すのむずかしすぎるでしょ…」と僕は返した。「わかるでしょ!ピクサーの作品なのはわかってるんだから!」
そんな話をしているうちに、メニュー画面になって、本編がスタートした。


見始めて、少しして母が「レミーって女の子だと思ってたけど違うのね…」なんて言うから、僕は「平野じゃないんだよ」と返した。

なんとなく、『レミーのおいしいレストラン』ってタイトルがたのしそうだったから、たのしい映画なのかなって思ってたけど、意外と結構つらかった。ネズミが大活躍する映画だよってピカ氏に教えたら見たがったから、ピカ氏も一緒に見てたんだけど、ネズミがつらいめに合うシーンではピカ氏の目をふさいでやらなくてはならなかった。


レミーが小さい体で危機をかいくぐるシーンが多くて、ハラハラさせられた。僕はハラハラするの好きじゃないから、そこは気に入らなかった。僕がどのくらいハラハラするの好きじゃないかと言うと、幼い頃『ひみつのアッコちゃん』でアッコちゃんがいろんな人物になりすますのを「バレたらどうしよう!」って思ってハラハラして見ていられなかったくらいである。


レミーが自分のいた所こそパリ(の地下)だったのだと気付くシーンとか、男社会で生き抜いてきた女性の描写とか、レミーとリングイニのコミュニケーションの様子とか、いいなって思うところはたくさんあった。けど、どうにも“ネズミを嫌う社会”とか“ラタトゥイユという家庭料理”とか、全然ピンとこなくて、よくわからないまま見終えてしまった感じがある。
人間に嫌われてて、特にキッチンでは忌避される生き物と言えばゴキブリだが、ゴキブリって意思疏通できなさそうだし料理とか無理そうだから、単純にゴキブリに置き換えられない。
ラタトゥイユは煮込み料理らしいから、まあ、肉じゃがくらいのポジションなのかなあ。


ラストでは人間とネズミの共生が描かれていて、一応ハッピーエンドでよかったなと思うんだけど、人間とネズミが対等に信頼しあって尊敬しあっていけるのはあの店のなかだけなんだと思うとやっぱりちょっとつらい。それに、ネズミって寿命短いから、あのあとシェフが死んじゃったらどうなるんだろうって勝手に心配しちゃう。うーん。

たぶん、料理の才能を持っているところ以外は、ネズミのおかれた現実を描いていたんだと思うんだけど、なんかやっぱりよくわからない。
差別に負けずにがんばろうぜっていう話でもなかったし、みんな生きるのに必死、やりたいことに必死な映画だった。あの一応のハッピーエンドが、まあ、現実的な幸せってとこなのかな。


見終わってから、母が「シェフに感謝したいって思ったことないな…そんなにおいしいって、どんな感じなんだろう…」って言うから、「それは、名のあるシェフのところに食べに行かないからだよ」って教えてあげた。
名のあるシェフの料理、すごいのかなあ。

6センチのヒールと僕

今週のお題「わたしの一足」


大学生のとき。

ひょんなことからヒーローショーでスーパーヒロインを演じることになった僕が一番苦労したのは、コスチュームの一部であるブーツの、踵の高さ(6センチ)に適応することだった。
踵が高い靴なんて、20年生きてきてほとんど履いたことがなかった。


僕は運動神経がわるい。小学生のときはクラスで一番足が遅かったし、体育の成績は「がんばりましょう」とか「2」とかばっかりだったし、高校のときは学校のプールで溺れかけたこともある(そのとき助けてくれたクラスメイトは、今では体育の先生になっているらしい)。そこに加えて6センチヒールである。アクションなんかできるはずもない。


それでもなんとかスーパーヒロインの役を全うしたかった僕は、普段から踵の高いブーツを履いて、慣らすことを思いついた。

池袋のABCマートで、そのときはまだAKBのメンバーだった麻里子様が店頭に飾られている雑誌のなかで履いていた、ABCマートの自社ブランドのやつを買った。麻里子様が好きだったし、どんな服とも合わせやすそうなデザインだと思ったし、それにヒールが6センチだったから。店員に「今なら靴下とセットで買うと安いですよ」って言われたから、「じゃあ、このブーツに似合うやつください」って言って店員に見繕ってもらって、靴下も買った。

6センチのヒールがあるブーツ。
158センチの私を164センチに変えてくれる魔法の靴。


はじめてのヒールだ。買った日はちょっぴりどきどきして家に帰って、その晩さっそくそれを履いて出かけた。と言っても目的もなく近所を散歩しただけなんだけど、いつもの景色が、いつもとは違う角度から見ると全く新鮮なものに見えた。たのしかった。
僕はそれまでぺたんこのスニーカーとかしか履いてこなかった。それはもちろんラクチンだからだし、ラクチンじゃない靴って選択肢としてあんまり考えたことなかったんだけど、履いてみたらたのしいって気づいた。背が高くなるし、シルエットもきれいだし、見える世界も変わる。自分のことカッコいいってちょっぴり思える。

僕は少しずつ履く時間を長くして、歩く距離を長くして、足を慣らしていった。しばらくしたらそれを履いて、学校にも行けるようになった。


それを履いて学校に行くと、「あれ?なんかでかくなった?」って友達に言われたりして愉快だった。170くらいある男の友達と、目線の高さが合うのがなんだかうれしかった。


