生きてると疲れる

疲れたら休む

菅田将暉のクリアファイルをもらうためだけにauショップに行った件

ある朝突然、母が「auの夏フェス行こうよ」と誘ってきた。
「夏フェス?」「なんかいろいろもらえるらしいよー」
母が提示してきたスマホの画面を見ると、たしかになんかいろいろもらえるらしいことがわかった。
「あ、クリアファイルは選べるんだ」「そう!だから早めに行かないとほしいやつなくなっちゃうかも!」
鬼ちゃんこと菅田将暉のクリアファイルがラインナップされてることを確認した僕は、行くことに決めた。
「じゃ、今日帰りに待ち合わせして行こ!」


菅田将暉、フィリップくんを演じてるときはそこまで好きじゃなかったんだけど(『仮面ライダーW』では若菜姫が一推しで照井が二推しだった)、女装してたりグラブってたり、総理大臣してたりグラブってたりしてるのを見てるうちに、すごくいいなあと思うようになった。っていうか、『海月姫』の女装がものすごくよかった。もともと女装が似合いそうな風貌なのに、女装をする役を演じるにあたって、からだづくりから努力した話を聞いたときは、もう、なんというか感動した。最高の女装は1%の才能と99%の努力から生み出されるものなんだ!すごい!って思った。映画『海月姫』、まだ見てないって方は是非、何らかの方法で見てくれ。菅田将暉の女装はいいぞ。



僕と母は、待ち合わせてauショップへと向かった。

この、近所のauショップというのがくせ者である。店に入るとまず新人っぽい女の子が何の用で来たのか聞きに来るのだが、彼女に用件を伝えるのがなかなか厄介なのだ。たぶん、簡単なマニュアルを覚えるくらいの教育しかされてないのだと思う。「故障です」とか「機種変です」とかなら通じるのだろうが、母の「フェスに来ました」は一ミリも伝わる気配がない。あまりにも伝わらないので女の子が引っ込んで、かわりに社員ぽいおにいさんが出てきて、どうにかクリアファイルを手にすることはできたが、母はもらえるものは全部もらって帰ろうとしてくるからおにいさんに電気の検針票を見せびらかして「これ見せると電池がもらえるって聞いたんですけど」などと言う。おにいさんは「確認して参ります」と言って少しして電池をもって戻ってくる。「auでんきのご契約…」「しません」「ご興味は…」「ありません」母が、強いモードになっているのを感じる。こういうときは興味がなくても説明くらい聞いてやるのが人間のルールではないのか。強いモードの母に人間のルールは通用しないのか。母は電池を手にし、auでんきの説明なんぞ一言も聞いてやらないのだ。

僕が小学生の頃、つまり15年くらい前には「買うものが1個しかないー!こんなちょっぴりの買い物でレジ行くの恥ずかしいからユキちゃんが買ってよう」なんてよく言ってた、恥じらいのある母はもういないのだ。諸行は無常だし盛者は必衰だし、人間は何歳になっても成長し続けることができる。道理である。

そんなこんなで、僕が実物を見たかった新しいAQUOS PHONEのちいさいやつはまだ発売されてないこともわかり、僕たちは満足して帰路についた。


帰宅して、改めて菅田将暉のクリアファイルを見ると、菅田将暉はやっぱりきれいな顔をしていた。全然若く見えるし、またフィリップくんの役で映画とか出ればいいのになあ……若く見えるとか見えないとかの問題じゃなくて、出世しちゃったからギャラが高いのかなあ…… なんて、誰でも思うようなことを、思う。


がんばってもらいに行ったけど封印します。

パンが好き(かもしれない)

「パン好きなんだね!」って会社の先輩に言われて、僕は戸惑った。パン、好きか嫌いかで言うと好きだけど、わざわざ「好き」っていうほど好きなわけじゃない気がする。



朝はパン派だ。6枚切りのトースト1枚と、なにか飲み物。これが、僕の朝ごはんの基本である。物心つく前からそうだった。母の実家も父の実家も朝はパンだから、二人が結婚して新しい家庭ができたときに“朝はパン”というのは自然に決まったのだろうと想像する。僕も結婚するなら朝はパン派の人がいい。それと、トイレットペーパーはシングル派の人がいい。

