生きてると疲れる

東京都、26歳、会社員。これまでと、このさき。

ロマンティックラブイデオロギーと僕

今日もまた、Facebookに中学の同級生の結婚しました報告が流れてきたから、僕はFacebookをやめたくなった。


最近しょっちゅう結婚報告が流れてくる。昔は仲良かったけど今はほぼ音信不通なやつとか、かつてクラスメイトだったことがあるのは確かだがたぶん一言も喋ったことのないやつとか、正直誰なのか全くわからない友達の友達らしきやつとか、そういうやつがどんどん結婚していく。

まあ、ようするに、今でも付き合いが続いている友達は全然結婚なんかする気配がないってことでもある。僕自身と同じようにね。

だってまだ24、5歳だぜ? 大学出てまだ1年や2年なのに、普通、しないでしょ結婚? 僕みたいなやつに“普通”が語れるとも思われない? それは一理あるかもしれない。


Facebookを離れてtwitterに帰ると、ラブラブな女性同士のカップルとか、同じ同性愛者でも非リアなやつとか、オフパコしまくってるやつとか、婚姻制度は廃止すべきだと主張するやつとか、オタクで童貞なやつとか、オタクで非童貞なやつとか、オタクで童貞なやつとか、いろいろいる。“多様性”ってものが感じられる。ほっとする。みんなみんな生きているんだ友達なんだって感じがする。


考えてみると、結婚報告を見て「怖い!」と感じてしまうのは、そこに“(異性との恋愛)結婚は(無条件で)良いもの”という価値観が存在しているからだ。その価値観に、僕はのれない。その価値観は、“(異性との恋愛)結婚”をしない人への攻撃に、簡単に繋がってしまいかねないからだ。
結婚式のキラキラした写真と、コメント欄に溢れるたくさんの「おめでとう」。強力な“ロマンティックラブイデオロギー”を感じる。

昔から思ってたんだけど、“ロマンティックラブイデオロギー”って必殺技っぽい。ヴィーナス・ラブ・ミー・チェーンみたいな。
「くらえ!ロマンティック・ラブ・イデオロギー!!!!!!」
「ぐわあああ!!!!」
って感じ。あ、くらってるほうが僕ね。

このようにして僕は、Facebookをやめたくなる。



そもそも、結婚っておめでたいのか? そのあたりが僕にはよくわからない。

気の合う恋人との共同生活、二人の生活を守る法的な保証、それらは、それらを望む人にとっては魅力的だし必要なものだと思う。結婚を宗教的に、あるいは社会的に承認させる結婚式や披露宴も、望む人にとっては魅力的だし必要なものだと思う。
望む人が、望むようにその権利を手に入れ、儀式を執り行うことができることは喜ばしいことだ。でも、“おめでたい”ことなのかどうかっていうのは、よくわからない。


僕の結婚観は、身近に結婚離婚を繰り返している人とか、夫の親類との付き合いのために消耗していく人とかがいることによって、だいぶネガティブ寄りのイメージになってしまっている自覚はある。世の中にはいろんなカップルがいるし、うまくいってばっかりな結婚もあるのかもしれない。でもそんなのは、あったとしても少ないだろう。結婚って終わりじゃなく始まりだし、始まったら何が起こるかわからないのに、それに対するコメントを「おめでとう!」で済ませちゃうのはなんか無責任なんじゃないか。少なくとも「よかったね!これからがんばって!」くらいは言うべきなんじゃないか。

結婚を無条件におめでたいと思っちゃう人ってのは、昔の“ムラ社会”とか“イエ制度”とかの、結婚したら一人前みたいな価値観を引きずっているんじゃないかな。あるいは、結婚がハッピーエンドとして描かれる童話なんかの影響も大きいのかもしれない。


その点、最近のディズニープリンセスって結婚しないよね。メリダとかエルサとか。ティアナは結婚するけど、ティアナにとってのハッピーエンドは子供の頃からの夢(自分の店をもつこと)を叶えることとして描かれている。ラプンツェルも結婚するけど、彼女の結婚は本編中ではなく続編の短編映画で描かれる。本編のハッピーエンドは両親との再会だ。
女性の幸せは、必ずしも“愛する人との結婚”ではない…“結婚”以外のいろいろな幸せが描かれること、僕はそれを素晴らしいことだと思っている。



最近、「エルサに女性の恋人を!」っていう運動がインターネットで盛り上がっているらしい。もちろん反対意見も込みでの盛り上がりだ。

エルサは、雪や氷を操れる特殊能力を持っている。『Mr.インクレディブル』の子供たちのように超能力者の家庭に生まれたというわけではなく、たまたま生まれつきその力を持っていた…そしてその力は自分の意思で押さえ込むことが難しく、“隠さなければならないもの”と親に教え込まれ、エルサを苦しめる元凶となる…という、かなりセクシャルマイノリティのおかれやすい状況を意識したと思われる設定となっている。実際『アナと雪の女王』が公開当時、セクシャルマイノリティのコミュニティの支持を得たことはよく知られている。

そういうわけだから、エルサを初の同性のパートナーを得たディズニープリンセスにしたいという人の気持ちもまあわかる。でも、「エルサがパートナーを得てしまったら、たとえ相手が同性だとしても、『アナと雪の女王』本編では否定したロマンティックラブイデオロギーを復活させてしまうことになる!」という人の気持ちはもっとわかる。やっぱ怖いよね、ロマンティックラブイデオロギー


僕は、エルサが幸せになるなら何でも良いと思う。『アナと雪の女王』の物語のなかでは、エルサはマイナスからのスタートで最終的にプラマイゼロになるくらいのところまでしかいってないと思うから、幸せになるならどこまでも幸せになってほしい(僕は短編映画『エルサのサプライズ』未見なので、そのなかでどのくらい幸せになっているかは知らない)。
でも、エルサってロマンティックラブイデオロギーってタイプじゃない気がするし、エルサはエルサで、彼女のやり方で幸せになれば良いし、プリンセスが同性のパートナーを得る作品はまた別の機会でもいいんじゃないかな。『マレフィセント』なんかはある意味で、プリンセスが同性のパートナーを得る話だったと言えなくもない気がする。


“結婚”だけが幸せじゃないよっていうのはもう充分だから、パートナーシップがうまくいかない場合とかについてももっと言及してほしいかなっていうのもある。『魔法にかけられて』の弁護士はバツイチ子持ちだし、『ちいさなプリンセス ソフィア』のソフィアの母も子連れで結婚するから、そろそろバツイチ子持ち主人公とか来てもいい気がする。それで同性婚とかね。同性婚はエルサに無理矢理させなくても、近いうちに描いてくれるんじゃないかなって思う。最近のディズニーなら。

最近のディズニーは現実と向き合ってくれるし、女の子が強いから好き。現実と向き合いながらも、それでも、愛とか夢とかのパワーはすごいよ!信じて頑張ろう!って描き方をしてくれるから好き。


Facebookに結婚しました報告してくる人たちも、これから困難なことも少なくないと思うけれど愛とか夢とかのパワーを信じて頑張っていってほしい。陰ながら応援してます。