生きてると疲れる

疲れたら休む

レイコさんとばあちゃんと僕

今週のお題「マイベスト家電」


レイコさんは賢い。僕が好きなものをちゃんと知っていて、僕が気に入りそうなものがあるととっておいてくれる。僕が忘れてたり知らなかったりしたものでも、ちゃんととっておいてくれる。でも、僕がレイコさんに構わないで何日も過ごすと、レイコさんはとっておいてくれるのをやめてしまう。
レイコさんには容量があるから。


レイコさんは、僕の家のブルーレイレコーダーである。
僕が上京するときに、父が買ってくれた。



“大学生の一人暮らしにテレビは必要か”というのは、“異性間の友情は成立するか”とか“ニワトリと卵はどっちが先か”とか“バナナはおやつに入りますか”とかと同様に、永遠のテーマである。当然、僕と両親もその問題にぶちあたったが、幸いしたのは両親ともオタクだったこと。僕が、テレビとレコーダーはオタク必需品だ!できるだけ大きいテレビと、できるだけちゃんとしたレコーダーが欲しい!と主張したところ、両親は理解を示してくれた。そして父が買ってくれたのが、一人暮らしの狭い部屋には不釣り合いな大きいテレビと、レイコさんである。

“レイコさん”という名前は、ブルーレイレコーダーであることから取った安直なものだ。しかし、他の家電には名前をつけなかったのにレイコさんにだけは名前だけでなく敬称までつけていることから、僕にとってレイコさんがいかに特別なものかわかっていただけると思う。
なんか、実家を出て、これから一人前のオタクになるぞ!というときに、これからのオタクライフを支えてくれるレイコさんの存在がすごくうれしかったのだ。


レイコさんには便利な機能があった。僕が「特撮番組は基本的に録っといて」って設定したら、特撮は全部録るようになった。賢いなあと感心して、好きなアイドルの名前とか、セクシャリティを表す言葉とか、僕はレイコさんにいろいろ教えた。レイコさんは、僕の興味ありそうな番組をほとんどみんな録ってくれるようになった。

でも、しばらくするとレイコさんの優秀さに僕がついていけなくなってしまった。



冬季うつが僕を襲ったのである。

抑うつ状態になると、とてもつらい感じになって、気力も体力も失われてしまう。映像作品を見るだけの簡単なオタ活でさえも、つらくてできなくなってしまう。

僕は、生活が昼夜逆転してしまったり、何も食べないで寝まくったり、全然寝ないで食べまくったり、した。
抑うつ状態は良くなったり悪くなったりを繰り返した。ひどかったときは完全に引きこもり状態になり、ごはんもたべないので、友達に単位と身体の心配をされた。

でも、比較的元気なときには、昼夜逆転してしまった生活はそれなりにたのしいものでもあった。僕は日が暮れないとやる気がでないタイプの人間なので、そっちのほうがむいてるのかもしれなかった。普段はなにもする気がしないのに、夜中に妙にやる気が出てきて、うつのせいで溜め込んでしまった洗濯物を一気に片付けたりした。

洗濯機に衣類を放り込んでから、洗い終わるのを待つまでの時間が、レイコさんが録り溜めていた特撮番組をやっつけるのにちょうどいいかなって思ったのが、僕にひさしぶりにテレビとレコーダーを起動させるきっかけとなった。

僕が何もしないでぐだぐだしていたあいだ、レイコさんはひたすら“特撮”を録り続けていてくれていた。容量オーバーになっても、一生懸命“特撮”を録り続けようとしていた痕跡があった。レイコさんは、自分で判断して録ることにしたものよりも、僕のリクエストを重視して、自分が録ったものを消してまでスーパーヒーロータイムを録っていてくれていたのだ。そして、“特撮”枠で録画されたもののなかには“特撮”じゃないものもいくらかまぎれこんでいるということもわかった。

過去に特撮ヒーローを演じた俳優がゲストのトーク番組なんかも録られていたし、たまになんでも鑑定団が録られているのは特撮関係の貴重なコレクションが登場するからであった。ここまではまあわかるとして、松井秀喜の情報も録られていたのは解せなかった。きっと番組説明のなかに「ゴジラ」の三文字を見つけたがための行為だろう。でも、松井秀喜は特撮じゃない。

