生きてると疲れる

疲れたら休む

今日も会社に遅刻した

今日も会社に遅刻した。上司におこられた。


ちっちゃいころ、つまり20年くらい前には、自分のパワーは無限大にあると思ってた。世界最強になって、世界全部だって手にできると思ってた。
そんなわけなかったけど、でも、10年くらい前までは、半分本気で信じてた。自分はお金も稼げて家族も養えて、ちゃんとした大人になって世の中にもすこし貢献できるって信じてた。


それが、このざまである。
遅刻してボーナス減額されるサラリーマン、それが僕だ。ぼくの現在の現実だ。家に帰ればそこらじゅう脱いだ服で散らかして、ろくに洗濯も洗い物もせず、ひどい日にはメイクも落とさずコンタクトもはずし忘れたまま寝てしまう。メンタルのお薬だって低用量ピルだってしょっちゅう飲み忘れるから、体も心も調子のアップダウンが激しくて自分のことすらちゃんとできない。家族を養うどころか一人暮らしだってあんまりうまくいってない、それが僕だ。


僕だ。




棚橋祐季、25歳。独身、処女、サラリーマン。


クリスマスケーキの喩えは旧時代のものとなっても、25歳にもなるとまわりで結婚するやつとか子供産むやつとかが、でてくる。正直、すげえなあと思う。結婚したり子供産んだりしたら、もう完全に大人じゃん。責任重いじゃん。寝坊して遅刻しましたとか言ってられないじゃん。人の面倒を見る側の人間になっちゃうじゃん。やばいじゃん。やばい。まじでやばい。


やばい。





まだ大人になりたくない!って、思う。深刻に思う。もう25歳だしサラリーマンだから、社会的にはとっくに大人なんだけど。結婚していようがいまいが遅刻なんて許されない身分なんだけど。それでも、まだ子供でいたい、子供でいられるところにしがみついていたい、そういう思いがある。

でも、いつかちゃんとした大人になって、子供を育てたりしたいなっていう気持ちもある。




問題は、僕が思っている僕の年齢(高校生くらい)が現実とかけ離れていて、僕が思っているよりも早く子作りのリミット(35歳くらい)が来てしまうということだ。
あと10年のうちにちゃんとした大人になれるのか、という問題。僕にはとっても自信がない。


そういう話を、母にしてみたら、「君には君のペースがあるんだから、気にしなくていいのでは?」って言われた。
「焦らなくても、人生ってうまくできてるものだよ」

そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。



「目の前のタスクをひとつずつ片付けていかなきゃ」

そうだ、僕はまだ、スタートラインにすら立てていないんだ。まずメンヘラを治して、それから、それからいろいろが始まるんだ。たぶん。


たぶんそうなんだ。





先のことって、わからない。だから、心配してもしょうがない。
明日にでも突然セックスが降ってきて妊娠しちゃうのかもしれないし、このままなんとなく10年後までヴァギナへの他者の侵入を許さないまま生きていくのかもしれない。

わからない。
だから、とりあえず、今のことをがんばるしかない。


僕はオタクだから、オタク向けコンテンツとか子供向けコンテンツとかの業界に行った友達がそれなりにいるんだけど、彼らは「今の仕事はキツいけど、これを続けていくと○○になれるんだ」「○○の技術を身に付けて、○○をしたいんだ」みたいなことを時々語って聞かせてくれる。そういうの、羨ましいなあと思う。先が見えて、夢を見られるなんて、なんと羨ましいことか。
僕は仕事で自己実現とかあんまり考えてなくて、というか、あんまり考えられなかった。女として生きているから。僕はレズビアンの人たちが考えるみたいに女一人で食っていける職を求め、子を持ちたい女性たちが考えるみたいに妊娠出産育児とかで一時的に離れても続けやすい職を求めた結果、比較的専門性の高い仕事に就いている。人生の、先が見えないからこその選択である。

僕が社会的に女じゃなかったら僕ももっと夢を追えたのかもしれないけど、僕は夢を作るより現実と戦うほうが性に合ってるし、そっちのほうがかっこいいと思ったってのもある。
僕はかっこよくなりたいし、自分の子供にかっこいいって思ってもらえる親になりたいから。


僕の自己実現の場は、まだ存在しない僕の家庭の中にあるんだ。



だから、やっぱり遅刻なんかしてる場合じゃないし、大人にならなきゃいけないんだ。

とりあえず、明日だ。明日は、絶対に遅刻しない。そこから僕の未来が始まると信じて。がんばりたい。










僕の書く文章は“がんばりたい”みたいなフレーズで終わることが多いんだけど、これはメンタルのお薬を飲み忘れることが多いために“がんばりたいけどがんばれない”状態に陥ることがありがちだからだと推測される。
だから、がんばるのは明日からじゃない。今日、寝る前の薬を飲み忘れない。そこからだ。

改めて言おう、一歩ずつでも、“がんばりたい”。