生きてると疲れる

疲れたら休む

万年ダイエッター

母が、「貼るやつ買っちゃったよー」と言う。“貼るやつ”というのは、あの、おなかに貼ると腹筋をピクピクさせて鍛える機械である。

こないだ腹筋座椅子買ったばかりなのに。



母は、いつもダイエットしている。
僕が物心ついたときにはすでにダイエットしていたように思う。

ビール酵母ダイエットが流行ったときは毎日ビール酵母をヨーグルトにかけたものを食べていたし、バランスボールが流行ったときはすぐにバランスボールが我が家にやって来たし、ほかにもなんか、いろんなサプリメントを試したりとか、健康情報番組でナントカ体操が紹介されたらすぐに生活のなかに取り入れたりとか、マヌカハニーとか、ココナッツオイルとか、エステティシャンの手技をモデルにしたとかいう変な機械を買ってそれで毎日二の腕をブルブルさせたりとか。

そうやって、小柄で華奢な体を維持しているのだ。



母は、やせている。僕(158cm)より少し背が低くて、体重は僕(44kg前後)と同じくらい。BMIでいうと18くらい。
だから、母がダイエットしているという話を聞くと、誰もがこう言う。「必要ないんじゃない?」
でも、ダイエットって太ってる人がやせるためにするものばかりじゃない。母は、“やせた体型を維持し続ける”ためにダイエットをしているのだ。母の辞書に“リバウンド”の文字はない。常に、努力を怠らず、ダイエットし続けるのだ。そうやって、女性に何度かおとずれる“太りやすい時期”を乗り越えてきているのだ。そうして“常にやせている”実績があるから、おいしいものを我慢せず食べることができるのだ。



僕も、やせている。
先に述べたように、母とほとんど同じ体型、BMIでいうと18くらいだ。十年前からほぼ変化なく、だから十年前の服とかも全然平気で着られる。
僕は自分の体型のこと好きだし、自分の健康的にもベストだと思っている。だって、ずっとずっとこの身体だから。


僕は一回だけすごく太ってしまったことがある。浪人したときに一年間宅浪で、ほぼ家から出ず運動もしない暮らしをしてごはんもおやつも「勉強するのにエネルギーが必要!」と主張して食べまくっていたら大学に入る頃には55キロになっていたのだ。

この増量は僕にアイデンティティの危機をもたらした。なにしろ、幼い頃から、僕はやせてるものであり、やせてるのが僕だったから。「足ほっそ!」とか「スレンダーでいいわねえ」とか言われるのが日常だったから。やせてることは僕のアイデンティティの重要な一部だった。僕は混乱した。


僕はアイデンティティを取り戻すために努力をしたか?答えはノーだ。
大学生の一人暮らしほどやせるものはないから、特にダイエットらしいダイエットもしないままに半年で10キロ落ちた。そのあと更に半年で42キロまで削って「初音ミクさんと身長体重が同じ!」っていうのをしばらくはキャッチコピーにしてた。

元々少食だからか、母からの遺伝なのか、その一回以外は全然太らないで生きてきた。だから自分の身体のことを、あまり太らない性質なのだとばかり思っていた。なのに、最近また太り始めている自分がいて、僕はすごく戸惑っている。

5号のブラウスがキツくなってきている。

就職したから、仕事のストレスで食べる量が増えたからだろうか。あるいは、低用量ピルの服用を始めたからだろうか。そもそも学生時代は3食きちんと食べるということがなかったから、社会人になって3食食べるようになっただけでも太っていってしまうのかもしれない。

母のダイエットを見ていたのだから本当はわかっていたはずなんだ。スレンダーな体型は才能が1%で99%は努力なんだって。あまり太らない性質だとしても、努力は必要なんだって。


僕の身長だったら50キロは越えているのが、一般的には健康だとされるのだろう。でも、僕には僕の健康があって、それは44キロ前後だから、体脂肪率は20%切りたいしウエストは60センチ切りたいから。



僕も母のように万年ダイエッターの道を選ぶしかなさそうだ。