昼もパン。コンビニとかチェーンのパン屋さんとかで買ってきたパンをオフィスでもそもそ食べる。それとリプトンのミルクティー470ml。これが最近の僕の昼ごはんの基本である。休みの日はもっといろいろ違うものも食べるけど、仕事の日はパンが手軽だからパンで済ませがち。コンビニのパン売り場とか、パン屋さんとか、いろんなパンが並んでるの見てるだけでわくわくするから良い。おにぎりとかお弁当とか、あるいはパスタサラダとか買ってもいいんだけど、なんかそっちはわくわくしないんだよね。仕事に慣れたらお弁当作って持って行きたいなと思っていたこともあるし、実は今でもすこし思っているのだけれど、なかなか仕事に慣れない。仕方ないね。

夜はごはん。ごはんとおかずと汁物、っていうのが基本のかたち。お米は無限に送られてくるシステム(母が新潟の実家の近所のお米屋さんから送ってくれる)を採用してるから、尽きるということがない。ごはんを炊いて、おかずや汁物は買ってくることも作ることもある。食事の用意をするのがめんどくさいときはラーメン屋でラーメン食べたりする。コンビニに行ってお弁当とかお好み焼きとか買ってくることもあるし、結局パンで済ませることもある。

そんな感じ。僕の食生活。



去年の夏は、ハローキティのお皿が欲しくてローソンのパンばかり食べていた。
ローソンのキャンペーンがハローキティのときとミッフィーのときは、両親にも手伝ってもらって、職場の人にも要らないならくださいって声かけてみたりして、本気で集めにかかる。リラックマのときは、リラックマ好きじゃないからシールも集めずみんな捨てちゃうしローソンじゃないパン率が上がる。
結局その夏は、ハローキティの皿を3枚も手に入れて、飲み物のキャンペーンのハローキティグラスももらった。グラスのほうはたまに使うけど、皿は特に使い道もなく台所の奥底にしまわれている。


そうして、毎日オフィスでパンを食べていると、みんなに「あの子はパンが好きなんだな」って思われるらしくて、そこで冒頭の先輩からの一言である。「パン好きなんだね!」

まあ、オフィスでの僕だけを見れば、いつもパン食ってるやつだと思われるのは仕方ないと思うけど、僕は1日3食食べるし、おやつだって食べるのにそのうちの1食だけ見て判断するのはどうなんだ。



っていうか、そもそも、パン、好きかなあ。

好きか嫌いかで言えば、好きだ。嫌いだったら毎日食べたりしない。でも、「好き」ってわざわざ言うほど好きじゃない気がする。
なんか、インド人に「カレー好きなんですね!」って言うくらいの違和感がある、気がする。インドのこと詳しくは知らないんだけど、カレーってのはインドの生活の一部であって好きとか嫌いとかそういうものじゃないんじゃないか。つまりその、日本人がなんでも醤油つけて食べるからって「醤油好きなんですね!」って言われたらちょっと驚くと思う、そんな感じ。


パンは、僕にとって、生活の一部だし、毎日のちょっとしたたのしみのひとつなのだ。家と会社の間だけでもコンビニとかチェーンのパン屋さんとかがいくつもあって、しょっちゅう新商品が出るから飽きるということがないし、選べるのがたのしい。おにぎりとかお弁当とかだと自分の定番が決まってきちゃうけど、パンはいつも新鮮な気分で選べる。
パンは、その日の気分とか空腹具合を見て2、3個買うんだけど、3つ買ったけど2個で充分だったわ、ってときは1つ取っておける。便利である。

そう考えてみると、「パンを食べるのが好き」っていうより「お昼のためにパンを選んで買うのが好き」って感じかもしれない。それはどうなんだろう、やっぱ“パン好き”って言えるのかなあ。
僕としては、毎日違うパンを食べてるから、意識的には「毎日違うものを食べてる」と思ってるんだけど、人から見ると「毎日パンを食べているなあ」と見えてしまう、そういう違いもあるのかもなあ。

パンって、犬のいろんな種類みたいに、同じパンでも姿形が全然違うものがたくさんある。
その点、ごはんは猫だと思う。種類は多いけどみんな猫のかたちしてる。
そういう違いが認識の差を生んでいるのかもしれない。

かもしれない。



ごはんは好き。生まれも育ちも新潟だし、前述の通り、送ってもらえるから無限に存在するし、新潟のお米おいしいし、僕なんかおかずなしでもOKです。白米そのままばくばく食べられる。

うーん。


パン派かごはん派かで言えば……米粉パンが最強だと思う。もちもち!