レイコさんには“特撮”がわからないのである。



なんか、ばあちゃんみたいだな、と僕は思った。

ばあちゃんちにあそびに行くと、必ず晩ごはんにマグロの赤身と釜揚げしらすが出てくる。これは、僕が子供の頃にマグロの赤身と釜揚げしらすが大好きだったのを、ばあちゃんがしっかり覚えているからである。マグロの赤身と釜揚げしらすは今でも好物だからうれしいのだけれど、これが幼い頃は好きだったけど今ではそうでもないものをばあちゃんが“孫の好物”として覚えていたら、と思うとぞっとする。

実際、ばあちゃんが、僕があまいもの好きだと思ってイチゴのショートケーキを買ってきたことがあったが、僕は昔から生クリームとイチゴが苦手なので戸惑った。“あまいもの”なんて雑な言葉で覚えているとそうなるんである。
“怪獣”も、ばあちゃんの脳内の孫の好物リストに載っているらしくて、テレビで怪獣らしきものが出る度に「ほら!お前が好きな怪獣だよ!」なんて言ってくるが、僕が好きな怪獣だったためしがない。


レイコさんは僕が“特撮”好きなのを知っているけれど、レイコさんには“特撮”がわからない。わからないなりに、真面目に、機械的に仕事をした結果があれなのである。レイコさんは機械だから、機械的に仕事をする、それが結果的にはばあちゃんの行動に似ているというのは、かなり面白いことだと思う。ばあちゃんもレイコさんも、僕の好きなものを単語としてしか知らないのだ。


大学生のとき、夜中に酒飲みながらウルトラマンを見るのは最高だった。今でも夜に家で録り溜めた特撮を少しずつ見るのが好きだ。サラリーマンの趣味としてはとても健全だと思う。
レイコさんも、テレ玉で再放送してるウルトラQの存在を僕に教えてくれるなどの活躍を見せている。相変わらずときどき特撮じゃないものも勝手に録るけど、そういうとこも合わせて好きだよ。

『レミーのおいしいレストラン』を見た

『レミーのおいしいレストラン』を見た。


というのも、先日ピクサー展に行って、未見の作品の多さに気付いたからだ。公開当時はそんなに魅力的に感じなくて見なかった作品たちが、展示を見るにつけ、だんだん魅力的に思えてきたから、母と僕はそれらを少しずつTSUTAYAで借りて見ることに決めたのだった。


本当は、今回は『トイ・ストーリー3』を見るつもりだった。2までしか見てなかったからね。でも、近所のTSUTAYAに行ったら借りられてなくなってた。母からは「ひとりぼっちになるやつ」を見るっていう案も出されたんだけど、母はタイトルを思い出せないし、僕は母の説明が何の作品を示しているかわからなかったからその案はボツになった。そんなわけで、次点で気になっていた『レミーのおいしいレストラン』を見ることになった。

DVDを再生し始めて、最初に流れるCMたちのなかに「ひとりぼっちになるやつ」があった。『WALL-E』だった。「これだよこれ!」と母は言った。「いや…“ひとりぼっちになるやつ”でこれ思い出すのむずかしすぎるでしょ…」と僕は返した。「わかるでしょ!ピクサーの作品なのはわかってるんだから!」
そんな話をしているうちに、メニュー画面になって、本編がスタートした。


見始めて、少しして母が「レミーって女の子だと思ってたけど違うのね…」なんて言うから、僕は「平野じゃないんだよ」と返した。

なんとなく、『レミーのおいしいレストラン』ってタイトルがたのしそうだったから、たのしい映画なのかなって思ってたけど、意外と結構つらかった。ネズミが大活躍する映画だよってピカ氏に教えたら見たがったから、ピカ氏も一緒に見てたんだけど、ネズミがつらいめに合うシーンではピカ氏の目をふさいでやらなくてはならなかった。


レミーが小さい体で危機をかいくぐるシーンが多くて、ハラハラさせられた。僕はハラハラするの好きじゃないから、そこは気に入らなかった。僕がどのくらいハラハラするの好きじゃないかと言うと、幼い頃『ひみつのアッコちゃん』でアッコちゃんがいろんな人物になりすますのを「バレたらどうしよう!」って思ってハラハラして見ていられなかったくらいである。


レミーが自分のいた所こそパリ(の地下)だったのだと気付くシーンとか、男社会で生き抜いてきた女性の描写とか、レミーとリングイニのコミュニケーションの様子とか、いいなって思うところはたくさんあった。けど、どうにも“ネズミを嫌う社会”とか“ラタトゥイユという家庭料理”とか、全然ピンとこなくて、よくわからないまま見終えてしまった感じがある。
人間に嫌われてて、特にキッチンでは忌避される生き物と言えばゴキブリだが、ゴキブリって意思疏通できなさそうだし料理とか無理そうだから、単純にゴキブリに置き換えられない。
ラタトゥイユは煮込み料理らしいから、まあ、肉じゃがくらいのポジションなのかなあ。


