生きてると疲れる

東京都、26歳、会社員。これまでと、このさき。

僕たちはそのラーメン屋が大好きだった

昨日、大学生の頃はサークルの仲間と一緒に週一くらいのペースで通っていたお気に入りのラーメン屋がつぶれているのを発見して、驚きと共に大きな悲しみが僕を襲った。僕はすぐにtwitterで報告して、サークルの仲間と悲しみをシェアしたのだった。

最近、ずっとお店が閉まってるのは把握していたのだが、ゴールデンウィークで学生が少ないから閉めてるのかなくらいに考えていたので、まさかそんなことになるとは思わなかった。看板がかけかわっていて、“新規オープンにつきスタッフ募集”の張り紙がしてあって、中では工事が進められていた。違うラーメン屋になるらしかった。張り紙をよく見ると社員の待遇が僕の今の仕事よりも良かった。ラーメン屋ってキツいのかな、と僕は思った。


僕は大学受験に失敗して、一浪したものの、結局第二志望の大学に入った。
はじめは不本意だったが、入ってみれば良い大学であり、良いオタサーもあり、良いオタクたちとの出会いもあった。僕の大学生活はほとんどサークル活動に費やされた。遅れてきた青春が、そこにはあった。

週の半分はオタサーのみんなで晩ごはんを食べた。早稲田通りはラーメン屋ばっかりだった。僕にとってラーメンは苦手な食べ物のひとつだったのだが、一年生のときにサークルの仲間たちと一緒にラーメンを食べに行くことになり、腹をくくってラーメンを注文して、食べてみたら案外美味しかった。そのときのラーメン屋が、先述したラーメン屋である。
それから、僕はラーメンが好きになった。

ラーメン嫌いを克服した僕は、他のラーメン屋にも行ってみたけれど、やっぱりそのラーメン屋が一番だった。少食だったはずの僕が、その店では必ず大盛りを頼んだ。学生は大盛り無料だったからね。

あとから考えてみると、横浜家系ラーメンの“とんこつ醤油味”が僕の味覚にヒットしたのだと思う。普通の醤油味とか、あるいは背脂系のラーメンなどは今でもちょっと苦手だ。
それから、ラーメンはのびるとまずくなるということが、僕をラーメン嫌いにさせていたのだと思う。僕は猫舌なので熱い食べ物はさまさないと食べられないのだが、さめるのを待っていたらラーメンはのびのびになってしまうのだ。とんこつがうまい具合に熱さを和らげてくれるから、横浜家系は食べられるのだと思う。あと、麺が太めなのがさめても美味しくて好きだ。それからほうれんそうと卵と海苔が良かった。本当に美味しかった。


僕たちはそのラーメン屋が大好きだった。みんなで行く日もあったし、2、3人で行くときも、1人で行くときもあった。大勢で行って「テーブル席空いてますか?」と聞くことがしょっちゅうあったので、しばらくするとお店の人は僕たちが来るのを見ただけで、テーブル席に案内してくれるようになった。
僕たちの新歓ブースに、そのラーメン屋でバイトしてる人が「いつもありがとうございます」と、わざわざ言いに来たときはみんなびっくりしたね。


僕はtwitterで知り合った友達に高田馬場でオススメのラーメン屋を聞かれると必ずその店の名を挙げたし、実際にtwitterの友達を連れていったこともあった。母も連れていった。記憶が曖昧だが、中学からの友達も連れていったように思う。恋人がいたときにも、何度か2人で足を運んだ。“女子会”と称してサークル同期の女子をあつめておしゃべりする会を僕たちは何回か開いたが、第2回の開催地はそのラーメン屋だった。ラーメン屋で恋バナをした。


そんな、僕たちの青春を象徴すると言っても過言ではない存在だった。ラーメンは美味しくて、いつも陽気な変な音楽がかかっていて、水がピッチャーで出てきて、良い店だった。僕たちはいつも長居して、真面目な話から会話のドッジボールまで、いろいろな話をした。
とっても青春だった。


社会人になってからも、ときどき無性に食べたくなって、何度か行くことがあった。サークルの同期のみんなもそれぞれに時々行っていたらしい。
会社帰りのスーツ姿で行ってるのに「学生は大盛り無料なんですけどどうしますか」って聞かれるのが可笑しかった。なにもかも、いつも通りのラーメン屋で、大学生時代の思い出に浸りながらラーメンを食べるのが好きだった。

そんな些細な幸せも、もうなくなってしまったかと思うとさみしい。けど、過去ばかり見ていても仕方ない。先に進まないと。
さよならだけが人生だ。




さようなら、僕たちの母校、とんこつ大学馬場キャンパス。