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生きてると疲れる

東京都、25歳、会社員、処女。これまでと、このさき。

WASEDA LGBT ALLY WEEKがなかなかわるくないイベントだった件

SOGI

WASEDA LGBT ALLY WEEKというイベントが我が母校で開催されるという情報をtwitterで見つけて、僕が最初にしたのは、“心配”だった。僕の知らない、僕に似ている、在校生の“誰か”が、傷つけられるのではないか。そんな心配だった。



早稲田大学LGBTセンターを作ろうという企画があることは以前から知っている。たぶん、僕がまだ早大生だったとき。早稲田大学のこれからを考えて企画をプレゼンし合うイベントで、優勝すればその実現化に向けて動き出すことになっていた。そして、LGBTセンターの企画が優勝したのだった。

そのとき、Facebookか何かにアップロードされていたその企画のPR動画には、人間を「LGBT当事者」と「非当事者」に二分する考えが含まれていて、僕はそれを見て怒ったのを覚えている。LGBT以外のセクシャルマイノリティは無視されてしまうのか?LGBTではない人はすべて非当事者なのか?セクシャリティと差別や偏見の問題は、人権の問題であり、みんなの問題であるのではないのか?
怒ったから、怒りのツイートもした。僕もまだ、今よりいくらか若かったしね。なんだかんだで愛してるしね、我らが母校。その母校で、センシティブな問題が、キラキラな意識タカイタカーイ人たちに取り扱われることは不安でしかなかった。
そのときの僕の声は、たぶん、その企画をした人たちには届かなかった。



それから数年後である。WASEDA LGBT ALLY WEEKが開催されることを知らせるツイートがTLに流れてきたのを見て、もう卒業生である僕は「後輩たち相変わらずキラキラしてるなあ」と思いながら、ツイートの中のリンクをタップしたのだった。リンク先はそのイベントのウェブサイトで、LGBTとは何か、ALLYとは何か、なんの目的のイベントなのかなどが書かれていた。

僕はそれを見て、唖然とした。

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“ALLY(アライ)とは?「LGBTの支援者、理解者」として使われることが多い言葉ですが、本イベントでは「LGBTのことをよく知らないけどイイと思っている人」のことも含めています。”

「イイ」?「イイ」ってなんだ?
僕は、やはり怒らざるをえなかった。
「イイ」ってなんだよ、と。人権の問題なのに、そんなに軽々しい扱いなのかよ、と。


僕は、セクシャルマイノリティの友人たちと情報共有、というか怒りの共有がしたかったから、再び怒りのツイートをした。ところが今回は前回とは違って、僕の怒りのツイートが何人かにRTされるうちに、届いてしまったのだ――イベントの中の人に!

彼女は言った。「LGBT当事者って誰だよ」と。「当事者は命かかってんのか」と。
彼女も怒っている様子だった。

なんて無理解な人!と僕は思った。

僕が怒っていると、一緒に怒ってくれる人がいた。優しくなだめようとする人や、冷静に考察しようとする人もいた。たまたまtwitterに人が多い時間だったのも手伝って、初めは僕の個人的な怒りだったはずのものが、いつのまにかプチ炎上の様相を見せてきた。

そんな中で僕は、自分が根本的な思い違いをしていることに気付いた。

「イイと思っている人がアライ」だなんて雑な定義づけをする人たちの中にセクシャルマイノリティがいるなんて思えなかったから、絶対こんなイベントをやるのは意識高いシスヘテの人だとばかり思っていたのだけれど。僕の勝手な決めつけだった。

彼女はセクシャルマイノリティの一人だった。
彼女は、まだ自分のセクシャリティをどのように表現すれば良いか知らない、セクシャルマイノリティ界隈との繋がりもまだあまり深くない、あの頃――大学に入ったばかりの頃の、僕だった。

(あなたには、僕の知らないあなたの事情があるでしょうし、ここに書いたことにもまだ僕の誤解が含まれているかもしれない。それなのに、そのうえで、勝手に自分に重ね合わせてしまってごめんなさい。でも、そんなふうに感じたことを、誰かに伝えたかったんです)

彼女の「LGBT当事者って誰だよ」は、“自分は含まれているのか?”という戸惑いだった。「当事者は命かかってんのか」は、“命かかってると思える人じゃないと当事者を名乗れないのか?”という疑問だった。

そしてそれは、彼女こそが、僕が傷つけたくなかった“誰か”でもあることを示していた。
……セクシャルマイノリティへの差別は勝手な決めつけによるものが少なくないと思うんだけど、僕はその“勝手な決めつけ”によって、一番傷つけたくない人を、傷つけてしまった。

僕は、もう少し注意深くあるべきだった。反省した。




WASEDA LGBT ALLY WEEKとされる週になると、やはり気になって、僕は展示を見に行くことにした。

正直、本当に見に行ってみるまで不安だった。自分を励ますために、「PRIDE」の文字が刻まれたレインボーのシリコン製リストバンドと、自作のレインボーイヤリングを身につけて出かけた。

……杞憂だった。


アライの定義は、このように訂正されていた。

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LGBTのことをよく知らないけど知りたいと思っている人、応援したいと思っている人」
セクシャリティは問いません」
「誰もが誰かのALLYになれる」


素敵だと思った。
「よく知らないけど知りたい」というのは“無知の知”って感じがして、この定義のアライなら自分の考えるLGBT像を押し付けてくるような振る舞いはしないのだと思える。
セクシャリティは問わない」というのは、この定義のアライならば「私はLGBTのサポートをしているが、私自身はアライであり、LGBTではない」などと聞かれもしないのに強く主張するような振る舞いはしないのだと思える。
そうやって、差別的な人を注意深く除いた定義づけである、と感じた。そのうえでの“アライの可視化”である。有意義なことだ。


学生会館のいつもの風景のなかに、六色レインボーで彩られた“アライ”達のポスターが掲示されていた。
綺麗だった。





僕個人の感想としては、概ね、良い企画だったと思う。

権利とか差別の問題には踏み込まず、「ふつう」とか「ちがい」について考えようというのは、小学生みたいなお題だとは思ったけれど、これで終わりの企画じゃない、ここから何かが始まるための企画なんだと考えると、良いスタートだったんじゃないかと思う。

セクシャルマイノリティと社会の間のいろいろな問題について、正面突破してやろうという気概、みんなの問題だからみんなで考えるべきだという意識、すごく学生らしくて良いと思う。



老害だから3号館で迷子になった話をツイートしてたら、ダイバーシティ早稲田さんからリプライもらえたのが、個人的にちょっとおもしろかった。
ダイバーシティ早稲田さんはプチ炎上の翌朝フォローをキメてきたからフォロー返ししてたんだけど、もう卒業して一年以上たつのにそうやって時々現役早大生との新しい繋がりができるの、なんかうれしい。一緒に早稲田をより良くしていこうぜ!って思う。