『トイ・ストーリー3』を見た

トイ・ストーリー3』を見た。


母と、ディズニーランドに行っては「トイ・ストーリー、2までしか見てないね…今度3見ようか」と言い、ディズニーシーに行っては「そういえば、まだ3見てないね」と言い、ツムツムをやっては「こいつ、よく知らないけどロッツォっていうのか」と言い、ピクサー展に行っては「この熊なに?」「ロッツォだよ!わたしもよく知らないけど!」と言い……。
何度も見る見る詐欺をくりかえしたり、いよいよ借りてやろうとTSUTAYAに行ったら借りられていて無かったりしていたあの『トイ・ストーリー3』がこの度やっとレンタルできたのである。
めでたいことである。これでやっとトイ・ストーリー完走だ。


TSUTAYAでは『オデッセイ』のレンタル開始が宣伝されまくっていた。
「あ…これも見たかったのに見ないままになってたやつだ…見なきゃ…」と僕が呟くと、「それってどんなのだっけ?」と母が聞いてきた。
「火星で芋育てるやつ」
「ああ、“ひとりぼっちになるやつ”ね」
僕はびっくりした。こないだ『WALL-E』のことを“ひとりぼっちになるやつ”って言ってた母が、今度は『オデッセイ』を同じ枠に投げ込んでしまった。なんてことだ。

『オデッセイ』は早稲田松竹で近日中に公開されるらしいのでそのときに見ようかと思っている。



さて、『トイ・ストーリー3』の話だが、これはなかなか良い映画だった。

持ち主が大人になってしまったあとのおもちゃたちの行方をめぐる物語だったが、僕も手持ちのおもちゃを大処分したことあるからそのときのことを思い出しながら見た。これは、現役の子供たちだけでなく、大人になってしまったかつての子供たちのための映画でもあるんだなと感じた。

従妹にあげちゃったシルバニアファミリーのみんなは元気にしているだろうか。
実家の押し入れにしまいこまれているプラレールたちは、いつか僕に子供ができたらまた遊べると信じてその時を待っていたりするんだろうか。
リサイクルショップに売ってしまったいろいろなおもちゃは、大切にしてくれる誰かの手に渡っているだろうか。
そんなことに思いを巡らせた。


母も「やっぱり、大切にしてたやつは捨てられないもんね」って、ウッディだけを手元に残して、他のおもちゃも人にあげずにしまっておこうとしたアンディに理解を示していた。「私が子供の頃は手塚治虫のアニメとかやってたわけだけど、今で言う食玩みたいなやつもいっぱい売ってて、それの中身もパッケージも、どこかの押し入れを探せば出てくると思う」。僕は、正直パッケージはゴミなんじゃないかと思ったけど黙って聞いていた。パッケージだって保存状態によってはまんだらけとかで売れるかもしれないし。


大人はきっと、自分とおもちゃの関係を思い出しながら見るだろう。子供はどうか。

この映画は、現役の子供に対する強烈なメッセージを持っていた。“あなたのおもちゃはあなたのことが大好きだよ!”
子供たちはそれに気付いたとき、きっとうれしいだろうし、自分のおもちゃをもっと大事に扱うようになるだろう。

おもちゃにとっての幸せは、持ち主に大切にされて遊んでもらえること、っていうふうに描くのが、すごく教育的だなあと思った。2も「遊んでこそのおもちゃだ」っていう映画だったと思うのだけど、3ではそれがさらに強く打ち出されていた。



おもちゃは、おもちゃなのである。
子供が遊ぶために作られた一種の道具であり、遊ぶことこそ本分なのだ。


たとえば、『TED』だとテッドは「持ち主」だった男性と親友の関係になる。しゃべれるからだ。親友と共に成長し、大人になった彼は、人間の恋人や市民権まで得てしまう。彼はもう、おもちゃじゃない。

あるいは、『魔法つかいプリキュア!』では、主人公が幼い頃から大切にしている熊のぬいぐるみが魔法の力でしゃべるようになる。しゃべれるようになって、ずっと主人公とおしゃべりしたいと思っていたのだと喜ぶシーンがある。単なる主人公のおまけ扱いではなく、魔法の気配を嗅ぎ付ける能力を持っていたり、妖精の赤ちゃんのお世話をしたり、実質的“変身アイテム”の役割をこなしたりと八面六臂の活躍を見せる。もはやおもちゃではない。


それに対して、トイ・ストーリーのおもちゃたちは、あくまでもおもちゃである。子供たちが遊ぶためのものであり、子供と一緒に成長なんかしない。いつまでも子供たちの世界にいるのだ。

アンディはウッディのことをすごく気に入っていて大学生活にまで持ち込もうとするし、ウッディはウッディで、自分たちはアンディのおもちゃなのだからアンディのもとへ帰らなければならないと力説する。彼らは深い愛情で結び付いているが、アンディはウッディの気持ちなんて知らない。ウッディは人間とコミュニケーションをとらない、おもちゃだから。


