生きてると疲れる

疲れたら休む

腹筋をバキバキに割りたい件

今週のお題ゴールデンウィーク2016」


世間の祝祭日があまり関係ない世界で生きているので、お休みの日はあったけどゴールデンウィークという感じのものは僕にはなかった。強いて言えば、電車に揺られながら中吊り広告を見て、ああ…ゴールデンウィークだからいろんなイベントがあるんだなあ…ヒーローショーいいなあ…、と思っているのが僕のゴールデンウィークだった。

ピクサー展に行ったのと、TRPに参加したのがゴールデンウィークっぽいといえばぽいかもしれない。
そのくらいだった。
(ピクサー展は奇しくも特撮博物館が開催されたのと同じ東京都現代美術館で開かれている。特撮博物館が昔の凄技を見せて「特撮の歴史すげえ!!!!」って感じだったのに対し、こちらは最新技術に至るまでの経緯を見せて「30年でこんなに進歩するのかアニメは!!!!」って感じだった。アニメすごい。アニメとか、ゆーて絵が動くだけっしょwwくらいに思って行ったら全然すごかった。)


そのほかは本当にただのウィークデーであったから、僕は、やらなきゃいけないことがあるときはそれをやり、特にないときはウルトラマンを見たりアクセサリーを作ったりブログを書いたりしてすごした。それと、忘れちゃいけないのは腹筋だ。腹筋を鍛えた。


母が先日、前々からずっと買おうかどうしようか悩んでいた腹筋座椅子をとうとう買ったのである。それを機に我が家ではみんな毎日腹筋運動をするようになった。みんなというのは僕と母の二人である。
母がディノスの割引券を駆使して購入した腹筋座椅子はすごく座り心地がよくて、腹筋運動のために足をおさえてくれるバーもいい感じで、よい買い物であった。運動したいときにも休みたいときにも使える。すごい。

腹筋座椅子の取説には、10回を1セットとして1日3回やるのがオススメだと書いてあったのだが、母は謎の意気込みを見せ、30回を3セットやっている。母は何になろうとしているんだろう。ちなみに僕は1日に15~20回を2セットやっている。


僕は毎年、夏が近づいてくると腹筋を割る計画を立てるが、毎回三日坊主で終わる。でも、今年は座椅子のおかげでけっこう続けられているのでイケるかもしれない気がしている。気のせいかもしれないけど。

腹筋をバリバリに割って、一緒にスパリゾートハワイアンズに行ってビキニ着ようね、などと母と話している。


腹筋が割れてる女性というのはいいよね。僕がはじめて腹筋が割れてる女性に魅力を感じたのは、思春期に父の部屋から無断で借りてきた成人向け漫画を読んだときだったと記憶している。思春期というと女の子は父親を嫌ったりするのが定番だが、僕は全然嫌いじゃなかったし、ときどき勝手に父の部屋に入り込んでは本を漁り、父と僕の性癖が近いことに感謝する日々であった。
腹筋が割れてる人というのはフィジカルもメンタルもめっちゃ強そうだ。強い女性は元々好きだったから腹筋が割れてる女性に魅力を感じるのは当然のことだった。そういえばローヤルちゃんの初期デザインにも腹筋のパーツがついていたっけ。ない方がバランスいいかなと思ってやめたんだけど。

ようするに、強くなりたいんだよね、僕は。腹筋割れてるのが強さの象徴なんだ。
鍛えて、鬼になって、人助けしたいんだよね。
ヒビキさんが鍛えているシーンなんかを思い出しながら、僕は毎日腹筋に励む。


2週間、腹筋を鍛えてきて、少し割れてきた気がする。「どう?割れてきたっぽくない?」と母に見せびらかすが、「よくわからない」との返答。ライザップだって3ヶ月かかるのだから、もう数週間続けないと他人にわかってもらえるほどの成果は出ないのかもしれない。

がんばりたい。

TRPに行った

昨日と一昨日はTRPに行った。みなさんご存じのこととは思うが、TRPとは東京レインボープライドという性の多様性をお祝いするお祭りの略称である。
毎年、4月の最終日曜くらいに行われていたものだが、今年は5月の頭に、それも2日間に渡って開催された。


