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生きてると疲れる

東京都、26歳、会社員。これまでと、このさき。

ゆっきたーんは魔法少女である

魔法少女なの?」
「そうだよ」
「魔法が使えるの?」
「使えるときと使えないときがある」
「そっかあ」

魔法は使うものじゃない。体質みたいなもの。使おうとして使えるものじゃない。
スポーツ選手が、いつでもベストの記録を出せるわけじゃないのと同じ。


「いつ魔法少女になったの?」
「母が魔女だから生まれつきです」
「なるほど」

桃から生まれた桃太郎。
魔法から生まれた魔法少女
そういうことである。



母は魔女である。実年齢より一回り以上若く見える。どんなテーマでも人を惹き付ける話をすることができる。緑の手を持っている。母が近くにいると、それだけで植物も動物も元気になる。 煮物が上手で煮くずれ知らず。 そして、大抵のことは母の願った通りに進んでいく。努力ではどうにもならないことも、運のよさでなんとかしてしまう。

そんな母が、桜の季節に女の子が欲しいと思ったから、僕は桜の季節に女の子として生まれてきた。




リボンの騎士』にヘケートという女の子が出てくる。魔女の娘である。彼女はフランツ王子に力を貸し、フランツは彼女の母である魔女を倒す。
魔女が倒れたその途端、苦しみ始めたヘケートは、フランツに大変な告白をする。
「かあさんが死んだら、あたしもおしまい……あたしはね、かあさんの魔法で生まれたのよ。だから、とてももろいのよ…… 」

その台詞は、僕に衝撃を与えた。



スーパー戦隊とかプリキュアとかでは、敵が倒されると敵の力によって起きた現象(破壊活動など)はすべて元通りになる演出がよくある(元通りにならないシリーズもあるが)。しかし、“元通りになる”ことが悲劇として描かれるのは、後にも先にもヘケートの死のシーンしか見たことがなかった。


僕もそうなんじゃないか?
僕も母の魔法で産み出されたから、母が死んだら消えてしまうのではないか?

そんな気が、ずっとしている。


そんなわけないのだ。母はただの人間だし、僕だってただの人間だ。ただ、母が美人で、僕がマザコンなだけだ。
たとえば母が死んでしまっても、僕は次の日もその次の日も、生きていかなきゃいけないんだ。

母に依存するのを、いっぺんにやめるのはむずかしいとしても、少しずつ、段階的に進めていかないといけない、と思う。そうしなきゃ、本当に、母が死んだら僕もおしまいになってしまう。


僕の人生は、良いときも悪いときもあったけど、だいたいは僕にとって一番良い方向に進んでいると感じている。嫌だったことも怒ったことも、つらかったり悲しかったりしたことも、僕の人生に必要なものであったし、結果的にはすべてが良い方向への道しるべになっていると思う。
それが、偶然なのか必然なのか、母の魔法の力なのか、僕自身の魔法なのか、単にポジティブシンキングなだけなのか、それはわからない。

わからない、けど。

これまでずっと、人生は僕にとって良い方向に進んできたし、絶対これからもそうなんだって信じているんだ。
きっと僕にも母から受け継いだ魔法の力があって、いつかは母を越える魔女になれるって信じたいんだ。


ゆっきたーんは魔法少女である。