ラストでは人間とネズミの共生が描かれていて、一応ハッピーエンドでよかったなと思うんだけど、人間とネズミが対等に信頼しあって尊敬しあっていけるのはあの店のなかだけなんだと思うとやっぱりちょっとつらい。それに、ネズミって寿命短いから、あのあとシェフが死んじゃったらどうなるんだろうって勝手に心配しちゃう。うーん。

たぶん、料理の才能を持っているところ以外は、ネズミのおかれた現実を描いていたんだと思うんだけど、なんかやっぱりよくわからない。
差別に負けずにがんばろうぜっていう話でもなかったし、みんな生きるのに必死、やりたいことに必死な映画だった。あの一応のハッピーエンドが、まあ、現実的な幸せってとこなのかな。


見終わってから、母が「シェフに感謝したいって思ったことないな…そんなにおいしいって、どんな感じなんだろう…」って言うから、「それは、名のあるシェフのところに食べに行かないからだよ」って教えてあげた。
名のあるシェフの料理、すごいのかなあ。

6センチのヒールと僕

今週のお題「わたしの一足」


大学生のとき。

ひょんなことからヒーローショーでスーパーヒロインを演じることになった僕が一番苦労したのは、コスチュームの一部であるブーツの、踵の高さ(6センチ)に適応することだった。
踵が高い靴なんて、20年生きてきてほとんど履いたことがなかった。


僕は運動神経がわるい。小学生のときはクラスで一番足が遅かったし、体育の成績は「がんばりましょう」とか「2」とかばっかりだったし、高校のときは学校のプールで溺れかけたこともある(そのとき助けてくれたクラスメイトは、今では体育の先生になっているらしい)。そこに加えて6センチヒールである。アクションなんかできるはずもない。


それでもなんとかスーパーヒロインの役を全うしたかった僕は、普段から踵の高いブーツを履いて、慣らすことを思いついた。

池袋のABCマートで、そのときはまだAKBのメンバーだった麻里子様が店頭に飾られている雑誌のなかで履いていた、ABCマートの自社ブランドのやつを買った。麻里子様が好きだったし、どんな服とも合わせやすそうなデザインだと思ったし、それにヒールが6センチだったから。店員に「今なら靴下とセットで買うと安いですよ」って言われたから、「じゃあ、このブーツに似合うやつください」って言って店員に見繕ってもらって、靴下も買った。

6センチのヒールがあるブーツ。
158センチの私を164センチに変えてくれる魔法の靴。


はじめてのヒールだ。買った日はちょっぴりどきどきして家に帰って、その晩さっそくそれを履いて出かけた。と言っても目的もなく近所を散歩しただけなんだけど、いつもの景色が、いつもとは違う角度から見ると全く新鮮なものに見えた。たのしかった。
僕はそれまでぺたんこのスニーカーとかしか履いてこなかった。それはもちろんラクチンだからだし、ラクチンじゃない靴って選択肢としてあんまり考えたことなかったんだけど、履いてみたらたのしいって気づいた。背が高くなるし、シルエットもきれいだし、見える世界も変わる。自分のことカッコいいってちょっぴり思える。

僕は少しずつ履く時間を長くして、歩く距離を長くして、足を慣らしていった。しばらくしたらそれを履いて、学校にも行けるようになった。


それを履いて学校に行くと、「あれ?なんかでかくなった?」って友達に言われたりして愉快だった。170くらいある男の友達と、目線の高さが合うのがなんだかうれしかった。


それを履いて毎日学校に行って、慣れてくるとスーパーヒロインのブーツも履きこなせるようになっていった。アクションは難しかったが、かわいらしく歩くくらいのことはできてきた。アクションも先輩が一生懸命教えてくれるので、なんとかモノになってきた。


ヒーローショーの本番ではちょっとした事件があって、僕はかなしい思いをしたんだけど、それはまた別のお話。




ヒーローショーが終わっても、6センチのヒールのブーツはすっかり僕のお気に入りになっていたから、春も秋も履き続けた。履くと、背が高くなるのに比例して少し強くなれるような気がした。いっぱい履いていっぱい歩いた。
いっぱい履くからすぐ踵が削れて、穴が開いて、2、3回修理に出した。