この“4月の最終日曜”というのがネックだった。大学生のときはサークルの新歓があり、“4月の最終土曜は徹カラ”というのがお決まりだったので、翌日の朝からイベントに行くのはかなり厳しかったのだ。一度だけ、カラオケの後、昼まで寝て昼過ぎから無理矢理参加したことがあるけどかなり死にそうな感じで、あんまり楽しめなかった記憶がある。
社会人になれば参加できるかと思いきや、去年は普通に仕事で参加できなかった。

今年はたまたま行けたが、来年以降はうまく仕事との調整をしないと行けないかもしれない。ひょっとしたら今年が最後の参加かもしれない。だから、絶対にパレードを歩きたい!

そう思っていたのに、普通に寝坊してダメだった。
残念。人生そんなものである。





数年前に参加したときより、規模が拡大しているのは明らかだった。単に日数が増えたというわけではなく、ブースがものすごく多くなっていた。ブースが増えるというのは、新規参入が多いということである。実際、ブースの内容を見るとセクマイ当事者ではないセクマイサポーターが増えているように感じられた。セクマイ市場を狙っている商売人たちの働きもアツかった。

お祭り感は増していて、たのしめたが、やっぱりリア充の同性カップル向けのサービスが多いなあと感じた。やはり今年のトレンドは“同性婚”で、あちこちで模擬結婚式なんかが行われていた。ぼっち参加は地味につらかったので2日目はピカ氏を連れていって、電通のブースやGoogleのブースでピカ氏と一緒に写真を撮った。たのしかった。

ガワもけっこういたので、ガワと写真撮れたのもよかった。

twitterのフォロワーにたくさん会えたのもよかった。お久しぶりですの人も、はじめましての人も、今フォローしましたの人もいた。僕の髪型が変わったので「誰かと思った!!!!けどニーソ見たらわかった!!!!」とよく言われた。みんな意外と人の顔を見ているんだなあと思った。

アボカドタコライスとマンゴーかき氷がおいしかった。


すこし気になったのは、当事者団体でない団体の人などが、歩く人を呼び止めるときに「おねえさん!」などと声をかけたりするのとか、「女性限定調査」の看板を掲げているブースがあったりとか、セクマイイベントでは性別の取り扱いはセンシティブだから気を付けた方がいいっていうのをわかってないんだろうなあという言動が少なくなかったこと。
まあ、日本は、これから理解を深めていく段階なんだろうなあ。
せっかくゴールデンウィークで天気もいいのに、仕事でわけのわからないお祭りに駆り出される企業ブースの人たちもつらいだろうしなあ。

男の人(見た目が男だっただけでなく、自分のことを指して「男」と言っていたので間違いなく男)がナンパしてきたのも不快だった。なんでナンパするのにTRPなんか来るんだ。レズビアンカップルに混ざりたい願望の人とかだったのかな。なんにしても最悪だった。


そんな感じ。

2日目に寝坊してしまったのは、1日目に友達に付き合って歩きまくって疲れたせいだということは明らかなので、反省して今後に活かしていきたい。

TRPの電通のブースでもらった『ALLY HANDBOOK』が残念な件

TRPで電通ダイバーシティラボのブースが発行していた『A-License』。アライであることの証明書である。
ストレートアライの人向けの企画なのかなと思っていたんだけど、セクマイ当事者の知人友人にも首から下げている人が少なくなかったから、じゃあ僕ももらおうと思って列にならんだ。

列にならんで、順番が来たら「LGBTコミュニティを理解し、受け入れ、支援することを誓いますか?」「誓います!」というような儀式をやって、それが済んだら写真撮影。写真はすぐにA-Licenseにプリントされて、それにサインをしたらケースにいれて首から下げてもらえておしまい。
儀式からA-License完成までは非常にスムーズで、写真撮るときの盛り上げかた(ピカ氏と一緒に行ったから、「もっとギュッと抱きしめて!」などと言われた)もすごく上手だったから、さすが電通、大企業だなあって感心させられた。A-Licenseのデザインも素敵だし、写真もよく撮れていたしよかった。


でも、やっぱり“アライにライセンスを発行する”というコンセプトとか、そのやり方とか、A-License に付属するALLY HANDBOOKの内容とかには、これはちょっとどうなんだろう、と思うところが少なくなかったので以下に書き出していく。


