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TRPの電通のブースでもらった『ALLY HANDBOOK』が残念な件

TRPで電通ダイバーシティラボのブースが発行していた『A-License』。アライであることの証明書である。
ストレートアライの人向けの企画なのかなと思っていたんだけど、セクマイ当事者の知人友人にも首から下げている人が少なくなかったから、じゃあ僕ももらおうと思って列にならんだ。

列にならんで、順番が来たら「LGBTコミュニティを理解し、受け入れ、支援することを誓いますか?」「誓います!」というような儀式をやって、それが済んだら写真撮影。写真はすぐにA-Licenseにプリントされて、それにサインをしたらケースにいれて首から下げてもらえておしまい。
儀式からA-License完成までは非常にスムーズで、写真撮るときの盛り上げかた(ピカ氏と一緒に行ったから、「もっとギュッと抱きしめて!」などと言われた)もすごく上手だったから、さすが電通、大企業だなあって感心させられた。A-Licenseのデザインも素敵だし、写真もよく撮れていたしよかった。


でも、やっぱり“アライにライセンスを発行する”というコンセプトとか、そのやり方とか、A-License に付属するALLY HANDBOOKの内容とかには、これはちょっとどうなんだろう、と思うところが少なくなかったので以下に書き出していく。


前提として、僕がセクシャルマイノリティについてインターネットで情報収集するようになったのが10年ほど前から、時々コミュニティに顔を出すようになったのが5年ほど前から、ということを念頭に置いて読んでいただけたらよいかと思う。


①「アライ」の定義

「アライ」は「LGBTを理解し、支援する人々」だとALLY HANDBOOKには書いてある。アライがストレートであるかどうかについては明確な言及がない。

セクシャルマイノリティのコミュニティで「アライ」といえば「ストレートアライ」を指す言葉として(わたしの知る限りでは)ずっと使われてきた。客引きのおにいさんに「アライの証明書を発行していきませんか?」と話しかけられて「えっ…いや、僕当事者なんで…」と、戸惑いながら歩き去る方も見かけた。この反応も、アライとはストレートアライであり当事者はアライにはなりえないと思ってのものだろう。

電通ダイバーシティラボがどういった経緯でこの企画をTRPで行うことになったのかはわからないが、もしかしたら、電通は“セクシャルマイノリティのイベントではマイノリティがマジョリティになる”という当たり前のことに気が付いていなかったのかもしれない…?

あるいは、電通セクシャルマイノリティ当事者でもアライを名乗れるという考えなのかもしれないが、“アライ”といえば“ストレートアライ”を指すというのはすでにセクシャルマイノリティコミュニティでは当たり前になってしまっている。そこに新たな定義をしてもなかなか根付かないのではないかと思う。


②カジュアルに「アライ」を名乗る/認めることの危うさ

A-Licenseは、前述の通り「誓います!」と言うだけで発行してもらえる。その気持ちがあれば誰でもアライ、というのが電通の考え方らしい。

しかし、差別は、サポートする気持ちがあればなくせるというものではない。無意識のうちに差別的な言動をしてしまうことも少なくない。
本当に支援するつもりならば、セクシャルマイノリティの歴史や現状、実際に起こっている問題について知り、考え続ける必要がある。権利を得るため、手放さないためには不断の努力が必要なのである。

その努力をせずにA-Licenseを掲げてアライを名乗るのであれば、新時代の「私には黒人の友達がいる(差別をする人の典型的な言い訳)」になってしまうのではないか。

せめて、LGBTの現状や抱える問題についての講習か何かで学んでから発行されるものならよいのになあ、と思う。


A-Licenseには前述の通り、ALLY HANDBOOKというものが付属している。LGBTの現状についての電通ダイバーシティラボの調査結果や、アライとしての望ましい行動などがまとめられているものである。
A-Licenseを契機に、LGBTのことを学んでもらうためのものなのだろう。順番が逆なような気もするが、カジュアルにやろうとするとこういう形になってしまうのかもしれない。実際にここからセクシャルマイノリティーズの抱える問題に興味を持つ人がいるならば、その意義は認めざるを得ない。

しかしこのハンドブックにも問題が多いと感じた。次項からそれについて書く。


③「レインボー」の意味

レインボーは多様性の象徴である。これに関しては異論はないと思う。

問題は『ALLY HANDBOOK』の「日本のLGBT人口」のページ。日本には13人に1人のLGBT当事者がいることを表す図が載っているのだが、これが実によくない。13の手が描かれているのだが、そのうち12の手が白色、1つの手が虹色に塗られている(LGBT人口は左利きの人口とほぼ同じとはよく言われるが、この図も12の手が右手、1つの手が左手になっている)。わかりやすい図ではあるが、レインボーはLGBT当事者を表すものではない。繰り返すが、多様性の象徴である。“普通の人”の中に“変わり者”がいるわけではなく、みんな違ってみんないいのである。


④人の性の種類

次のページ。「人の性は男と女の2種類だけではありません。」と言い切っているのであるが、示される図は「カラダの性」が男女の2種類、「ココロの性」が男女の2種類、「スキになる性」が異性・同性・両性の3種類。「性は男と女の2種類だけではありません。」というわりに、男女以外の性別(性自認が無性・両性・不定性など)に触れられていないのが気になる。そもそも、ここで言う「性」とはなんなのだろうか。「性別」と「セクシャリティ」を混同しているのではないか。


⑤そもそも日本語がおかしい

「自分がLGBTかもと気づいた時期」のページ。「気づくタイミングに、年齢は関係ありません。40歳を超えてから気づく人も多いんです。「LGBTは生まれながらのもの」というわけではないのですね。」とあるが、「40歳を超えてから気づく」こととセクシャリティが「生まれながらのもの」であることは矛盾しない。
また、セクシャリティが生有的なものであるかどうかには未だに議論があるところなので、“生有的なものではない”と決めつけるのはよくないと思う。


⑥“先進的”な「ライフユニット」とは何か

「ライフユニット」というのは、電通ダイバーシティラボが提唱する“家族”の新しい呼び方であるらしい。個人的には、わるくないと思う。

しかし、「LGBT世帯、事実婚の世帯、里親世帯など」を「先進的な「ライフユニット」」と呼ぶのはいかがなものだろうか。たまたまそれらが最近認識されるようになっただけで、“先進的”などというのはおかしいのではないか。




以上です。

アライの人は増えてほしいけども、「私はアライです!」ってわざわざ言う人は信用ならない感じがする。ストレートアライの人は“アライ”なんかじゃなくて、「自分も将来同性を好きになるかもしれないし」みたいなスタンスでいてほしい。ストレートもゲイもトランスもみんなグラデーションでみんな違ってみんないいよ!