3年くらい履き続けて、ぼろっぼろになって、もう直すより新しいの買ったほうが安いなって思ったから、捨てた。




捨てて、似たようなブーツをまた買った。でも、それだけじゃない。今では僕の家の靴箱には、たくさんの踵が高い靴が入ってる。お気に入りのレインブーツ、卒業式に履いたサンダル、会社に履いていくパンプス……みんなヒールがある。
みんなみんな、僕が、あのときスーパーヒロインを演じることにならなかったら、スーパーヒロインが6センチのヒールがあるコスチュームじゃなかったら、きっと買わなかった靴たちだ。
僕はそれまでヒールなんて履こうとも思わなかったのに、あのときヒロインに選ばれたから、その役を全うしようと思ったから、ヒールがある靴を履くようになって、そしたらたのしくて、なんとなく服装とかにも気を遣うようになったりとかしたんだ。服装の傾向が少し変わってニーソ履きはじめたり、メイクしはじめたりしたのもこの頃だ。
初めは6センチのヒールめっちゃつらかったけど、いつのまにか慣れて、もっと高いのもイケるようになって、卒業式で履いたサンダルなんて10センチもヒールがある。高いヒールの靴を履くのって、強要されるものでなければ、つまり、自分で選んだこととしてやるのだったら、たのしい。たのしいし、自分がちょっとカッコよくなる気がするから良い。自分で自分のことカッコいいって思えるのって最高でしょ。



こうやって考えてみると、あの靴は僕の人生を少し変えてくれた存在なのかもしれないなあと思う。捨てちゃったけど。

帰ってきたゆっきたーん

最近、ひさしぶりに、また会社に行き始めた。



そう、職場復帰である。
残業にドクターストップがかかってて、残業代が出ないぶん休職前より給与は少なくなるんだけど、食うに困るほどじゃない。残業は疲労対効果を考えるとそんなにいいもんじゃないと思ってる僕としては万々歳だ。「お先に失礼しまーす!」って言って、とっとと帰る。帰って、ごはん食べて、テレビ少し見て、風呂はいって、テレビ少し見て、寝る。

会社に行くと上司とか、上司の上司とかがいろいろ気にかけたり心配したりしてくれる。「大丈夫?」とか「よく寝てね」とか言う。
家に帰れば「ごはんたべてよく休もうね」って母が出迎えてくれる。

なんかみんなやさしい。


小学生のとき、ちょっとした病気、風邪か何かで休んだときのことを思い出す。クラスメイトのなかで家が近いやつが僕の家に学校からのお便りを届けてくれて、見るとクラスのみんなからのお手紙がついてて、普段そんなに仲良くないやつまで「早く直して学校こいよ!」とか書いてる――そういうやつはたいてい漢字が苦手――のを見たとき、そう、そんな気分だ。

僕は家で寝たり時々テレビ見たりして過ごせばいいし、母もやさしいし、クラスのみんなもやさしい。これで病気じゃなければ最高なのになって思ってから、病気のせいでみんながやさしくなってるんだって思い出す……そう、そんな気分。



休職明けたばかりだから、そんなにしんどい仕事は回ってこないんだけど、それでもやっぱり健康なときより疲れやすい。今日一日、ほとんど座ってただけなのにめっちゃ疲れてるぞ、と思ったりする。
まだ、治りかけなんだよね。無理しちゃいけない。


みんながやさしくしてくれるけど、結局、自分を守れるのは自分しかいないから、自分が一番自分にやさしくしなきゃいけないよなあ、とか思う。
自分にやさしくするのは、きっと他人にやさしくするための練習なんだ。僕なんか、クラスメイトが病欠して「みんなで手紙書こう!」ってなってるときに、あんまり仲良くないやつだったら書かない派の小学生だったし、今でもわりとそうだから、そういうとこ直すラストチャンスとして神とか仏とか天とか的な何かから与えられた病気なのかもしれない。

そう、ピンチはチャンスだし痛さは強さなのだ。


この経験を生かして大活躍してやるんだから見てろよ弊社!!!!




と、まあ、こんな感じで、みなさんのおかげで、僕は抑うつなりに元気にしています。
それから、病気のおかげで異動があって、土曜日がおやすみになったから、みんな遠慮せず遊びに誘ってくれよな!!!!体調的に無理そうだったら断るから!!!!!!