前提として、僕がセクシャルマイノリティについてインターネットで情報収集するようになったのが10年ほど前から、時々コミュニティに顔を出すようになったのが5年ほど前から、ということを念頭に置いて読んでいただけたらよいかと思う。


①「アライ」の定義

「アライ」は「LGBTを理解し、支援する人々」だとALLY HANDBOOKには書いてある。アライがストレートであるかどうかについては明確な言及がない。

セクシャルマイノリティのコミュニティで「アライ」といえば「ストレートアライ」を指す言葉として(わたしの知る限りでは)ずっと使われてきた。客引きのおにいさんに「アライの証明書を発行していきませんか?」と話しかけられて「えっ…いや、僕当事者なんで…」と、戸惑いながら歩き去る方も見かけた。この反応も、アライとはストレートアライであり当事者はアライにはなりえないと思ってのものだろう。

電通ダイバーシティラボがどういった経緯でこの企画をTRPで行うことになったのかはわからないが、もしかしたら、電通は“セクシャルマイノリティのイベントではマイノリティがマジョリティになる”という当たり前のことに気が付いていなかったのかもしれない…?

あるいは、電通セクシャルマイノリティ当事者でもアライを名乗れるという考えなのかもしれないが、“アライ”といえば“ストレートアライ”を指すというのはすでにセクシャルマイノリティコミュニティでは当たり前になってしまっている。そこに新たな定義をしてもなかなか根付かないのではないかと思う。


②カジュアルに「アライ」を名乗る/認めることの危うさ

A-Licenseは、前述の通り「誓います!」と言うだけで発行してもらえる。その気持ちがあれば誰でもアライ、というのが電通の考え方らしい。

しかし、差別は、サポートする気持ちがあればなくせるというものではない。無意識のうちに差別的な言動をしてしまうことも少なくない。
本当に支援するつもりならば、セクシャルマイノリティの歴史や現状、実際に起こっている問題について知り、考え続ける必要がある。権利を得るため、手放さないためには不断の努力が必要なのである。

その努力をせずにA-Licenseを掲げてアライを名乗るのであれば、新時代の「私には黒人の友達がいる(差別をする人の典型的な言い訳)」になってしまうのではないか。

せめて、LGBTの現状や抱える問題についての講習か何かで学んでから発行されるものならよいのになあ、と思う。


A-Licenseには前述の通り、ALLY HANDBOOKというものが付属している。LGBTの現状についての電通ダイバーシティラボの調査結果や、アライとしての望ましい行動などがまとめられているものである。
A-Licenseを契機に、LGBTのことを学んでもらうためのものなのだろう。順番が逆なような気もするが、カジュアルにやろうとするとこういう形になってしまうのかもしれない。実際にここからセクシャルマイノリティーズの抱える問題に興味を持つ人がいるならば、その意義は認めざるを得ない。

しかしこのハンドブックにも問題が多いと感じた。次項からそれについて書く。


③「レインボー」の意味

レインボーは多様性の象徴である。これに関しては異論はないと思う。

問題は『ALLY HANDBOOK』の「日本のLGBT人口」のページ。日本には13人に1人のLGBT当事者がいることを表す図が載っているのだが、これが実によくない。13の手が描かれているのだが、そのうち12の手が白色、1つの手が虹色に塗られている(LGBT人口は左利きの人口とほぼ同じとはよく言われるが、この図も12の手が右手、1つの手が左手になっている)。わかりやすい図ではあるが、レインボーはLGBT当事者を表すものではない。繰り返すが、多様性の象徴である。“普通の人”の中に“変わり者”がいるわけではなく、みんな違ってみんないいのである。


④人の性の種類

次のページ。「人の性は男と女の2種類だけではありません。」と言い切っているのであるが、示される図は「カラダの性」が男女の2種類、「ココロの性」が男女の2種類、「スキになる性」が異性・同性・両性の3種類。「性は男と女の2種類だけではありません。」というわりに、男女以外の性別(性自認が無性・両性・不定性など)に触れられていないのが気になる。そもそも、ここで言う「性」とはなんなのだろうか。「性別」と「セクシャリティ」を混同しているのではないか。


