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生きてると疲れる

東京都、26歳、会社員。これまでと、このさき。

僕は、運がいい

「ねぇ、棚橋さん?」隣の席から突然、質問が降ってきた。「運も実力のうち、っていうけどさ。どうしたら運を高められると思う?」
「信じることです」僕は即答した。「自分は運がいいんだって、心の底から思い込むんです。そうすれば運が後からついてきますよ」
「信じてるの、棚橋さんは?」
「はい」


僕は、まあ、オタクだから、平均的な人間よりは知識が多い方だと自負しているんだけど、最近では職場の先輩とか上司とかにも“わからないことを聞いたらなんでも教えてくれる人”みたいに思われてるらしくて、時々いろんなところから仕事とはあんまり関係なさそうな質問が飛んでくる。そういうポジションに僕が今あること、父が以前「(職場の人たちは)なんでも私に聞けばわかると思ってるんだ」ってこぼしてたのを思い出すと可笑しい。望むとも望まなくとも、僕は父と同じようなものになっていくんだ、結局。うれしいような悔しいような、そんな気がする。


いろいろな質問を受けたけれど、そのなかでも“どうしたら運を高められるか”というのは印象的な質問だった。もっとも抽象的で、もっとも答えにくく、しかし僕の一番の得意分野の質問だったから。なにしろ僕の専門――あるいは、人生のテーマと言ってもいい――は、哲学と幸福追求だからね。


僕は、運がいい。そう思う。

あるいは、“自分は運がいいと思い込めること”こそが“運のよさ”の本質なのだ、とも思う。



四半世紀、それなりに生きてきて、まあ、いいこともわるいこともあったけれど、今の自分が好きだし、今の自分があるためにはいいこともわるいことも必要だったなあ、って思えるから、そう考えてみると僕の場合は“運がいい”も“幸せ”も“ごはんがおいしい”も自己愛の上になりたってるのかもしれない。

僕は自分のことを特別な存在だと思っている。中二病だからである。中学生のときとか高校生のときとかに、“自分のことを特別な存在だと思うこと”をやめようとしてみたこともある。つまり、逆に“自分は至って普通の人間”と思い込もうとしたのだが、これは逆効果であった。自分の“平均的な人間とは違う”ところを際立たせてしまって、良いか悪いかは別として“自分は特別”なことを再確認させるに終わったのだ。なんかこう、考え方とか感じ方とかが違うのだ。っていうか、平均的な人間は、あまり物を考えないのだ。


僕は、ちっちゃい頃から考え事をして一人で過ごすのが好きだった。

僕の高3の夏は“死”について考えているだけで終わってしまったし、僕の浪人生の夏は“幸せに生きること”について考えているだけで終わってしまった。そんなだから浪人したところで第一志望の学校には手も足も届かなかったんだけど、僕はそれを運がよかったと思っている。というのは、第一志望だった学校に在籍している、あるいは在籍していた僕の知人友人たちは、みんな頭いいのに一人残らず留年キメてたし、僕なんか無理して入っても卒業できなかっただろうと思うからである。それに、別の学校に入って、結果的にはいろいろよい思いもできたしね。

浪人生のときは幸せだった。人生で一番、精神的に自由なときだったと思う。そのなかで自分のこととか世間のこととか社会のこととかセクシャリティのこととかいろいろ考えられたのは本当によかった。新卒で就職してすぐに抑鬱で休職したのも、なんか自由に先のこととか考え直せてよかったと思う。鬱はつらいけれども。

鬱はつらいけれども、人間の幸せなんてものは脳の健康状態によるものでしかないんだってわかったから、若いうちに経験できてよかったと思う。希死念慮みたいなものは、まったくではないけれど、ほとんどなかった。これは、“自分のこと大好き”っていう性癖によるものだと思うから、まあ、ラッキーだったよね。おかげで死なないで生きてる。


で、運の話だけど。
とりあえず、自分のこと好きじゃない人は、鏡に向かって「自分最高!!!!!イエーイ!!!!!」ってやるところから始めたらいいと思う。そうすれば運が後からついてくるよ、きっと。
そのあたり、白雪姫の継母なんかはダメだよね。鏡に向かって「一番美しいのは誰?」なんて質問しちゃうのがダメ。もっと肯定していこう、自分を。鏡がなんと言おうと自分が一番うつくしい!!!!!イエーイ!!!!!!!!