生きてると疲れる

疲れたら休む

この先生きのこるには

最近、僕は自分の現状に危機感を覚え始めた。


きっかけは1ヶ月前、母が風邪を引いて寝込んだことである。


母は、しょっちゅう僕の家に遊びに来る。メンヘラな娘を心配して来てくれているという部分もあるが、半分は本当に遊ぶために来ている。僕とか、母の友達とか、母の妹とかが東京にいるし、母の実家も近いから遊び放題なのである。

そんな母が風邪を引いた。
母が来ているときは家事などほとんど母任せにしていて、来ていないときは適当にしている僕が、急に病人の世話をしなければならなくなった。
これは、親離れのために神が与え給うた試練だ、と僕は思った。試練を与えるタイプの神様はあんまり信じてないんだけど、そう感じるのにぴったりのシチュエーションだった。っていうか25歳で親離れできてないのはマジでヤバい。僕ははじめて危機感を覚えた。
お粥を作り、洗濯をし、ポカリスウェットを買い、母を寝かせ、添い寝の役にピカ氏を任命した。他にも何か、いろいろ必要なことは全部一人でやった。桜が咲く頃というのは身心の調子を崩しやすい時期である。僕も花粉症持ちだし、メンタルの調子もイマイチだったんだけど、マザコンだから母のためだと思うとなんとかがんばれた。やってみるとそんなにむずかしくないもので、思ってたよりちゃんとできた。
「なんだ、家事できるんじゃん」母は少し驚いた風に言った。「私がちゃんとしすぎるのがよくなかったのかな」


風邪がよくなってきた頃、僕と母とピカ氏と3人で花見がてら散歩に出かけた。近所の公園は大学生のグループでいっぱいだった。
「青春ですね」と、母。
「青春はもう終わってしまった。そろそろ夏だ」と、僕。
「そうだね」
「ママはそろそろ秋ですか」
「実りの秋ですね」
「実ってますか」
「うーん…君がしっかりしてくれないと私の夏は丸ムダになるなあ」
母は少し笑って言った。
僕は、もっともだなあ、と思った。

僕一人の力で生きていけるようにならないと、母が安心して新潟(僕の実家)に帰れないんだ!


それから、僕は家事を率先してやるようになった。少しでも、自分でできることを増やすために。
母はもう30年も専業主婦をやっているので、盆踊りをぐるぐる踊るときみたいに、自然と身体が動いて家事をこなしているような感じがある。そこに、意思をもって割り込んで一緒にぐるぐる踊るのである。慣れてしまえば全然難しいことも何もなくて、ルーチンワークにしてしまえればそんなに疲れもしない。


「どうしてお皿洗うときいつも歌ってるの?」幼い頃に母にそんな質問をしたことを思い出す。母の答えは、正確には覚えていないが、歌っていれば歌っているうちに皿洗いが終わってしまうから、というようなものだったように思う。
母の母、すなわち母方の祖母も「なんでお前は皿洗うとき歌うの?たのしいの?」って聞いていたことがあった。そのときの答えはちゃんと覚えてる。「たのしくないから歌うんだよ!」

あのときは、わからなかったけど、今ならわかる。母はたのしくない家事をたのしんでこなそうとしていたのだ。「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり」という言葉があるが、母は言わば「たのしい人の真似」をしていたのである。


僕も、「たのしい人の真似」をすればもう少しまともに生きていけるだろうか。一人でしっかり歩いていけるだろうか。
わからない。けど、がんばりたい。

僕が鬱で動けなかったとき、母が、祖母が、友人が救いの手をのばしてくれた。でも、いつまでもそういうわけにはいかない。いかないんだ。


「僕、がんばれるかな」と呟くと、
「ピカ氏がついてるよ」返事が返ってきた。