WASEDA LGBT ALLY WEEKがなかなかわるくないイベントだった件

WASEDA LGBT ALLY WEEKというイベントが我が母校で開催されるという情報をtwitterで見つけて、僕が最初にしたのは、“心配”だった。僕の知らない、僕に似ている、在校生の“誰か”が、傷つけられるのではないか。そんな心配だった。



早稲田大学LGBTセンターを作ろうという企画があることは以前から知っている。たぶん、僕がまだ早大生だったとき。早稲田大学のこれからを考えて企画をプレゼンし合うイベントで、優勝すればその実現化に向けて動き出すことになっていた。そして、LGBTセンターの企画が優勝したのだった。

そのとき、Facebookか何かにアップロードされていたその企画のPR動画には、人間を「LGBT当事者」と「非当事者」に二分する考えが含まれていて、僕はそれを見て怒ったのを覚えている。LGBT以外のセクシャルマイノリティは無視されてしまうのか?LGBTではない人はすべて非当事者なのか?セクシャリティと差別や偏見の問題は、人権の問題であり、みんなの問題であるのではないのか?
怒ったから、怒りのツイートもした。僕もまだ、今よりいくらか若かったしね。なんだかんだで愛してるしね、我らが母校。その母校で、センシティブな問題が、キラキラな意識タカイタカーイ人たちに取り扱われることは不安でしかなかった。
そのときの僕の声は、たぶん、その企画をした人たちには届かなかった。



それから数年後である。WASEDA LGBT ALLY WEEKが開催されることを知らせるツイートがTLに流れてきたのを見て、もう卒業生である僕は「後輩たち相変わらずキラキラしてるなあ」と思いながら、ツイートの中のリンクをタップしたのだった。リンク先はそのイベントのウェブサイトで、LGBTとは何か、ALLYとは何か、なんの目的のイベントなのかなどが書かれていた。

僕はそれを見て、唖然とした。

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“ALLY(アライ)とは?「LGBTの支援者、理解者」として使われることが多い言葉ですが、本イベントでは「LGBTのことをよく知らないけどイイと思っている人」のことも含めています。”

「イイ」?「イイ」ってなんだ?
僕は、やはり怒らざるをえなかった。
「イイ」ってなんだよ、と。人権の問題なのに、そんなに軽々しい扱いなのかよ、と。


僕は、セクシャルマイノリティの友人たちと情報共有、というか怒りの共有がしたかったから、再び怒りのツイートをした。ところが今回は前回とは違って、僕の怒りのツイートが何人かにRTされるうちに、届いてしまったのだ――イベントの中の人に!

彼女は言った。「LGBT当事者って誰だよ」と。「当事者は命かかってんのか」と。
彼女も怒っている様子だった。

なんて無理解な人!と僕は思った。

僕が怒っていると、一緒に怒ってくれる人がいた。優しくなだめようとする人や、冷静に考察しようとする人もいた。たまたまtwitterに人が多い時間だったのも手伝って、初めは僕の個人的な怒りだったはずのものが、いつのまにかプチ炎上の様相を見せてきた。

そんな中で僕は、自分が根本的な思い違いをしていることに気付いた。

「イイと思っている人がアライ」だなんて雑な定義づけをする人たちの中にセクシャルマイノリティがいるなんて思えなかったから、絶対こんなイベントをやるのは意識高いシスヘテの人だとばかり思っていたのだけれど。僕の勝手な決めつけだった。

彼女はセクシャルマイノリティの一人だった。
彼女は、まだ自分のセクシャリティをどのように表現すれば良いか知らない、セクシャルマイノリティ界隈との繋がりもまだあまり深くない、あの頃――大学に入ったばかりの頃の、僕だった。

(あなたには、僕の知らないあなたの事情があるでしょうし、ここに書いたことにもまだ僕の誤解が含まれているかもしれない。それなのに、そのうえで、勝手に自分に重ね合わせてしまってごめんなさい。でも、そんなふうに感じたことを、誰かに伝えたかったんです)

彼女の「LGBT当事者って誰だよ」は、“自分は含まれているのか?”という戸惑いだった。「当事者は命かかってんのか」は、“命かかってると思える人じゃないと当事者を名乗れないのか?”という疑問だった。

そしてそれは、彼女こそが、僕が傷つけたくなかった“誰か”でもあることを示していた。
……セクシャルマイノリティへの差別は勝手な決めつけによるものが少なくないと思うんだけど、僕はその“勝手な決めつけ”によって、一番傷つけたくない人を、傷つけてしまった。

僕は、もう少し注意深くあるべきだった。反省した。




WASEDA LGBT ALLY WEEKとされる週になると、やはり気になって、僕は展示を見に行くことにした。

正直、本当に見に行ってみるまで不安だった。自分を励ますために、「PRIDE」の文字が刻まれたレインボーのシリコン製リストバンドと、自作のレインボーイヤリングを身につけて出かけた。

