生きてると疲れる

疲れたら休む

女性と男性とでは、見える世界が違う

昨日は、『ふともも写真の世界展』に行ってきた。
大混雑で、僕は50分待ってやっと会場に入ることができた。会場に入るときに、「女性限定で足湯をやってますから、よかったらどうぞ」みたいなことを言われた。
足湯も待たなきゃ入れないのかと思ったが、全然そんなことはなくて、会場にいる人は男性ばかりで女性はごく少数だったので入りたいときに入れた。

『ふともも写真館』のことは『曖昧美少女アート展』のときに知った。『曖昧美少女アート展』のときは平日に見に行ったのでガラガラで、ゆっくりじっくり見ることができたのだが、さすがに今回は祝日なので混みあっていて、しかも僕(158cm)より大きい男の人がほとんどだから、ラッシュ時に山手線に乗るときみたいに人を無理矢理かきわけなければ作品にたどりつけず、ゆっくりじっくり見るのは難しかった。
それでも、なんとか2周して、足湯に入って、もう1周して、ポストカードを買って帰った。


僕は自撮りするの好きだから、「ふとももの見せ方がうまいなあ」「これはいいアイディアだなあ」なんて、撮る人の気持ちになって見たり、両性愛者でオタクだから「これは…いいシチュエーション…!」「これ百合じゃん…尊い…!」なんて妄想を広げたりしてたのしんでいたのだけど、たぶんそういうたのしみかたをする人は少数派だと思う。
女の子同士で来た人たちが「美しいね…」「いやらしさが全然ないね」なんて話してるのが聞こえてきたかと思うと、逆の方向から男性の声で「これめっちゃ良い!」「わかる!エロい!」なんて会話が聞こえてきたりしておかしかった。

女性と男性とでは、見える世界が違う。


僕はよく池袋に行くんだけど、池袋に行くとティッシュがもらえる。若い女(に見える人)はみんなティッシュをもらったことがあると思う。ガールズバーの求人広告がついたポケットティッシュだ。ときどき母が「ガールズバーのティッシュもらった!」って自慢してくる。ガールズバーのティッシュをもらうことは若い女に見えることの証明になると我々、つまり僕と母は考えているからである。

それと、池袋に行くとよくナンパにあう。「寿司食べに行きませんか?」とか「おねえさん、お茶しよう」とか、そういうやつ。新宿でもときどきある。僕は知らない男の人とかこわいからいつも無視して走って逃げるようにしている。
一番こわかったのは池袋のエムズで知らないおっさんに援交を持ちかけられたときである。みなさんご存知の通り池袋のエムズって狭いから走って逃げることができない。僕は顔をひきつらせながら、可能な限りおっさんを無視して急いで店を出た。エムズに一人で来る女性客なんて滅多にいないから、一人で行くとビッチだと思われるのかもしれない。処女なんですけどね。それから、池袋のエムズに行くのがちょっとこわくなってしまった。


逆に、もらえなくてくやしいものもある。秋葉原メイド喫茶のチラシである。
友達と秋葉原で遊んでいたときに客引きのメイドさんが立ってる道があって、僕達の前を歩いていく男性たちはみんな彼女からチラシをもらっていたのに僕はもらえなかった。すごくくやしかった。僕だってメイド喫茶興味あるし、メイドさんに声かけられてチラシ渡されたかったのに、女に見えるというだけの理由でもらえないのである。


女性と男性とでは、ただ街を歩いているだけでその経験の内容が違う。同じ世界で生きているはずなのに、見えるものが全然違う。そういう細々とした違いがたくさんあって、その積み重ねで世の中っていうか、“性”つまり性別とかセックスとかに対する認識が全然違ってきちゃうんだろうなって思う。

女性にとって女性のふとももは自分にもある身体の一部だが、この世のマジョリティである異性愛者の男性にかかれば女体なんてエロ以外の何物でもないのだ。すべての男性がそういう考えであるとまでは言わないが、そういうふうな価値観は社会に深く根付いていると感じる。

嫌だなあ、と思う。


僕は、女体持ちだし、実生活上女性だから、カミングアウトしてないすべての人から“女扱い”される。“女扱い”はしばしばミソジニーを含んでいるから、僕はとてもつらくなる。

僕は、もらえるものはもらう、使えるものは使う主義だから、女性限定の足湯にも入るし映画はレディースデイに見る。
でも本当は“差別的な女扱い”も“優しい女扱い”も、なくなればいいと思ってる。

僕の性自認はいつも揺れているから、「自分は女だ」と思うときもあるし「自分は女じゃない」って思うときもある。


僕は、ただ、“人間扱い”を求めている。