アンディが、少し迷ってから、ウッディを新しい持ち主に与えるラストはすごくよかったと思う。アンディは大人になる。ウッディは子供たちの世界にいる。さよならだけが人生だ。





ボニーが自分のとなりに人形たちを並べて寝ているシーンで、僕とピカ氏は「僕たちとおんなじだね」と微笑みあった。僕はいつまで子供たちの世界にいるつもりなんだろう。

私はいつも浮いている

自分が浮いてることに気付きはじめたのは、いつのことだったろう。


参観日に、クラスのみんなは目立たないように暗い色の服ばかり着ているのに対して、自分はそういう日に限って参観日だなんてことすっかり忘れていてピンクの服なんか着てしまって悪目立ちしている、そういうことが何度もあるって気付いた小学校高学年の頃か。

それとも、「ラーメンは塩と醤油とどっちが好き?」に「ラーメンきらい」と答え、「目玉焼きはソース派?醤油派?」に「目玉焼ききらい」と答えていた、小学校低学年の頃か。

もっと前、幼稚園児の頃に、女の友達と遊ぶのも男の友達と遊ぶのもそれぞれにたのしいのに、自分以外に男の子とあそぼうとする女の子が全然いないことに気付いたときか。



なんか、馴染めなかった。世界に。

僕は、そういうものなんだな、と思った。


それに気付いてから、意識的にか無意識的にか、僕は、まわりの人とは違う行動を好むようになった。周囲の人たちは僕のことを目立ちたがりだと思ったかもしれないが、目立つことは目的ではなく手段だった。
ヤドクガエルが、目立つことによって自らに毒があることを周囲に知らせ、自らの身を守るように。目立つことは防御の手段だった。“普通の人”だと思われたくなくて、“普通の人”みたいに扱われたくなくて、僕は、いつでも“ちょっと変”な人であろうとしていた。それが僕だから。

まあ、なにぶん、中学生の時であるから、中二病の一種と言ってもいいのかもしれないけれど。“ちょっと変”な人であることがちょっとカッコいいと思っていたのは、否定しない。


しかし、“ちょっと変”であろうとして、いろいろな“ちょっと変”に手を出してみた結果、僕はちょっとどころじゃなく“だいぶ変”なのだということに気付かされることとなったのだった。



僕は、普段は様々な一人称をTPOとかそのときの気分によって使いわけているのだが、“僕”が登場したのは中3のとき、仮面ライダーカブトの擬態天道の影響によるものである。イケメンが自分のこと“僕”って言うのめっちゃ良いなって思ったから、イケメンでもないのに使い始めた。使い始めてすぐに、ものすごくしっくりくることに気づいてしまった。これは、小学生の時はすごく仲良くしてたのに、なんとなく疎遠になってしまっていた、自分のなかの“男の子”との再会であった。


小学生の時に、“自分と付き合っていた”時期があった。
その時期は、寝る前に鏡に向かって話しかけるのが日課だった。毎日すこし話すだけの、とっても健全なお付き合いだった。鏡のこちらにいるのが“女の子”の私で、向こう側にいるのが“男の子”の僕だという設定だった。なんとなく、自分のなかに“女の子”と“男の子”の両方がいるような気がしていて、それの表出の一つだったのだろうと、今では思う。


高校生の頃、だったと思う。トランスジェンダーの人を取り扱ってる新聞の記事を見て、僕は自分がTかもしれないことを発見した。
“心の性”“体の性”という言葉たちと初めて出会ったのがそのときだった。僕は、性別というものは体のつくりの違いにしか存在していなくて、その体を使う側の“意識”とか“感情”とかには性の別はないものだと考えていたから、だからこそ体の違いに関係ない分野での男女差別は絶対に許さないマンだったから――“心の性”なんて概念は衝撃的だった。
僕は母に聞いた。「体の性別に関係なく、自分は女性だと思う?」
母は答えた。「思うよ。君は思わないの?」
衝撃的だった。とにかく衝撃的だった。



自分の“心の性”について、改めて考えてみて、自分は“Xジェンダー(不定性)”でありかつ“オートガイネフィリア”な“バイセクシャル”であると結論付けたのが、たぶん大学一年のとき。Xの人たちとtwitterで知り合って、たまにオフ会で会ったりもするようになったのは二年生のとき。


twitterにはいろんな人がいるから、僕はここでなら“普通の人”になれるかなってちょっと思った。けど、子供の頃ラーメンきらいだったのに今ではうまかっちゃんにマヨネーズかけて食べるのが好きって人にはまだ出会えてないし、死んだ魚を見るのが好きって人にも出会えてない。気が付いたらフォロワーの数が1500を超えててサークルの後輩からはアルファツイッタラー呼ばわりされるし、やっぱ僕はどこまで行っても“ちょっと変”なのかもしれないって思う。