……杞憂だった。


アライの定義は、このように訂正されていた。

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LGBTのことをよく知らないけど知りたいと思っている人、応援したいと思っている人」
セクシャリティは問いません」
「誰もが誰かのALLYになれる」


素敵だと思った。
「よく知らないけど知りたい」というのは“無知の知”って感じがして、この定義のアライなら自分の考えるLGBT像を押し付けてくるような振る舞いはしないのだと思える。
セクシャリティは問わない」というのは、この定義のアライならば「私はLGBTのサポートをしているが、私自身はアライであり、LGBTではない」などと聞かれもしないのに強く主張するような振る舞いはしないのだと思える。
そうやって、差別的な人を注意深く除いた定義づけである、と感じた。そのうえでの“アライの可視化”である。有意義なことだ。


学生会館のいつもの風景のなかに、六色レインボーで彩られた“アライ”達のポスターが掲示されていた。
綺麗だった。





僕個人の感想としては、概ね、良い企画だったと思う。

権利とか差別の問題には踏み込まず、「ふつう」とか「ちがい」について考えようというのは、小学生みたいなお題だとは思ったけれど、これで終わりの企画じゃない、ここから何かが始まるための企画なんだと考えると、良いスタートだったんじゃないかと思う。

セクシャルマイノリティと社会の間のいろいろな問題について、正面突破してやろうという気概、みんなの問題だからみんなで考えるべきだという意識、すごく学生らしくて良いと思う。



老害だから3号館で迷子になった話をツイートしてたら、ダイバーシティ早稲田さんからリプライもらえたのが、個人的にちょっとおもしろかった。
ダイバーシティ早稲田さんはプチ炎上の翌朝フォローをキメてきたからフォロー返ししてたんだけど、もう卒業して一年以上たつのにそうやって時々現役早大生との新しい繋がりができるの、なんかうれしい。一緒に早稲田をより良くしていこうぜ!って思う。

僕たちはそのラーメン屋が大好きだった

昨日、大学生の頃はサークルの仲間と一緒に週一くらいのペースで通っていたお気に入りのラーメン屋がつぶれているのを発見して、驚きと共に大きな悲しみが僕を襲った。僕はすぐにtwitterで報告して、サークルの仲間と悲しみをシェアしたのだった。

最近、ずっとお店が閉まってるのは把握していたのだが、ゴールデンウィークで学生が少ないから閉めてるのかなくらいに考えていたので、まさかそんなことになるとは思わなかった。看板がかけかわっていて、“新規オープンにつきスタッフ募集”の張り紙がしてあって、中では工事が進められていた。違うラーメン屋になるらしかった。張り紙をよく見ると社員の待遇が僕の今の仕事よりも良かった。ラーメン屋ってキツいのかな、と僕は思った。


僕は大学受験に失敗して、一浪したものの、結局第二志望の大学に入った。
はじめは不本意だったが、入ってみれば良い大学であり、良いオタサーもあり、良いオタクたちとの出会いもあった。僕の大学生活はほとんどサークル活動に費やされた。遅れてきた青春が、そこにはあった。

週の半分はオタサーのみんなで晩ごはんを食べた。早稲田通りはラーメン屋ばっかりだった。僕にとってラーメンは苦手な食べ物のひとつだったのだが、一年生のときにサークルの仲間たちと一緒にラーメンを食べに行くことになり、腹をくくってラーメンを注文して、食べてみたら案外美味しかった。そのときのラーメン屋が、先述したラーメン屋である。
それから、僕はラーメンが好きになった。

ラーメン嫌いを克服した僕は、他のラーメン屋にも行ってみたけれど、やっぱりそのラーメン屋が一番だった。少食だったはずの僕が、その店では必ず大盛りを頼んだ。学生は大盛り無料だったからね。

あとから考えてみると、横浜家系ラーメンの“とんこつ醤油味”が僕の味覚にヒットしたのだと思う。普通の醤油味とか、あるいは背脂系のラーメンなどは今でもちょっと苦手だ。
それから、ラーメンはのびるとまずくなるということが、僕をラーメン嫌いにさせていたのだと思う。僕は猫舌なので熱い食べ物はさまさないと食べられないのだが、さめるのを待っていたらラーメンはのびのびになってしまうのだ。とんこつがうまい具合に熱さを和らげてくれるから、横浜家系は食べられるのだと思う。あと、麺が太めなのがさめても美味しくて好きだ。それからほうれんそうと卵と海苔が良かった。本当に美味しかった。