⑤そもそも日本語がおかしい

「自分がLGBTかもと気づいた時期」のページ。「気づくタイミングに、年齢は関係ありません。40歳を超えてから気づく人も多いんです。「LGBTは生まれながらのもの」というわけではないのですね。」とあるが、「40歳を超えてから気づく」こととセクシャリティが「生まれながらのもの」であることは矛盾しない。
また、セクシャリティが生有的なものであるかどうかには未だに議論があるところなので、“生有的なものではない”と決めつけるのはよくないと思う。


⑥“先進的”な「ライフユニット」とは何か

「ライフユニット」というのは、電通ダイバーシティラボが提唱する“家族”の新しい呼び方であるらしい。個人的には、わるくないと思う。

しかし、「LGBT世帯、事実婚の世帯、里親世帯など」を「先進的な「ライフユニット」」と呼ぶのはいかがなものだろうか。たまたまそれらが最近認識されるようになっただけで、“先進的”などというのはおかしいのではないか。




以上です。

アライの人は増えてほしいけども、「私はアライです!」ってわざわざ言う人は信用ならない感じがする。ストレートアライの人は“アライ”なんかじゃなくて、「自分も将来同性を好きになるかもしれないし」みたいなスタンスでいてほしい。ストレートもゲイもトランスもみんなグラデーションでみんな違ってみんないいよ!

今日、痴漢にあった

今日、痴漢にあった。これまでの人生で2回目の痴漢である。


運悪く夕方のラッシュに巻き込まれた僕は、すし詰め状態の電車のなかで、おしりとふとももの境界線のあたりにあたたかい何かがあたっている感触に気づいた。
そのあたたかさ、固さによって、“それ”が人間の指であることに疑いの余地はなかった。問題はわざと触っているかたまたまあたってしまっただけなのか、だ。

どちらにしても不快なので、僕はできる限り“それ”から離れようと身体をひねった。無駄だった。“それ”の持ち主と思われる人物――白い作業着のようなものを着た定年も近いであろう――“おじさん”が、僕の動きにぴったりくっついて動くのを感じた。わざと触っていることが明らかになると同時に、恐怖が僕を襲った。

ラッシュ時の電車は、駅にとまるたびにたくさんの人を下ろし、たくさんの人を乗せる。僕はその乗客の動きを利用して“おじさん”から離れようともがいた。無駄だった。“おじさん”はぴたりとついてくる。
“おじさん”は良い人を装っていた。電車が駅に着く度に、降り損ないそうな人を見つけては「まだ降りる人います!」と声を張り上げるのだった。僕の尻に手を触れさせながら。そして、降りる人のためにできた空間を、僕にぴたりとついてくるために利用するのだった。

しばらくすると、それまで単におしりを触っていただけだった“おじさん”は、指を動かし始めた。おしりの柔らかさを確かめるように。「痴漢です」って言ったら誰か助けてくれるだろうか。無理だ。なにしろすし詰め状態なのだ。誰も一歩も動けないのだ。逃げられない。怖くてしかたなかった。声なんか出るはずもなかった。

ふと、下を見ると、“おじさん”の片手が僕の胸のほうにのびてきているのを発見した。“おじさん”は片手でおしりを揉みながら、もう一方の手でおっぱいまで触ろうとしていたのだった。あまりのことに僕は息を呑んだ。僕が感づいたことに気が付いたのか、“おじさん”は手を引っ込めた。おしりは触られたままだった。


結局、“おじさん”が電車を降りるまで、僕はなにもできなかった。かなしかった。くやしかった。


母に「痴漢された…」と話すと、「災難だったね…」と言ってくれた。母が痴漢について語るとき、それを自然現象か何かのように言うことの意味がようやくわかった気がした。それはいつも突然襲ってきて、逃れようがないのだ。
でも、僕は、絶対に違うと思う。痴漢を自然現象のように捉えてはいけない。人間のやることだからである。人間のやることは、人間が正していけると信じたいからである。


