生きてると疲れる

東京都、26歳、会社員。これまでと、このさき。

リリー・エルベと僕

先日、『リリーのすべて』を見た。世界ではじめてSRS(性別再割り当て手術、いわゆる“性転換”)を受けたMtF、リリー・エルベの伝記的小説を原作とする映画である。
とても美しくてかなしい物語だった。

リリーは美しかった。男性の俳優さんが演じているのだけど、女装を重ねるごとにどんどん美しくなっていくその姿に僕は正直興奮した。

リリーの俳優さんが『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』でニュート・スキャマンダーを演じる方だと知って、もともと『ファンタビ』は見るつもりだったけれど、ますますたのしみになった。

良い映画だった。


少し気になったのは、リリーとその妻が「自分は女だと思います」「私もそう思います」と断言するシーン。そして、SRSを受けることになったリリーが「間違っている身体をお医者が直してくださる」って言うシーン。
これら──つまり、“心の性別と身体の性別が食い違っている”とか“間違っている身体を本当の姿に戻す”とかいうのは、かなり最近になって出てきた考え方なんじゃないかなと思うのだけれど、僕の知識不足だろうか。あるいは、現代人に分かりやすい表現にしたということだろうか。それとも、そういう考え方はトランスの人たちには昔からある考え方で、最近になって社会に浸透してきたということなのだろうか。

わからないけれど、どれが正解だとしても、体は男なのに「私は女だ」なんて断言できるのにはびっくりさせられた。まあ、そこへたどりつくまでには紆余曲折あるわけだけど。


僕は、中学生くらいまで「自分は女だ」と思って生きてきた。しかしそれは、「自分の肉体は女だ」「自分の戸籍上の性別は女だ」という意味であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。「身体には性別というものがあるけど、中身はみんな同じ人間であるはず。だから、性別によって割り当てられるものが違うのは、(身体の性別が関係しない場では)おかしい」というのが僕の考えだった。

僕が考えを改めさせられたのは高校生くらいの時に、新聞にトランスジェンダーについて書いてあるのを見つけたときだ。そこではじめて“心の性”という概念に出会った。人間の中身に性の別がある、少なくともそう思う人がいると知ったのは僕にとってすごくショッキングな出来事だった。僕はその記事を読み終わると、すぐに母に「自分の身体と関係なしに、自分のことを女だと思う?」と聞いてみた。返ってきた言葉は「そう思うよ。君はそう思わないの?」。僕はびっくりした。僕は、そう思わないから。

僕はそれまでに女の子を好きになったことも男の子と付き合ったこともあった。だから、自分はレズビアンバイセクシャル女性かのどちらかだと思っていた。ところが、「自分は女だ」という基礎の部分が揺らいでしまった。僕のセクシャリティを探す旅が始まった。


僕は、大学に入った。入った頃は、とりあえず“レズビアン”を自称していた。でもそのあと、男の子を好きになったりもしたし、“レズビアン”って言葉に含まれる「自認は女」って感じが嫌だとも思ったから、途中で“バイセクシャル”に変えた。

大学に入る少し前、受験が終わった頃にtwitterのアカウントを作った。僕はさっそく情報収集を始めた。twitterにはいろんなセクシャリティの人がいた。“Xジェンダー”って言葉も、“トラニーチェイサー”って言葉も、“ジェンダーフルイド”も“オートガイネフィリア”も、全部twitterから教わった。

ジェンダーフルイド”と“オートガイネフィリア”と“バイセクシャル”は、わりとしっくりくる言葉だったので、今でも自称として使っている。まだ、自分が何者なのか、自分は何になりたいのかはぼんやりとしていて、探している過程にあるのだけど。



リリーのすべて』を見終わった僕は、本当のリリーはどんな生涯を送ったのか気になって、とりあえずWikipediaを見た。Wikipediaによると、彼女は“母になる”ことを望んで、卵巣や子宮の移植手術まで受けたらしい。結局、母になることはできず、拒絶反応がひどくて亡くなってしまったとのこと。

これは私だ、と僕は思った。リリーの物語は私の物語だ。

僕は“父親になりたい”と思っている。父親になったらああしよう、こうしよう、などと考えてみることもよくある。良い父親の姿を見ると、あのような父になりたいと思ったりもする──そして、そういうことを思ったり考えたりする度に、毎回、1秒後には現実に引き戻され、気付くのだ──僕は男体じゃないから父親にはなれない!

世界には、父親の役割を得たFtMの方が複数例
いらっしゃるということは知っているけれども、でもやっぱり、そうじゃなくて、“自分の遺伝子を受け継いだ子供を愛する人が産んでくれる”ことにすごく憧れをもっているんだ僕は。
でも、そういうことをやるのは、きっとすごくむずかしいんだ。

完全な男性器、つまり、勃起もすれば射精もできるようなものを女体に取り付けることができるようになったら、僕は──手の出せる価格設定と安全性の保証があるなら、喜んでやると思う。


でも、そういう時代が来るのは、きっとすごく未来なんだ。


リリーは死んでしまった。
その死は、僕に対して、「父親になろうとしても無駄なんだよ」って語りかけてくるもののように思えた。

現在では男性器を女性器(に似たもの)に造り変える技術は進歩して、twitterを見ているだけでもたくさんの人がタイに行って男性器を置いて帰ってくる。けれど、残念ながら妊娠・出産できる身体が造れるようには、まだなっていない。
女性器から男性器(に似たもの)を造るのはもっと難しくて、勃起のシステムの再現が、まだできないのだと聞く。


自分の生きたいように生きられるようにするために、たくさんの人が戦って、たくさんの人が死んでいった。その後の時代を、僕たちは生きている。
生きづらさは全然残ってるし、女体に生まれたら父親になれない時代だけど、昔よりは少しマシな世界になってるって信じたい。

そして、僕も戦って死ぬつもりだから、後の世界はもう少しマシな世界になるんだって、信じたい。