僕たちはそのラーメン屋が大好きだった。みんなで行く日もあったし、2、3人で行くときも、1人で行くときもあった。大勢で行って「テーブル席空いてますか?」と聞くことがしょっちゅうあったので、しばらくするとお店の人は僕たちが来るのを見ただけで、テーブル席に案内してくれるようになった。
僕たちの新歓ブースに、そのラーメン屋でバイトしてる人が「いつもありがとうございます」と、わざわざ言いに来たときはみんなびっくりしたね。


僕はtwitterで知り合った友達に高田馬場でオススメのラーメン屋を聞かれると必ずその店の名を挙げたし、実際にtwitterの友達を連れていったこともあった。母も連れていった。記憶が曖昧だが、中学からの友達も連れていったように思う。恋人がいたときにも、何度か2人で足を運んだ。“女子会”と称してサークル同期の女子をあつめておしゃべりする会を僕たちは何回か開いたが、第2回の開催地はそのラーメン屋だった。ラーメン屋で恋バナをした。


そんな、僕たちの青春を象徴すると言っても過言ではない存在だった。ラーメンは美味しくて、いつも陽気な変な音楽がかかっていて、水がピッチャーで出てきて、良い店だった。僕たちはいつも長居して、真面目な話から会話のドッジボールまで、いろいろな話をした。
とっても青春だった。


社会人になってからも、ときどき無性に食べたくなって、何度か行くことがあった。サークルの同期のみんなもそれぞれに時々行っていたらしい。
会社帰りのスーツ姿で行ってるのに「学生は大盛り無料なんですけどどうしますか」って聞かれるのが可笑しかった。なにもかも、いつも通りのラーメン屋で、大学生時代の思い出に浸りながらラーメンを食べるのが好きだった。

そんな些細な幸せも、もうなくなってしまったかと思うとさみしい。けど、過去ばかり見ていても仕方ない。先に進まないと。
さよならだけが人生だ。




さようなら、僕たちの母校、とんこつ大学馬場キャンパス。

ロマンティックラブイデオロギーと僕

今日もまた、Facebookに中学の同級生の結婚しました報告が流れてきたから、僕はFacebookをやめたくなった。


最近しょっちゅう結婚報告が流れてくる。昔は仲良かったけど今はほぼ音信不通なやつとか、かつてクラスメイトだったことがあるのは確かだがたぶん一言も喋ったことのないやつとか、正直誰なのか全くわからない友達の友達らしきやつとか、そういうやつがどんどん結婚していく。

まあ、ようするに、今でも付き合いが続いている友達は全然結婚なんかする気配がないってことでもある。僕自身と同じようにね。

だってまだ24、5歳だぜ? 大学出てまだ1年や2年なのに、普通、しないでしょ結婚? 僕みたいなやつに“普通”が語れるとも思われない? それは一理あるかもしれない。


Facebookを離れてtwitterに帰ると、ラブラブな女性同士のカップルとか、同じ同性愛者でも非リアなやつとか、オフパコしまくってるやつとか、婚姻制度は廃止すべきだと主張するやつとか、オタクで童貞なやつとか、オタクで非童貞なやつとか、オタクで童貞なやつとか、いろいろいる。“多様性”ってものが感じられる。ほっとする。みんなみんな生きているんだ友達なんだって感じがする。


考えてみると、結婚報告を見て「怖い!」と感じてしまうのは、そこに“(異性との恋愛)結婚は(無条件で)良いもの”という価値観が存在しているからだ。その価値観に、僕はのれない。その価値観は、“(異性との恋愛)結婚”をしない人への攻撃に、簡単に繋がってしまいかねないからだ。
結婚式のキラキラした写真と、コメント欄に溢れるたくさんの「おめでとう」。強力な“ロマンティックラブイデオロギー”を感じる。

昔から思ってたんだけど、“ロマンティックラブイデオロギー”って必殺技っぽい。ヴィーナス・ラブ・ミー・チェーンみたいな。
「くらえ!ロマンティック・ラブ・イデオロギー!!!!!!」
「ぐわあああ!!!!」
って感じ。あ、くらってるほうが僕ね。

このようにして僕は、Facebookをやめたくなる。



そもそも、結婚っておめでたいのか? そのあたりが僕にはよくわからない。

気の合う恋人との共同生活、二人の生活を守る法的な保証、それらは、それらを望む人にとっては魅力的だし必要なものだと思う。結婚を宗教的に、あるいは社会的に承認させる結婚式や披露宴も、望む人にとっては魅力的だし必要なものだと思う。
望む人が、望むようにその権利を手に入れ、儀式を執り行うことができることは喜ばしいことだ。でも、“おめでたい”ことなのかどうかっていうのは、よくわからない。