どうして“おじさん”は無断で他人のおしりを触っても良いと判断したのだろうか。人権についての教育を受ける機会に恵まれなかったのだろうか。ショートパンツからのぞくナマ足を、OKのサインだと勘違いしたのだろうか。若い女ならば抵抗もできまいと甘く見て手を出したのだろうか。
僕には、人権がある。仕事のないときには法に触れない範囲で好きな格好をする権利があるし、合意なしにおしりを触られない権利もある。権利は、不断の努力をしないとなくなってしまう恐れがあるから、僕は怒りと悲しみにふるえながら、泣きそうになりながら、ここに自分の権利を主張するのである。


痴漢は人権侵害です。

女性と男性とでは、見える世界が違う

昨日は、『ふともも写真の世界展』に行ってきた。
大混雑で、僕は50分待ってやっと会場に入ることができた。会場に入るときに、「女性限定で足湯をやってますから、よかったらどうぞ」みたいなことを言われた。
足湯も待たなきゃ入れないのかと思ったが、全然そんなことはなくて、会場にいる人は男性ばかりで女性はごく少数だったので入りたいときに入れた。

『ふともも写真館』のことは『曖昧美少女アート展』のときに知った。『曖昧美少女アート展』のときは平日に見に行ったのでガラガラで、ゆっくりじっくり見ることができたのだが、さすがに今回は祝日なので混みあっていて、しかも僕(158cm)より大きい男の人がほとんどだから、ラッシュ時に山手線に乗るときみたいに人を無理矢理かきわけなければ作品にたどりつけず、ゆっくりじっくり見るのは難しかった。
それでも、なんとか2周して、足湯に入って、もう1周して、ポストカードを買って帰った。


僕は自撮りするの好きだから、「ふとももの見せ方がうまいなあ」「これはいいアイディアだなあ」なんて、撮る人の気持ちになって見たり、両性愛者でオタクだから「これは…いいシチュエーション…!」「これ百合じゃん…尊い…!」なんて妄想を広げたりしてたのしんでいたのだけど、たぶんそういうたのしみかたをする人は少数派だと思う。
女の子同士で来た人たちが「美しいね…」「いやらしさが全然ないね」なんて話してるのが聞こえてきたかと思うと、逆の方向から男性の声で「これめっちゃ良い!」「わかる!エロい!」なんて会話が聞こえてきたりしておかしかった。

女性と男性とでは、見える世界が違う。


僕はよく池袋に行くんだけど、池袋に行くとティッシュがもらえる。若い女(に見える人)はみんなティッシュをもらったことがあると思う。ガールズバーの求人広告がついたポケットティッシュだ。ときどき母が「ガールズバーのティッシュもらった!」って自慢してくる。ガールズバーのティッシュをもらうことは若い女に見えることの証明になると我々、つまり僕と母は考えているからである。

それと、池袋に行くとよくナンパにあう。「寿司食べに行きませんか?」とか「おねえさん、お茶しよう」とか、そういうやつ。新宿でもときどきある。僕は知らない男の人とかこわいからいつも無視して走って逃げるようにしている。
一番こわかったのは池袋のエムズで知らないおっさんに援交を持ちかけられたときである。みなさんご存知の通り池袋のエムズって狭いから走って逃げることができない。僕は顔をひきつらせながら、可能な限りおっさんを無視して急いで店を出た。エムズに一人で来る女性客なんて滅多にいないから、一人で行くとビッチだと思われるのかもしれない。処女なんですけどね。それから、池袋のエムズに行くのがちょっとこわくなってしまった。


逆に、もらえなくてくやしいものもある。秋葉原メイド喫茶のチラシである。
友達と秋葉原で遊んでいたときに客引きのメイドさんが立ってる道があって、僕達の前を歩いていく男性たちはみんな彼女からチラシをもらっていたのに僕はもらえなかった。すごくくやしかった。僕だってメイド喫茶興味あるし、メイドさんに声かけられてチラシ渡されたかったのに、女に見えるというだけの理由でもらえないのである。


女性と男性とでは、ただ街を歩いているだけでその経験の内容が違う。同じ世界で生きているはずなのに、見えるものが全然違う。そういう細々とした違いがたくさんあって、その積み重ねで世の中っていうか、“性”つまり性別とかセックスとかに対する認識が全然違ってきちゃうんだろうなって思う。

女性にとって女性のふとももは自分にもある身体の一部だが、この世のマジョリティである異性愛者の男性にかかれば女体なんてエロ以外の何物でもないのだ。すべての男性がそういう考えであるとまでは言わないが、そういうふうな価値観は社会に深く根付いていると感じる。

