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『レミーのおいしいレストラン』を見た

『レミーのおいしいレストラン』を見た。


というのも、先日ピクサー展に行って、未見の作品の多さに気付いたからだ。公開当時はそんなに魅力的に感じなくて見なかった作品たちが、展示を見るにつけ、だんだん魅力的に思えてきたから、母と僕はそれらを少しずつTSUTAYAで借りて見ることに決めたのだった。


本当は、今回は『トイ・ストーリー3』を見るつもりだった。2までしか見てなかったからね。でも、近所のTSUTAYAに行ったら借りられてなくなってた。母からは「ひとりぼっちになるやつ」を見るっていう案も出されたんだけど、母はタイトルを思い出せないし、僕は母の説明が何の作品を示しているかわからなかったからその案はボツになった。そんなわけで、次点で気になっていた『レミーのおいしいレストラン』を見ることになった。

DVDを再生し始めて、最初に流れるCMたちのなかに「ひとりぼっちになるやつ」があった。『WALL-E』だった。「これだよこれ!」と母は言った。「いや…“ひとりぼっちになるやつ”でこれ思い出すのむずかしすぎるでしょ…」と僕は返した。「わかるでしょ!ピクサーの作品なのはわかってるんだから!」
そんな話をしているうちに、メニュー画面になって、本編がスタートした。


見始めて、少しして母が「レミーって女の子だと思ってたけど違うのね…」なんて言うから、僕は「平野じゃないんだよ」と返した。

なんとなく、『レミーのおいしいレストラン』ってタイトルがたのしそうだったから、たのしい映画なのかなって思ってたけど、意外と結構つらかった。ネズミが大活躍する映画だよってピカ氏に教えたら見たがったから、ピカ氏も一緒に見てたんだけど、ネズミがつらいめに合うシーンではピカ氏の目をふさいでやらなくてはならなかった。


レミーが小さい体で危機をかいくぐるシーンが多くて、ハラハラさせられた。僕はハラハラするの好きじゃないから、そこは気に入らなかった。僕がどのくらいハラハラするの好きじゃないかと言うと、幼い頃『ひみつのアッコちゃん』でアッコちゃんがいろんな人物になりすますのを「バレたらどうしよう!」って思ってハラハラして見ていられなかったくらいである。


レミーが自分のいた所こそパリ(の地下)だったのだと気付くシーンとか、男社会で生き抜いてきた女性の描写とか、レミーとリングイニのコミュニケーションの様子とか、いいなって思うところはたくさんあった。けど、どうにも“ネズミを嫌う社会”とか“ラタトゥイユという家庭料理”とか、全然ピンとこなくて、よくわからないまま見終えてしまった感じがある。
人間に嫌われてて、特にキッチンでは忌避される生き物と言えばゴキブリだが、ゴキブリって意思疏通できなさそうだし料理とか無理そうだから、単純にゴキブリに置き換えられない。
ラタトゥイユは煮込み料理らしいから、まあ、肉じゃがくらいのポジションなのかなあ。


ラストでは人間とネズミの共生が描かれていて、一応ハッピーエンドでよかったなと思うんだけど、人間とネズミが対等に信頼しあって尊敬しあっていけるのはあの店のなかだけなんだと思うとやっぱりちょっとつらい。それに、ネズミって寿命短いから、あのあとシェフが死んじゃったらどうなるんだろうって勝手に心配しちゃう。うーん。

たぶん、料理の才能を持っているところ以外は、ネズミのおかれた現実を描いていたんだと思うんだけど、なんかやっぱりよくわからない。
差別に負けずにがんばろうぜっていう話でもなかったし、みんな生きるのに必死、やりたいことに必死な映画だった。あの一応のハッピーエンドが、まあ、現実的な幸せってとこなのかな。


見終わってから、母が「シェフに感謝したいって思ったことないな…そんなにおいしいって、どんな感じなんだろう…」って言うから、「それは、名のあるシェフのところに食べに行かないからだよ」って教えてあげた。
名のあるシェフの料理、すごいのかなあ。