“ちょっと変”な自分のことは好き。
でも、公の場ではできるだけ隠したほうがいいのかなって、思ってた。

就活のときはスカートスーツにポニーテールだったし、就職して、最初の職場では“ちょっと変”なところを隠して“普通の人”のふりをしなきゃいけないと思って、自分なりにルールを考えた。“一人称は「私」オンリーにする”“セクシャリティはカミングアウトしない”の二点である。しかし、そのルールを守ることは精神的につらいことであった。秘密を守ろうとすると嘘に嘘を重ねるはめになるから、どんどん自分がわからなくなった。嘘を重ねないために、できるだけしゃべらないでいたら、もっとしゃべったほうがいいよって言われたりした。つらかった。


休職があって、異動があって、新しい職場ではなんとか今のところはうまくやれてる。ルールを変更したからかもしれない。新しいルールはこうだ。“脚色はしても嘘はつかない”“できるだけしゃべる”。

もう、精神的に弱いこととか、マザコンであることとかはバレちゃってるし、オタクであることはオープンにしてるし、機会があったらセクシャリティのこともカミングアウトしてもいいかなってちょっと思ってる。ラーメンにマヨネーズかけて食べることも、死んだ魚を見るのが好きなことも言ってみてもいいかもしれない。まあ、機会があればだけど。

どうせ何か言っても、言わずに黙っていても僕は浮いてしまうのだから、どっちでも同じことだ。それに、浮いてるの慣れっこだから浮いちゃっても大丈夫だと思う。そんなに悪いもんじゃないですよ、浮いてしまうことは。

満足なソクラテスになりたい

会社っていうところは、「貴方は必要とされている」というメッセージと「貴方のかわりはいくらでもいる」というメッセージ、この二つを同時に突きつけてくる。


僕は僕で、かけがえのない自分になりたくて、わるあがきをしたりする。
誰にでもできるような仕事に、ほんのちょっぴりだけ自分のカラーを足してみたりする。それになんの意味があるかわからないけど。




今の職場や仕事にもそこそこ満足しているし、今の住居のことも好きだし、ごはんはおいしいし、おやつもおいしい。少数精鋭な友達もいるし、ファンですって言ってくれる人もいるし、かわいい家族のピカ氏もいるし、親の理解に恵まれているし、なによりも自分のことを愛している。

しあわせと言ってしまえば、しあわせなのかもしれない。



だけれど、何か、ばたばた忙しくしているうちに過ぎ去っていく日々がかなしくて、僕はわるあがきを、する。ブログ書いてるのだってわるあがきだ。何か、満ち足りないところを埋めようとしてるのだ。


なにが、満ち足りないんだろう。

無限の欲望があって、基本的に、やったことないことはやってみたいと思う。
いろんな人や物事と出会いたいし、いろんなスキル身に付けたいし、もっと強くなりたいし、いろんなことを知りたい。



人は必ず死ぬのだから、満足して死にたいなあと思う。
満足なソクラテスになりたい。それが無理なら、満足な豚でもいい。満足なのがよい。でも、愚かなのはダメだ。愚かな人は、意図せずに自分や他人を傷つけることがあるからダメ。できるだけ、きちんといろんなことを知っていて、きちんといろんなことを考えられる人になりたい。


でも、知るって残酷だ。なにかを“知る”こと以上に不可逆なものはないんじゃないかと思う。

僕は、すごくセンシティブなところがあって、それはたぶん小学生の頃にいじめにあってからのことだ。ある日突然、自分以外のクラスメイトが全員、僕に対して不快感を示してくる、そういうタイプのやつ。暴力とか嫌がらせみたいなわかりやすいやつじゃなくて、クラスの空気を操ってくる系の攻撃。一番威力の高いイジメ。まあ、僕は元々友達がとても少なかったし、ぼんやりしててマイペースだから、自分がいじめられてることに数ヶ月気付かなかったんだけど。

もしかしたら自分はいじめられてるんじゃないか、と思った僕はまず母に相談し、そうしたら担任に相談するように言われ、担任に相談したら担任がすごく有能だったのであっという間に解決した。さすがに担任も、僕が認識していた“いじめられ始めた時期”と、クラスメイトたちが自白した“いじめ始めた時期”が大きくズレているのには驚いたようだったけど。