僕の結婚観は、身近に結婚離婚を繰り返している人とか、夫の親類との付き合いのために消耗していく人とかがいることによって、だいぶネガティブ寄りのイメージになってしまっている自覚はある。世の中にはいろんなカップルがいるし、うまくいってばっかりな結婚もあるのかもしれない。でもそんなのは、あったとしても少ないだろう。結婚って終わりじゃなく始まりだし、始まったら何が起こるかわからないのに、それに対するコメントを「おめでとう!」で済ませちゃうのはなんか無責任なんじゃないか。少なくとも「よかったね!これからがんばって!」くらいは言うべきなんじゃないか。

結婚を無条件におめでたいと思っちゃう人ってのは、昔の“ムラ社会”とか“イエ制度”とかの、結婚したら一人前みたいな価値観を引きずっているんじゃないかな。あるいは、結婚がハッピーエンドとして描かれる童話なんかの影響も大きいのかもしれない。


その点、最近のディズニープリンセスって結婚しないよね。メリダとかエルサとか。ティアナは結婚するけど、ティアナにとってのハッピーエンドは子供の頃からの夢(自分の店をもつこと)を叶えることとして描かれている。ラプンツェルも結婚するけど、彼女の結婚は本編中ではなく続編の短編映画で描かれる。本編のハッピーエンドは両親との再会だ。
女性の幸せは、必ずしも“愛する人との結婚”ではない…“結婚”以外のいろいろな幸せが描かれること、僕はそれを素晴らしいことだと思っている。



最近、「エルサに女性の恋人を!」っていう運動がインターネットで盛り上がっているらしい。もちろん反対意見も込みでの盛り上がりだ。

エルサは、雪や氷を操れる特殊能力を持っている。『Mr.インクレディブル』の子供たちのように超能力者の家庭に生まれたというわけではなく、たまたま生まれつきその力を持っていた…そしてその力は自分の意思で押さえ込むことが難しく、“隠さなければならないもの”と親に教え込まれ、エルサを苦しめる元凶となる…という、かなりセクシャルマイノリティのおかれやすい状況を意識したと思われる設定となっている。実際『アナと雪の女王』が公開当時、セクシャルマイノリティのコミュニティの支持を得たことはよく知られている。

そういうわけだから、エルサを初の同性のパートナーを得たディズニープリンセスにしたいという人の気持ちもまあわかる。でも、「エルサがパートナーを得てしまったら、たとえ相手が同性だとしても、『アナと雪の女王』本編では否定したロマンティックラブイデオロギーを復活させてしまうことになる!」という人の気持ちはもっとわかる。やっぱ怖いよね、ロマンティックラブイデオロギー


僕は、エルサが幸せになるなら何でも良いと思う。『アナと雪の女王』の物語のなかでは、エルサはマイナスからのスタートで最終的にプラマイゼロになるくらいのところまでしかいってないと思うから、幸せになるならどこまでも幸せになってほしい(僕は短編映画『エルサのサプライズ』未見なので、そのなかでどのくらい幸せになっているかは知らない)。
でも、エルサってロマンティックラブイデオロギーってタイプじゃない気がするし、エルサはエルサで、彼女のやり方で幸せになれば良いし、プリンセスが同性のパートナーを得る作品はまた別の機会でもいいんじゃないかな。『マレフィセント』なんかはある意味で、プリンセスが同性のパートナーを得る話だったと言えなくもない気がする。


“結婚”だけが幸せじゃないよっていうのはもう充分だから、パートナーシップがうまくいかない場合とかについてももっと言及してほしいかなっていうのもある。『魔法にかけられて』の弁護士はバツイチ子持ちだし、『ちいさなプリンセス ソフィア』のソフィアの母も子連れで結婚するから、そろそろバツイチ子持ち主人公とか来てもいい気がする。それで同性婚とかね。同性婚はエルサに無理矢理させなくても、近いうちに描いてくれるんじゃないかなって思う。最近のディズニーなら。

最近のディズニーは現実と向き合ってくれるし、女の子が強いから好き。現実と向き合いながらも、それでも、愛とか夢とかのパワーはすごいよ!信じて頑張ろう!って描き方をしてくれるから好き。


Facebookに結婚しました報告してくる人たちも、これから困難なことも少なくないと思うけれど愛とか夢とかのパワーを信じて頑張っていってほしい。陰ながら応援してます。