生きてると疲れる

東京都、26歳、会社員。これまでと、このさき。

べつに、好きで生きてるわけじゃない

仮面ライダーBLACKの主題歌を初めて聞いたとき、僕が衝撃を受けたのは、倉田てつを氏の歌が上手いとか下手だとか、これは上手いとか下手だとかを超越してるものなのだとかそんなことではなくて、歌詞に関することだった。

「生きることが好きさ」。


“生きること”が“好き”。ダイレクトな愛情表現である。

多くの人がそうであるように、僕も、生まれてきたことに意味はあるか、人生に価値があるか、そういった問いに幾度となく思いを巡らせてきた。けれど、“生きることが好きか嫌いか”なんて、それまで考えたこともなかった。

考えてみると、“生きること”は、あまり好きじゃない。人生は苦難に満ちている。仏教の言葉に「一切皆苦」というのがあるが、これは、何も思い通りにならないという意味である。本当にそうだと思う。

僕のこれまでの人生には、自分には生きるのが向いてないんじゃないかと思うことが何度もあったし、死にたくなったこともある。けれど、僕には「自分からわざわざ死を選ぶのは面倒」っていう価値観とか、「せっかくここまで生きてきたのに途中で死んだらもったいない」っていう価値観とかがある。その価値観が僕を生きさせる。それに僕はブッディストであり輪廻転生を信じているので、来世以降のために今世のうちにできるだけ徳を積んでおきたいとも思っている。
だから僕は、向こうから死がやって来るまでは絶対に死なない。


“死なない”と“生きる”は少し違う。僕は、べつに好きで生きてるわけじゃない。“生きること”それ自体を、僕は愛していない。

そりゃ、生きてれば良いことも少なくない。おいしいものを食べてるときはしあわせだし、親しい人と過ごす時間はたのしい。一人であそんでるときだって充実感がある。でも、そのために生きてるのかって言われたら違うと思う。


僕にとって“生きること”は目的ではなく手段だ。
目的があるとしたら、それはたぶん、愛情表現だ。

僕は、自分を含めた人類のこと好きだし、人類に貢献していきたいと思っているんだ。
僕のようなスーパーミラクル大天才美少女が死んでしまったら人類にとって大損失だし、スーパーミラクル大天才美少女はすべての人類がしあわせになれるように世界を導くことができると僕は信じているんだ。
大したことはできないかもしれないけど、少しだけなら世界を変えられるって信じているんだ。

本当に自分のことをスーパーミラクル大天才美少女だと思ってるわけじゃないけど、そうでも思わないとやっていけない世間のつらさみたいなものを僕なりに感じていて、それだから生きて戦うのである。自分のことを無価値だと思ってしまったらその瞬間に死ぬので、自分のことは人に迷惑をかけない程度に過大評価していくのである。大切な自分のことを一番に愛してやるのが死なずに戦うための自分の仕事なのである。人類のために、自分のために。

愛と正義、信仰と戦争、それが僕の人生であり、今日も僕は生きているのだ。