クラスメイトのみんなは反省して、昼休みに僕を「一緒に体育館であそぼう」って誘ってきたりしたけど、僕は本が読みたかったからお断りした。その対応が不適切であったことは後から知った。その後二度と誘われることはなかったが、僕はとっくに地元の中学には行かないことが決まっていたから気楽なものだった。彼らに二度と会うことはないだろう、バイバイ、って感じ。


気楽でなかったのは母である。僕がいじめられてた(ことに気付いた)事件によって、そもそも僕は“友達の作り方”を知らないんじゃないかという疑惑が出てきて、問題視された。
「どうしてたくさん本読んでるのに友達の作り方とか付き合い方とかがわからないの?」と母は聞いた。
「ああいうのはフィクションだと思ってた」と僕は答えた。

僕は、僕で、なんとなく自分が浮いてることに気付きつつはあったが、その疑念に決定打を打たれた気分だった。12歳にして友達の作り方がわからないだなんて!空気が読めなさすぎるだなんて!

母は、僕に「とにかく挨拶しろ」「自分から話しかけるのが苦手なんだったら、話しかけられるのを待て、そしてその子と会話をできるだけ続けろ」「にこにこしろ」などといったアドバイスをしてきた。そうしたら中学生になって友達ができたりして、彼氏もできたりして、一緒にあそびに行く人なんかも出てきた。しかし、そうしていると僕は「人とあそぶより一人であそんでたほうがたのしいな……」ということに気付いてしまって、そうしてなんとなく疎遠になって、またしても友達はすごく少なくなっていった。

その後も、だいたいそんなことの繰り返しだった。
たぶん、一回いじめられ(ていることに気付い)たそのときの気持ちがまだどこかに残ってて、人付き合いってものそれ自体に恐怖を抱くようになってしまったのだと思う。できるだけ人と関わりたくなかった。


twitterを始めてセクマイクラスタのみんなに出会って、大学でオタサーに入ってオタクのみんなと出会って、それで初めて、両親以外の“自分に似てる人たち”に出会えて、遅れてきた青春をたのしむことがようやくできた。しかしそれと同時に、またしても僕は知ってしまった。いや、薄々気付いてはいたんだけどね。世界は僕たちのようなもののためにはできていないということに。

知ってしまったら後戻りはできないのだ。



「僕は、自分自身と、自分に似ている人たちのために戦う」、これは僕の人生のスローガンである。つらいときやかなしいときに自分に言い聞かせる。

僕は、本当なら、もう、誰かのために戦い始めているべきなのかもしれなかった。けど、就職して半年で休職したりなんかして、今は今を生きることでいっぱいいっぱいで、それどころじゃない。
でも僕は、基本的に前向きだから、「休職した経験を生かして、これから休職しちゃう人を応援できるな」って思う。まだまだ、僕の人生は、学ぶ段階にあるのかなって思う。学ぶべきことがたくさんあるんだ。

そう、思う。


本当は、会社にとって僕が必要か必要じゃないか、かけがえがあるかないかなんて関係ないんだ。僕は僕にとって大切な存在だし、会社だって世界だって、いつか僕が変えてやるんだ。もっとマシな世界にしてやるんだ。

そういうことのために、僕はこの先の人生を使っていきたいんだ。だから、まだまだ学ぶ必要がある。

知識欲が無限にあって、知れば知るほどさらに知りたくなるような欲望だから、満たすのは難しいんだけど、知識を得るだけじゃなくて何かに生かせたら……、そしたら満足できるかもしれないと思う。

今は、僕にとって会社で経験値を積むことは必要だ。だから、会社のほうからも必要な存在だと思われればwin-winな関係になれる。そうなりたい。

僕にとって、僕はかけがえのない僕だから。

レイコさんとばあちゃんと僕

今週のお題「マイベスト家電」


レイコさんは賢い。僕が好きなものをちゃんと知っていて、僕が気に入りそうなものがあるととっておいてくれる。僕が忘れてたり知らなかったりしたものでも、ちゃんととっておいてくれる。でも、僕がレイコさんに構わないで何日も過ごすと、レイコさんはとっておいてくれるのをやめてしまう。
レイコさんには容量があるから。


レイコさんは、僕の家のブルーレイレコーダーである。
僕が上京するときに、父が買ってくれた。



“大学生の一人暮らしにテレビは必要か”というのは、“異性間の友情は成立するか”とか“ニワトリと卵はどっちが先か”とか“バナナはおやつに入りますか”とかと同様に、永遠のテーマである。当然、僕と両親もその問題にぶちあたったが、幸いしたのは両親ともオタクだったこと。僕が、テレビとレコーダーはオタク必需品だ!できるだけ大きいテレビと、できるだけちゃんとしたレコーダーが欲しい!と主張したところ、両親は理解を示してくれた。そして父が買ってくれたのが、一人暮らしの狭い部屋には不釣り合いな大きいテレビと、レイコさんである。