それを履いて毎日学校に行って、慣れてくるとスーパーヒロインのブーツも履きこなせるようになっていった。アクションは難しかったが、かわいらしく歩くくらいのことはできてきた。アクションも先輩が一生懸命教えてくれるので、なんとかモノになってきた。


ヒーローショーの本番ではちょっとした事件があって、僕はかなしい思いをしたんだけど、それはまた別のお話。




ヒーローショーが終わっても、6センチのヒールのブーツはすっかり僕のお気に入りになっていたから、春も秋も履き続けた。履くと、背が高くなるのに比例して少し強くなれるような気がした。いっぱい履いていっぱい歩いた。
いっぱい履くからすぐ踵が削れて、穴が開いて、2、3回修理に出した。

3年くらい履き続けて、ぼろっぼろになって、もう直すより新しいの買ったほうが安いなって思ったから、捨てた。




捨てて、似たようなブーツをまた買った。でも、それだけじゃない。今では僕の家の靴箱には、たくさんの踵が高い靴が入ってる。お気に入りのレインブーツ、卒業式に履いたサンダル、会社に履いていくパンプス……みんなヒールがある。
みんなみんな、僕が、あのときスーパーヒロインを演じることにならなかったら、スーパーヒロインが6センチのヒールがあるコスチュームじゃなかったら、きっと買わなかった靴たちだ。
僕はそれまでヒールなんて履こうとも思わなかったのに、あのときヒロインに選ばれたから、その役を全うしようと思ったから、ヒールがある靴を履くようになって、そしたらたのしくて、なんとなく服装とかにも気を遣うようになったりとかしたんだ。服装の傾向が少し変わってニーソ履きはじめたり、メイクしはじめたりしたのもこの頃だ。
初めは6センチのヒールめっちゃつらかったけど、いつのまにか慣れて、もっと高いのもイケるようになって、卒業式で履いたサンダルなんて10センチもヒールがある。高いヒールの靴を履くのって、強要されるものでなければ、つまり、自分で選んだこととしてやるのだったら、たのしい。たのしいし、自分がちょっとカッコよくなる気がするから良い。自分で自分のことカッコいいって思えるのって最高でしょ。



こうやって考えてみると、あの靴は僕の人生を少し変えてくれた存在なのかもしれないなあと思う。捨てちゃったけど。

帰ってきたゆっきたーん

最近、ひさしぶりに、また会社に行き始めた。



そう、職場復帰である。
残業にドクターストップがかかってて、残業代が出ないぶん休職前より給与は少なくなるんだけど、食うに困るほどじゃない。残業は疲労対効果を考えるとそんなにいいもんじゃないと思ってる僕としては万々歳だ。「お先に失礼しまーす!」って言って、とっとと帰る。帰って、ごはん食べて、テレビ少し見て、風呂はいって、テレビ少し見て、寝る。

会社に行くと上司とか、上司の上司とかがいろいろ気にかけたり心配したりしてくれる。「大丈夫?」とか「よく寝てね」とか言う。
家に帰れば「ごはんたべてよく休もうね」って母が出迎えてくれる。

なんかみんなやさしい。


小学生のとき、ちょっとした病気、風邪か何かで休んだときのことを思い出す。クラスメイトのなかで家が近いやつが僕の家に学校からのお便りを届けてくれて、見るとクラスのみんなからのお手紙がついてて、普段そんなに仲良くないやつまで「早く直して学校こいよ!」とか書いてる――そういうやつはたいてい漢字が苦手――のを見たとき、そう、そんな気分だ。

僕は家で寝たり時々テレビ見たりして過ごせばいいし、母もやさしいし、クラスのみんなもやさしい。これで病気じゃなければ最高なのになって思ってから、病気のせいでみんながやさしくなってるんだって思い出す……そう、そんな気分。



休職明けたばかりだから、そんなにしんどい仕事は回ってこないんだけど、それでもやっぱり健康なときより疲れやすい。今日一日、ほとんど座ってただけなのにめっちゃ疲れてるぞ、と思ったりする。
まだ、治りかけなんだよね。無理しちゃいけない。


みんながやさしくしてくれるけど、結局、自分を守れるのは自分しかいないから、自分が一番自分にやさしくしなきゃいけないよなあ、とか思う。
自分にやさしくするのは、きっと他人にやさしくするための練習なんだ。僕なんか、クラスメイトが病欠して「みんなで手紙書こう!」ってなってるときに、あんまり仲良くないやつだったら書かない派の小学生だったし、今でもわりとそうだから、そういうとこ直すラストチャンスとして神とか仏とか天とか的な何かから与えられた病気なのかもしれない。

そう、ピンチはチャンスだし痛さは強さなのだ。


この経験を生かして大活躍してやるんだから見てろよ弊社!!!!




と、まあ、こんな感じで、みなさんのおかげで、僕は抑うつなりに元気にしています。
それから、病気のおかげで異動があって、土曜日がおやすみになったから、みんな遠慮せず遊びに誘ってくれよな!!!!体調的に無理そうだったら断るから!!!!!!