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生きてると疲れる

東京都、25歳、会社員、処女。これまでと、このさき。

今日、痴漢にあった

今日、痴漢にあった。これまでの人生で2回目の痴漢である。


運悪く夕方のラッシュに巻き込まれた僕は、すし詰め状態の電車のなかで、おしりとふとももの境界線のあたりにあたたかい何かがあたっている感触に気づいた。
そのあたたかさ、固さによって、“それ”が人間の指であることに疑いの余地はなかった。問題はわざと触っているかたまたまあたってしまっただけなのか、だ。

どちらにしても不快なので、僕はできる限り“それ”から離れようと身体をひねった。無駄だった。“それ”の持ち主と思われる人物――白い作業着のようなものを着た定年も近いであろう――“おじさん”が、僕の動きにぴったりくっついて動くのを感じた。わざと触っていることが明らかになると同時に、恐怖が僕を襲った。

ラッシュ時の電車は、駅にとまるたびにたくさんの人を下ろし、たくさんの人を乗せる。僕はその乗客の動きを利用して“おじさん”から離れようともがいた。無駄だった。“おじさん”はぴたりとついてくる。
“おじさん”は良い人を装っていた。電車が駅に着く度に、降り損ないそうな人を見つけては「まだ降りる人います!」と声を張り上げるのだった。僕の尻に手を触れさせながら。そして、降りる人のためにできた空間を、僕にぴたりとついてくるために利用するのだった。

しばらくすると、それまで単におしりを触っていただけだった“おじさん”は、指を動かし始めた。おしりの柔らかさを確かめるように。「痴漢です」って言ったら誰か助けてくれるだろうか。無理だ。なにしろすし詰め状態なのだ。誰も一歩も動けないのだ。逃げられない。怖くてしかたなかった。声なんか出るはずもなかった。

ふと、下を見ると、“おじさん”の片手が僕の胸のほうにのびてきているのを発見した。“おじさん”は片手でおしりを揉みながら、もう一方の手でおっぱいまで触ろうとしていたのだった。あまりのことに僕は息を呑んだ。僕が感づいたことに気が付いたのか、“おじさん”は手を引っ込めた。おしりは触られたままだった。


結局、“おじさん”が電車を降りるまで、僕はなにもできなかった。かなしかった。くやしかった。


母に「痴漢された…」と話すと、「災難だったね…」と言ってくれた。母が痴漢について語るとき、それを自然現象か何かのように言うことの意味がようやくわかった気がした。それはいつも突然襲ってきて、逃れようがないのだ。
でも、僕は、絶対に違うと思う。痴漢を自然現象のように捉えてはいけない。人間のやることだからである。人間のやることは、人間が正していけると信じたいからである。


どうして“おじさん”は無断で他人のおしりを触っても良いと判断したのだろうか。人権についての教育を受ける機会に恵まれなかったのだろうか。ショートパンツからのぞくナマ足を、OKのサインだと勘違いしたのだろうか。若い女ならば抵抗もできまいと甘く見て手を出したのだろうか。
僕には、人権がある。仕事のないときには法に触れない範囲で好きな格好をする権利があるし、合意なしにおしりを触られない権利もある。権利は、不断の努力をしないとなくなってしまう恐れがあるから、僕は怒りと悲しみにふるえながら、泣きそうになりながら、ここに自分の権利を主張するのである。


痴漢は人権侵害です。