“レイコさん”という名前は、ブルーレイレコーダーであることから取った安直なものだ。しかし、他の家電には名前をつけなかったのにレイコさんにだけは名前だけでなく敬称までつけていることから、僕にとってレイコさんがいかに特別なものかわかっていただけると思う。
なんか、実家を出て、これから一人前のオタクになるぞ!というときに、これからのオタクライフを支えてくれるレイコさんの存在がすごくうれしかったのだ。


レイコさんには便利な機能があった。僕が「特撮番組は基本的に録っといて」って設定したら、特撮は全部録るようになった。賢いなあと感心して、好きなアイドルの名前とか、セクシャリティを表す言葉とか、僕はレイコさんにいろいろ教えた。レイコさんは、僕の興味ありそうな番組をほとんどみんな録ってくれるようになった。

でも、しばらくするとレイコさんの優秀さに僕がついていけなくなってしまった。



冬季うつが僕を襲ったのである。

抑うつ状態になると、とてもつらい感じになって、気力も体力も失われてしまう。映像作品を見るだけの簡単なオタ活でさえも、つらくてできなくなってしまう。

僕は、生活が昼夜逆転してしまったり、何も食べないで寝まくったり、全然寝ないで食べまくったり、した。
抑うつ状態は良くなったり悪くなったりを繰り返した。ひどかったときは完全に引きこもり状態になり、ごはんもたべないので、友達に単位と身体の心配をされた。

でも、比較的元気なときには、昼夜逆転してしまった生活はそれなりにたのしいものでもあった。僕は日が暮れないとやる気がでないタイプの人間なので、そっちのほうがむいてるのかもしれなかった。普段はなにもする気がしないのに、夜中に妙にやる気が出てきて、うつのせいで溜め込んでしまった洗濯物を一気に片付けたりした。

洗濯機に衣類を放り込んでから、洗い終わるのを待つまでの時間が、レイコさんが録り溜めていた特撮番組をやっつけるのにちょうどいいかなって思ったのが、僕にひさしぶりにテレビとレコーダーを起動させるきっかけとなった。

僕が何もしないでぐだぐだしていたあいだ、レイコさんはひたすら“特撮”を録り続けていてくれていた。容量オーバーになっても、一生懸命“特撮”を録り続けようとしていた痕跡があった。レイコさんは、自分で判断して録ることにしたものよりも、僕のリクエストを重視して、自分が録ったものを消してまでスーパーヒーロータイムを録っていてくれていたのだ。そして、“特撮”枠で録画されたもののなかには“特撮”じゃないものもいくらかまぎれこんでいるということもわかった。

過去に特撮ヒーローを演じた俳優がゲストのトーク番組なんかも録られていたし、たまになんでも鑑定団が録られているのは特撮関係の貴重なコレクションが登場するからであった。ここまではまあわかるとして、松井秀喜の情報も録られていたのは解せなかった。きっと番組説明のなかに「ゴジラ」の三文字を見つけたがための行為だろう。でも、松井秀喜は特撮じゃない。

レイコさんには“特撮”がわからないのである。



なんか、ばあちゃんみたいだな、と僕は思った。

ばあちゃんちにあそびに行くと、必ず晩ごはんにマグロの赤身と釜揚げしらすが出てくる。これは、僕が子供の頃にマグロの赤身と釜揚げしらすが大好きだったのを、ばあちゃんがしっかり覚えているからである。マグロの赤身と釜揚げしらすは今でも好物だからうれしいのだけれど、これが幼い頃は好きだったけど今ではそうでもないものをばあちゃんが“孫の好物”として覚えていたら、と思うとぞっとする。

実際、ばあちゃんが、僕があまいもの好きだと思ってイチゴのショートケーキを買ってきたことがあったが、僕は昔から生クリームとイチゴが苦手なので戸惑った。“あまいもの”なんて雑な言葉で覚えているとそうなるんである。
“怪獣”も、ばあちゃんの脳内の孫の好物リストに載っているらしくて、テレビで怪獣らしきものが出る度に「ほら!お前が好きな怪獣だよ!」なんて言ってくるが、僕が好きな怪獣だったためしがない。


レイコさんは僕が“特撮”好きなのを知っているけれど、レイコさんには“特撮”がわからない。わからないなりに、真面目に、機械的に仕事をした結果があれなのである。レイコさんは機械だから、機械的に仕事をする、それが結果的にはばあちゃんの行動に似ているというのは、かなり面白いことだと思う。ばあちゃんもレイコさんも、僕の好きなものを単語としてしか知らないのだ。