嫌だなあ、と思う。


僕は、女体持ちだし、実生活上女性だから、カミングアウトしてないすべての人から“女扱い”される。“女扱い”はしばしばミソジニーを含んでいるから、僕はとてもつらくなる。

僕は、もらえるものはもらう、使えるものは使う主義だから、女性限定の足湯にも入るし映画はレディースデイに見る。
でも本当は“差別的な女扱い”も“優しい女扱い”も、なくなればいいと思ってる。

僕の性自認はいつも揺れているから、「自分は女だ」と思うときもあるし「自分は女じゃない」って思うときもある。


僕は、ただ、“人間扱い”を求めている。

ウルトラマンシリーズ強化月間

昨日は、お休みの日だから、出かけようかなってちょっと思っていたのだけれど、風が強くてヤバそうだったからやめた。
やめて、ウルトラマンシリーズを見る日にした。なにしろ今月は個人的にウルトラマンシリーズ強化月間なのである。


ウルトラマンシリーズ。世界で最も派生作品の多いシリーズとしてギネスブックにも載っている、日本の誇る特撮シリーズである。
が、私は特撮オタクを自認しているにも関わらず、ウルトラマンシリーズは(ウルトラマンオタクの人と比べたら)ほとんど見ていないと言っても過言ではない。ほとんど見ていないというのは、完走したシリーズがひとつもないという意味である。初代マンと、マックスとメビウスはけっこう見てるし、その他のウルトラマンシリーズの作品もだいたい何話かずつ見てあるが、ウルトラ戦士たちの見分けはほとんどつかないし、怪獣の名前もあんまりわからない。


こんなことではいけない、と僕は思った。

僕には、あんな風になりたいと思う人が何人かいるが、なりたいランキング第一位は父である。父は映画と漫画とその他いろいろのものが好きなオタクである。であるから、僕は中学生までは親子前売り券でいろんな映画を見に連れて行かれた。英才教育である。ちなみに母は読書と水族館とその他いろいろなものが好きなオタクだったから、僕は幼い頃から母が僕の年齢に合わせてオススメの本を図書館から借りてきたのを読まされた。英才教育である。

実家の近所のシネコンは大型商業施設のなかにあって、施設のなかにはトイザらスもあった。父と映画を観に行くと、映画のあとにトイザらスに行くのがお決まりだった。
トイザらスに行くと、父は男の子向けおもちゃコーナーのフィギュア棚を見て、「この怪獣はナントカという映画に出てくる」とか「この怪獣は着ぐるみのなかに人が二人入っている」、「この怪獣は元宇宙飛行士」などと解説してくれた。今思うと(特オタ基準では)常識的なことばかりだったが、そうやって教えてくれるのはすごくうれしかった。

僕は、親もオタクだし、友達もほとんどオタクだから、わからないことがあれば「これは何?」って聞くだけで、たいていのことについてはすぐに説明を聞ける環境で生きてきた。「仮面ライダーキバのキックってなんて名前だっけ?」「ダークネスムーンブレイクだよ!」
もしかしたら、僕の記憶力のなさはその環境によって培われてしまったものなのかもしれない。


しかし、僕はこれから自立した大人にならなければならない。人に頼ってばかりではいられない。
なにしろ、僕の夢は“おとうさん”になることなのだ。頼る人ではなく、頼られる人にならなくては。

いつか、子供をもったら、一緒にウルフェスに行きたいし、ウルフェスに行ったら子供はきっと「これは何?」って聞いてくるだろう。僕はそのときに、ちゃんと答えられるおとうさんになりたい。これは親子の信頼に関わる問題だ。
僕は子供に「おとうさんって良いなあ」と思われるおとうさんにならなければならない。

だから僕は、勉強する。テレ玉で再放送されているウルトラQを見る。YouTubeで公開されているレッドマンを見る。レコーダーに録画したまま、なんとなく放置してしまっていたウルトラマンタロウを見る。ギンガやXも録画しっぱなしだったからそれも見る。見る、見る。

