生きてると疲れる

疲れたら休む

私はいつも浮いている

自分が浮いてることに気付きはじめたのは、いつのことだったろう。


参観日に、クラスのみんなは目立たないように暗い色の服ばかり着ているのに対して、自分はそういう日に限って参観日だなんてことすっかり忘れていてピンクの服なんか着てしまって悪目立ちしている、そういうことが何度もあるって気付いた小学校高学年の頃か。

それとも、「ラーメンは塩と醤油とどっちが好き?」に「ラーメンきらい」と答え、「目玉焼きはソース派?醤油派?」に「目玉焼ききらい」と答えていた、小学校低学年の頃か。

もっと前、幼稚園児の頃に、女の友達と遊ぶのも男の友達と遊ぶのもそれぞれにたのしいのに、自分以外に男の子とあそぼうとする女の子が全然いないことに気付いたときか。



なんか、馴染めなかった。世界に。

僕は、そういうものなんだな、と思った。


それに気付いてから、意識的にか無意識的にか、僕は、まわりの人とは違う行動を好むようになった。周囲の人たちは僕のことを目立ちたがりだと思ったかもしれないが、目立つことは目的ではなく手段だった。
ヤドクガエルが、目立つことによって自らに毒があることを周囲に知らせ、自らの身を守るように。目立つことは防御の手段だった。“普通の人”だと思われたくなくて、“普通の人”みたいに扱われたくなくて、僕は、いつでも“ちょっと変”な人であろうとしていた。それが僕だから。

まあ、なにぶん、中学生の時であるから、中二病の一種と言ってもいいのかもしれないけれど。“ちょっと変”な人であることがちょっとカッコいいと思っていたのは、否定しない。


しかし、“ちょっと変”であろうとして、いろいろな“ちょっと変”に手を出してみた結果、僕はちょっとどころじゃなく“だいぶ変”なのだということに気付かされることとなったのだった。



僕は、普段は様々な一人称をTPOとかそのときの気分によって使いわけているのだが、“僕”が登場したのは中3のとき、仮面ライダーカブトの擬態天道の影響によるものである。イケメンが自分のこと“僕”って言うのめっちゃ良いなって思ったから、イケメンでもないのに使い始めた。使い始めてすぐに、ものすごくしっくりくることに気づいてしまった。これは、小学生の時はすごく仲良くしてたのに、なんとなく疎遠になってしまっていた、自分のなかの“男の子”との再会であった。


小学生の時に、“自分と付き合っていた”時期があった。
その時期は、寝る前に鏡に向かって話しかけるのが日課だった。毎日すこし話すだけの、とっても健全なお付き合いだった。鏡のこちらにいるのが“女の子”の私で、向こう側にいるのが“男の子”の僕だという設定だった。なんとなく、自分のなかに“女の子”と“男の子”の両方がいるような気がしていて、それの表出の一つだったのだろうと、今では思う。


高校生の頃、だったと思う。トランスジェンダーの人を取り扱ってる新聞の記事を見て、僕は自分がTかもしれないことを発見した。
“心の性”“体の性”という言葉たちと初めて出会ったのがそのときだった。僕は、性別というものは体のつくりの違いにしか存在していなくて、その体を使う側の“意識”とか“感情”とかには性の別はないものだと考えていたから、だからこそ体の違いに関係ない分野での男女差別は絶対に許さないマンだったから――“心の性”なんて概念は衝撃的だった。
僕は母に聞いた。「体の性別に関係なく、自分は女性だと思う?」
母は答えた。「思うよ。君は思わないの?」
衝撃的だった。とにかく衝撃的だった。



自分の“心の性”について、改めて考えてみて、自分は“Xジェンダー(不定性)”でありかつ“オートガイネフィリア”な“バイセクシャル”であると結論付けたのが、たぶん大学一年のとき。Xの人たちとtwitterで知り合って、たまにオフ会で会ったりもするようになったのは二年生のとき。


twitterにはいろんな人がいるから、僕はここでなら“普通の人”になれるかなってちょっと思った。けど、子供の頃ラーメンきらいだったのに今ではうまかっちゃんにマヨネーズかけて食べるのが好きって人にはまだ出会えてないし、死んだ魚を見るのが好きって人にも出会えてない。気が付いたらフォロワーの数が1500を超えててサークルの後輩からはアルファツイッタラー呼ばわりされるし、やっぱ僕はどこまで行っても“ちょっと変”なのかもしれないって思う。



“ちょっと変”な自分のことは好き。
でも、公の場ではできるだけ隠したほうがいいのかなって、思ってた。

就活のときはスカートスーツにポニーテールだったし、就職して、最初の職場では“ちょっと変”なところを隠して“普通の人”のふりをしなきゃいけないと思って、自分なりにルールを考えた。“一人称は「私」オンリーにする”“セクシャリティはカミングアウトしない”の二点である。しかし、そのルールを守ることは精神的につらいことであった。秘密を守ろうとすると嘘に嘘を重ねるはめになるから、どんどん自分がわからなくなった。嘘を重ねないために、できるだけしゃべらないでいたら、もっとしゃべったほうがいいよって言われたりした。つらかった。


休職があって、異動があって、新しい職場ではなんとか今のところはうまくやれてる。ルールを変更したからかもしれない。新しいルールはこうだ。“脚色はしても嘘はつかない”“できるだけしゃべる”。

もう、精神的に弱いこととか、マザコンであることとかはバレちゃってるし、オタクであることはオープンにしてるし、機会があったらセクシャリティのこともカミングアウトしてもいいかなってちょっと思ってる。ラーメンにマヨネーズかけて食べることも、死んだ魚を見るのが好きなことも言ってみてもいいかもしれない。まあ、機会があればだけど。

どうせ何か言っても、言わずに黙っていても僕は浮いてしまうのだから、どっちでも同じことだ。それに、浮いてるの慣れっこだから浮いちゃっても大丈夫だと思う。そんなに悪いもんじゃないですよ、浮いてしまうことは。