生きてると疲れる

疲れたら休む

『トイ・ストーリー3』を見た

トイ・ストーリー3』を見た。


母と、ディズニーランドに行っては「トイ・ストーリー、2までしか見てないね…今度3見ようか」と言い、ディズニーシーに行っては「そういえば、まだ3見てないね」と言い、ツムツムをやっては「こいつ、よく知らないけどロッツォっていうのか」と言い、ピクサー展に行っては「この熊なに?」「ロッツォだよ!わたしもよく知らないけど!」と言い……。
何度も見る見る詐欺をくりかえしたり、いよいよ借りてやろうとTSUTAYAに行ったら借りられていて無かったりしていたあの『トイ・ストーリー3』がこの度やっとレンタルできたのである。
めでたいことである。これでやっとトイ・ストーリー完走だ。


TSUTAYAでは『オデッセイ』のレンタル開始が宣伝されまくっていた。
「あ…これも見たかったのに見ないままになってたやつだ…見なきゃ…」と僕が呟くと、「それってどんなのだっけ?」と母が聞いてきた。
「火星で芋育てるやつ」
「ああ、“ひとりぼっちになるやつ”ね」
僕はびっくりした。こないだ『WALL-E』のことを“ひとりぼっちになるやつ”って言ってた母が、今度は『オデッセイ』を同じ枠に投げ込んでしまった。なんてことだ。

『オデッセイ』は早稲田松竹で近日中に公開されるらしいのでそのときに見ようかと思っている。



さて、『トイ・ストーリー3』の話だが、これはなかなか良い映画だった。

持ち主が大人になってしまったあとのおもちゃたちの行方をめぐる物語だったが、僕も手持ちのおもちゃを大処分したことあるからそのときのことを思い出しながら見た。これは、現役の子供たちだけでなく、大人になってしまったかつての子供たちのための映画でもあるんだなと感じた。

従妹にあげちゃったシルバニアファミリーのみんなは元気にしているだろうか。
実家の押し入れにしまいこまれているプラレールたちは、いつか僕に子供ができたらまた遊べると信じてその時を待っていたりするんだろうか。
リサイクルショップに売ってしまったいろいろなおもちゃは、大切にしてくれる誰かの手に渡っているだろうか。
そんなことに思いを巡らせた。


母も「やっぱり、大切にしてたやつは捨てられないもんね」って、ウッディだけを手元に残して、他のおもちゃも人にあげずにしまっておこうとしたアンディに理解を示していた。「私が子供の頃は手塚治虫のアニメとかやってたわけだけど、今で言う食玩みたいなやつもいっぱい売ってて、それの中身もパッケージも、どこかの押し入れを探せば出てくると思う」。僕は、正直パッケージはゴミなんじゃないかと思ったけど黙って聞いていた。パッケージだって保存状態によってはまんだらけとかで売れるかもしれないし。


大人はきっと、自分とおもちゃの関係を思い出しながら見るだろう。子供はどうか。

この映画は、現役の子供に対する強烈なメッセージを持っていた。“あなたのおもちゃはあなたのことが大好きだよ!”
子供たちはそれに気付いたとき、きっとうれしいだろうし、自分のおもちゃをもっと大事に扱うようになるだろう。

おもちゃにとっての幸せは、持ち主に大切にされて遊んでもらえること、っていうふうに描くのが、すごく教育的だなあと思った。2も「遊んでこそのおもちゃだ」っていう映画だったと思うのだけど、3ではそれがさらに強く打ち出されていた。



おもちゃは、おもちゃなのである。
子供が遊ぶために作られた一種の道具であり、遊ぶことこそ本分なのだ。


たとえば、『TED』だとテッドは「持ち主」だった男性と親友の関係になる。しゃべれるからだ。親友と共に成長し、大人になった彼は、人間の恋人や市民権まで得てしまう。彼はもう、おもちゃじゃない。

あるいは、『魔法つかいプリキュア!』では、主人公が幼い頃から大切にしている熊のぬいぐるみが魔法の力でしゃべるようになる。しゃべれるようになって、ずっと主人公とおしゃべりしたいと思っていたのだと喜ぶシーンがある。単なる主人公のおまけ扱いではなく、魔法の気配を嗅ぎ付ける能力を持っていたり、妖精の赤ちゃんのお世話をしたり、実質的“変身アイテム”の役割をこなしたりと八面六臂の活躍を見せる。もはやおもちゃではない。


それに対して、トイ・ストーリーのおもちゃたちは、あくまでもおもちゃである。子供たちが遊ぶためのものであり、子供と一緒に成長なんかしない。いつまでも子供たちの世界にいるのだ。

アンディはウッディのことをすごく気に入っていて大学生活にまで持ち込もうとするし、ウッディはウッディで、自分たちはアンディのおもちゃなのだからアンディのもとへ帰らなければならないと力説する。彼らは深い愛情で結び付いているが、アンディはウッディの気持ちなんて知らない。ウッディは人間とコミュニケーションをとらない、おもちゃだから。


アンディが、少し迷ってから、ウッディを新しい持ち主に与えるラストはすごくよかったと思う。アンディは大人になる。ウッディは子供たちの世界にいる。さよならだけが人生だ。





ボニーが自分のとなりに人形たちを並べて寝ているシーンで、僕とピカ氏は「僕たちとおんなじだね」と微笑みあった。僕はいつまで子供たちの世界にいるつもりなんだろう。