大学生のとき、夜中に酒飲みながらウルトラマンを見るのは最高だった。今でも夜に家で録り溜めた特撮を少しずつ見るのが好きだ。サラリーマンの趣味としてはとても健全だと思う。
レイコさんも、テレ玉で再放送してるウルトラQの存在を僕に教えてくれるなどの活躍を見せている。相変わらずときどき特撮じゃないものも勝手に録るけど、そういうとこも合わせて好きだよ。

『レミーのおいしいレストラン』を見た

『レミーのおいしいレストラン』を見た。


というのも、先日ピクサー展に行って、未見の作品の多さに気付いたからだ。公開当時はそんなに魅力的に感じなくて見なかった作品たちが、展示を見るにつけ、だんだん魅力的に思えてきたから、母と僕はそれらを少しずつTSUTAYAで借りて見ることに決めたのだった。


本当は、今回は『トイ・ストーリー3』を見るつもりだった。2までしか見てなかったからね。でも、近所のTSUTAYAに行ったら借りられてなくなってた。母からは「ひとりぼっちになるやつ」を見るっていう案も出されたんだけど、母はタイトルを思い出せないし、僕は母の説明が何の作品を示しているかわからなかったからその案はボツになった。そんなわけで、次点で気になっていた『レミーのおいしいレストラン』を見ることになった。

DVDを再生し始めて、最初に流れるCMたちのなかに「ひとりぼっちになるやつ」があった。『WALL-E』だった。「これだよこれ!」と母は言った。「いや…“ひとりぼっちになるやつ”でこれ思い出すのむずかしすぎるでしょ…」と僕は返した。「わかるでしょ!ピクサーの作品なのはわかってるんだから!」
そんな話をしているうちに、メニュー画面になって、本編がスタートした。


見始めて、少しして母が「レミーって女の子だと思ってたけど違うのね…」なんて言うから、僕は「平野じゃないんだよ」と返した。

なんとなく、『レミーのおいしいレストラン』ってタイトルがたのしそうだったから、たのしい映画なのかなって思ってたけど、意外と結構つらかった。ネズミが大活躍する映画だよってピカ氏に教えたら見たがったから、ピカ氏も一緒に見てたんだけど、ネズミがつらいめに合うシーンではピカ氏の目をふさいでやらなくてはならなかった。


レミーが小さい体で危機をかいくぐるシーンが多くて、ハラハラさせられた。僕はハラハラするの好きじゃないから、そこは気に入らなかった。僕がどのくらいハラハラするの好きじゃないかと言うと、幼い頃『ひみつのアッコちゃん』でアッコちゃんがいろんな人物になりすますのを「バレたらどうしよう!」って思ってハラハラして見ていられなかったくらいである。


レミーが自分のいた所こそパリ(の地下)だったのだと気付くシーンとか、男社会で生き抜いてきた女性の描写とか、レミーとリングイニのコミュニケーションの様子とか、いいなって思うところはたくさんあった。けど、どうにも“ネズミを嫌う社会”とか“ラタトゥイユという家庭料理”とか、全然ピンとこなくて、よくわからないまま見終えてしまった感じがある。
人間に嫌われてて、特にキッチンでは忌避される生き物と言えばゴキブリだが、ゴキブリって意思疏通できなさそうだし料理とか無理そうだから、単純にゴキブリに置き換えられない。
ラタトゥイユは煮込み料理らしいから、まあ、肉じゃがくらいのポジションなのかなあ。


ラストでは人間とネズミの共生が描かれていて、一応ハッピーエンドでよかったなと思うんだけど、人間とネズミが対等に信頼しあって尊敬しあっていけるのはあの店のなかだけなんだと思うとやっぱりちょっとつらい。それに、ネズミって寿命短いから、あのあとシェフが死んじゃったらどうなるんだろうって勝手に心配しちゃう。うーん。

たぶん、料理の才能を持っているところ以外は、ネズミのおかれた現実を描いていたんだと思うんだけど、なんかやっぱりよくわからない。
差別に負けずにがんばろうぜっていう話でもなかったし、みんな生きるのに必死、やりたいことに必死な映画だった。あの一応のハッピーエンドが、まあ、現実的な幸せってとこなのかな。


見終わってから、母が「シェフに感謝したいって思ったことないな…そんなにおいしいって、どんな感じなんだろう…」って言うから、「それは、名のあるシェフのところに食べに行かないからだよ」って教えてあげた。
名のあるシェフの料理、すごいのかなあ。