ウルトラマンシリーズって、参入障壁が高いというか、過去作を知らないとたのしめないイメージがあった。実際、ウルトラQとかウルトラマンを見ると、あっ、あのときのあの怪獣はこういう性質なんだ!こういう因縁があるんだ!というように平成ウルトラマンへの理解が深まるのを感じる。

思えば、幼い頃にウルトラマンシリーズに出会えなかったことは不運であった。僕の人生に子供が登場したら、その子の性別に関わらずQとかマンとかセブンに慣れ親しませて育ててやりたい。

そんなわけで、今日も僕はウルトラマンシリーズを見るのである。

この先生きのこるには

最近、僕は自分の現状に危機感を覚え始めた。


きっかけは1ヶ月前、母が風邪を引いて寝込んだことである。


母は、しょっちゅう僕の家に遊びに来る。メンヘラな娘を心配して来てくれているという部分もあるが、半分は本当に遊ぶために来ている。僕とか、母の友達とか、母の妹とかが東京にいるし、母の実家も近いから遊び放題なのである。

そんな母が風邪を引いた。
母が来ているときは家事などほとんど母任せにしていて、来ていないときは適当にしている僕が、急に病人の世話をしなければならなくなった。
これは、親離れのために神が与え給うた試練だ、と僕は思った。試練を与えるタイプの神様はあんまり信じてないんだけど、そう感じるのにぴったりのシチュエーションだった。っていうか25歳で親離れできてないのはマジでヤバい。僕ははじめて危機感を覚えた。
お粥を作り、洗濯をし、ポカリスウェットを買い、母を寝かせ、添い寝の役にピカ氏を任命した。他にも何か、いろいろ必要なことは全部一人でやった。桜が咲く頃というのは身心の調子を崩しやすい時期である。僕も花粉症持ちだし、メンタルの調子もイマイチだったんだけど、マザコンだから母のためだと思うとなんとかがんばれた。やってみるとそんなにむずかしくないもので、思ってたよりちゃんとできた。
「なんだ、家事できるんじゃん」母は少し驚いた風に言った。「私がちゃんとしすぎるのがよくなかったのかな」


風邪がよくなってきた頃、僕と母とピカ氏と3人で花見がてら散歩に出かけた。近所の公園は大学生のグループでいっぱいだった。
「青春ですね」と、母。
「青春はもう終わってしまった。そろそろ夏だ」と、僕。
「そうだね」
「ママはそろそろ秋ですか」
「実りの秋ですね」
「実ってますか」
「うーん…君がしっかりしてくれないと私の夏は丸ムダになるなあ」
母は少し笑って言った。
僕は、もっともだなあ、と思った。

僕一人の力で生きていけるようにならないと、母が安心して新潟(僕の実家)に帰れないんだ!


それから、僕は家事を率先してやるようになった。少しでも、自分でできることを増やすために。
母はもう30年も専業主婦をやっているので、盆踊りをぐるぐる踊るときみたいに、自然と身体が動いて家事をこなしているような感じがある。そこに、意思をもって割り込んで一緒にぐるぐる踊るのである。慣れてしまえば全然難しいことも何もなくて、ルーチンワークにしてしまえればそんなに疲れもしない。


「どうしてお皿洗うときいつも歌ってるの?」幼い頃に母にそんな質問をしたことを思い出す。母の答えは、正確には覚えていないが、歌っていれば歌っているうちに皿洗いが終わってしまうから、というようなものだったように思う。
母の母、すなわち母方の祖母も「なんでお前は皿洗うとき歌うの?たのしいの?」って聞いていたことがあった。そのときの答えはちゃんと覚えてる。「たのしくないから歌うんだよ!」

あのときは、わからなかったけど、今ならわかる。母はたのしくない家事をたのしんでこなそうとしていたのだ。「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり」という言葉があるが、母は言わば「たのしい人の真似」をしていたのである。


僕も、「たのしい人の真似」をすればもう少しまともに生きていけるだろうか。一人でしっかり歩いていけるだろうか。
わからない。けど、がんばりたい。

僕が鬱で動けなかったとき、母が、祖母が、友人が救いの手をのばしてくれた。でも、いつまでもそういうわけにはいかない。いかないんだ。


「僕、がんばれるかな」と呟くと、
「ピカ氏がついてるよ」返事が返ってきた。